三章 4-2
* * *
ルインとフラムは、渋るエルトを昼までの約束だったからと無理矢理に塔へ連れ戻し、昼食ができるまで休んでいろと彼の部屋に押し込んだ。
エルトのことはフラムに任せ、ルインは食事の支度をするために厨房へ向かった。その途中、ひょこりとリムが現れる。
「手を焼いてるみたいね」
相変わらず自由に浮いているリムを、ルインは足を止めて見上げた。
「ああ。エルトが、しつこいくらい無理をするな寝ていろと繰り返していた理由がわかった」
「よかったわね。何事も経験よ」
「そうだな。私は、心配したりされるということが、あまりなかったから」
「ふうん? 気付いてないだけじゃないの?」
軽い口調で言いながらくるりと宙返りをするリムを、ルインは改めて呼ぶ。
「リムさん」
リムはルインと目を合わせるように高度を下げた。
「なあに?」
エルトに拾われたルイン、持ち込まれたウィルド・ノーリ、間を置かずに現れたエレクトラ。これらがすべて偶然だとは、ルインにはどうしても思えない。そのことを告げると、リムは小首をかしげた。
「それがどうかした? もう全部起きたことよ。どんなに足掻いても過去は変わらないし、どんなに非現実的に思えても事実は事実だわ」
「わかっている。だが……」
「ヒトの考え方は、東も西もあまり変わらないのね」
ルインの反駁を遮り、リムは空中で見えない椅子に腰掛けて足を組むような姿勢を取った。
「エルトもよく言うのよね。偶然にしてはできすぎてるとか、間が良すぎるとか」
長い緑の髪を指に巻き付けながら、リムは言う。
「起きた出来事を関連づけたがるのはヒトくらいよ。どんなに関係がありそうに思えても、出来事は一つずつばらばらなのに。今ルインが言ったことで関係があるのなんて、エレクトラの件くらいじゃない。彼女はあなたを追いかけて来たんだから、関係があって当然でしょ」
「すべて偶然だと言いたいのか?」
「必然性のない偶然はないのよ。なるようにしかならないの」
答えになっていない答えを返されて、これ以上の追求は無駄かと、ルインは一つ息をついて別のことを尋ねた。
「ウィルド・ノーリは消えた。目的は果たしたということだろうか」
数日前、エレクトラたちを始末し、エルトを連れて塔に戻ったときまでは確かにあった。しかし、気がついたときには跡形もなく消えていた。
「消えたなら、そうね。ウィルド・ノーリが消したかったのは、刃にかかった誰かだったってことよ」
「……そうか」
ルインが殺めた西の者は、前の戦で犠牲になった東の人間の数に到底及ばない。ウィルド・ノーリが均すのは生き物の数ではなく、力の均衡なのだろう。東にとって、エレクトラ一派は無差別で無軌道である分、スハイルよりも脅威になり得た。――そこまで考えて、ルインは自嘲する。
(……正当化したいだけか)
視線を落としたルインを覗き込み、リムが揶揄めいた笑みを浮かべた。
「もう出て行くのはやめたの?」
「出て行く理由はなくなったからな。今は……」
言いさしてやめ、ルインは目を伏せる。リムには胸中をすべて読まれているような気がして、取り繕うのは無意味なことに思えた。ずっと燻り続けている疑問を口にする。
「……エルトを巻き込んで命に関わるような怪我をさせ、妹すら手にかけた私が、ここにいてもいいのだろうか」
「そんなこと、あたしが知るわけないでしょ」
容赦なく切り捨てられ、口を噤むルインには構わずリムは続ける。
「あのね、順番が逆なのよ。あなたがまず自問すべきは、ここにいていいか、じゃなくて、ここにいたいかどうか、よ。それをはっきりさせてからエルトに訊くのね。ここはエルトの家だもの」
「ここに、いたい……?」
ぽかんと繰り返すルインを見て、リムは大きなため息をついた。
「精神活動が高等になるのも考えものね、まったく。ヒトって本当に面倒な生き物」
一方的に言ってリムは姿を消した。残されたルインは思案しながら歩き出す。
(私自身がここにいたいかどうかというのは、盲点だったな)
留まる理由はある。エルトの看病というのがその最たるものだ。だが敢えて許可が欲しいのは、存在を肯定されたいからだろうかという考えに至る。ここ最近、特にエレクトラたちに追われていた間は、ずっと命を狙われ、死を望まれていた。そのことが思った以上に堪えていたのだろうかと、ルインはますます複雑になった。
(……やはり私は、嬉しかったのだろうな)
疲弊していたところに、無条件に手を差し伸べられて、ただ嬉しかった。塔から出ようとすると不思議と邪魔が入ったが、それらが障害になるかならないかは、ルインの意志一つだ。本気で出て行く気があるならば、窓が壊れようとフラムを見つけようと悲鳴が聞こえようと、振り切れば良かった。
理由を探すのは、ここに留まっていたいからだ。――気付いてみれば、至極単純なことだった。
(ならば、答えはもう出ている)
* * *
「……あのさ」
「はい」
「……そう見てられると眠れるもんも眠れなくなるんだけど」
ベッドの横に据えた椅子に腰掛けたフラムは、横たわるエルトをじっと見つめている。最初は気にしないよう努めて目を閉じていたが、どうしても視線が気になる。
「お気になさらず、眠ってください」
「だから、そう見つめられると気になるんだっつの。見張ってなくても大人しくしてるから」
「そう言って抜け出そうとしましたよね、何度も」
「過去を見るより未来を考えようぜ」
「未来のために必要だと思いまして」
ああ言えばこう言う、とエルトはため息を飲み込んだ。塔に来たばかりの時、遠慮がちに小さくなっていたフラムとは別人のようだ。きっと、こちらが本来の彼女なのだろう。
「俺が抜け出すのを心配してるなら、じっと見てることもないだろ。本でも読んでたらどうだ」
「それは……駄目です」
一瞬揺らいだようだが、フラムは頑なにかぶりを振った。
「なんでだよ」
「質問したくなっちゃいますから」
「いいぞ、受け付けるぞ」
「駄目です。エルトさんは休まないといけません」
自分で言って一人で納得したかのようにフラムはうんうんと頷く。小さな医者は存外、頑固らしい。
エルトは説得を諦め、話を変えることにした。
「やっぱりフラム、医者になったら?」
「え?」
「向いてると思う。治すことに患者よりも熱心だし」
束の間きょとんとエルトを診ていたフラムは、やがて戸惑った様子で視線を彷徨わせ、嬉しそうな、けれどどこか寂しそうな、複雑な表情で顔を伏せた。
「……そうでしょうか」
「魔導士よりもいいと思うけど。戦が無くなるなら、魔導士はこれから研究主体になるだろうしな。でもフラムは、新しい魔法を開発したいとか、失伝した術を再現したいとか、そういうのじゃないんだろ?」
「ええ……わたしが魔導士をやっているのは、それ以外に戦う手段がないからです。武芸はまったく駄目なので」
「なら、ますます魔導士じゃなくていいじゃないか」
「そうですね……」
フラムは同意しながらもあまり気が進まない様子で、エルトは胸中で首を捻る。
「何か医者になりたくない理由でもあるのか?」
「そういうわけでは……ないんですけど」
迷うような間を置いてフラムは重い口を開いた。
「……怖いんです」
「怖い?」
「わたしは……誰も、助けられませんでした」
途切れがちなフラムの話を要約すると、こうだ。
今から一年ほど前、フラムの故郷が野盗に襲われた。野盗は皆、兵士崩れで戦い慣れており、町の自警団などあっという間に蹴散らされてしまった。町は火を放たれ、たくさんの死傷者が出て、フラムの両親もそのときに殺された。フラムは屋根裏に隠されたおかげで助かったのだ。
小さな町の小さな診療所は、医者の父と、助手の母と、手伝いのフラムだけで経営していたので、町で医療の知識を持つのはフラムだけになってしまった。
「驕っていたんです、わたしでもできると。絵本代わりに医学書を読んで、いつも診療所の手伝いをしていたから、遊んでばかりの他の子たちとは違うと……」
そんなことはなかったと、フラムは目を伏せた。
多少、知識があるとは言え、所詮は子供の浅知恵だ。応急処置が精一杯で。深手の手当は殆どできなかった。大怪我を負った多くの人は為す術もなく死に、軽い怪我人はフラムの手当がなくても治っただろうと、少女は嘆く。
「わたしには何もできませんでした。無知で無力な子供が、誰かを助けられるわけがないのに……わたしなんかじゃなく、お父さんかお母さんが生き残った方が、ずっと」
「そういうのはやめろ」
エルトは堪らず遮った。エルト自身、己が無知で無力な子供だと思い知らされたばかりだ、フラムの気持ちは痛いほどわかる。けれど、そこで立ち止まってしまっては駄目なのだ。
「おまえを守って死んだ親御さんたちに失礼だろ」
「……はい」
小さく頷くと、フラムは唇を引き結んで項垂れた。その顔が今にも泣き出しそうに見えて、エルトは内心で狼狽える。
「俺はフラムに助けて貰った。フラムが治癒術かけてくれなかったら死んでたかも」
「それは……たまたまです。エルトさん自身に怪我を治せる体力が残っていたからです」
「それでも、治してくれたのはフラムだ。ちゃんとお礼言ってなかったな。ありがとう」
「――…」
フラムは弾かれたように顔を上げたが、すぐに俯いてかぶりを振った。そして、独白のように言う。
「みんな、わたしの目の前で死んでいきました。わたしにはそれを止められなかった。見ているしかできなかったんです。だから……お礼を言うのはわたしのほうです。エルトさんが生きていてくださって、わたし……」
ありがとうございます、と頭を下げたフラムの声が、握り締められた両手が震えていて、エルトはそっと息をついた。
一年前ならば十二か十三だっただろう。たったそれだけの、年端もいかない少女が破壊と死に触れすぎて、心を守るために頑なになってしまっているように見える。これはフラムが乗り越えなければならないことだ。しかし、とエルトは口を開いた。
「なら、一人じゃなかったんだな」
「……え?」
「フラムが看取った人たち。死ぬとき、一人じゃなかったんだろ」
「ええ……でも……」
「看取って――見届けてくれる人がいたってのは、少しかも知れないけど、救いになったんじゃないか? 普通に死ぬのだって絶対嫌なのに、誰にも知られずひっそり死ぬなんて、もっと嫌だわ」
「…………」
「だからさ、フラムが生き残って悪かったように言うなよ。力を尽くして救えなかったら、それは相手の天命だよ」
エルトの言葉は無責任で、慰めどころか気休めにもならないだろう。知った風な口をきくなと怒り出すかと思って様子を窺っていると、不意にフラムがしゃくり上げて、エルトはぎょっと目を見開いた。
「あ、え、あれ? 何か俺、嫌なこと言ったか? ごめん」
思わず起き上がって謝ると、フラムは髪が広がるほどぶんぶんと首を左右に振った。
「いえ……っ、あ、ありがと、ございま、す」
両手で目を拭い、無理矢理のような笑みを浮かべたフラムは勢いよく立ち上がる。
「わ、わたし、眠れるようなお茶淹れてきますね!」
フラムは逃げるように部屋を出て行き、残されたエルトがぽかんとしていると、入れ替わるようにリムが現れた。
「やー。エルトもやるじゃなーい」
「何が? いや、リムさん聞いてたのか?」
「聞いてたと言えば聞いてたし、聞いてないと言えば聞いてないわね」
「どっちだよ」
「ふふん」
リムは応えず、笑っているのかよくわからない声を零してくるりと一回転した。
「なんだか、あっちでもこっちでも面倒ね。もっと単純に考えられないものかしら」
「生憎、みんなリムさんみたいに単純じゃないんだ」
「単純だなんて失礼な。あたしは必要なことしか考えない主義なの」
「リムさんが考えてるとこなんて……いやなんでもない」
これ以上言うと面倒なことになりそうだと、エルトは口を噤んだ。しかしリムは不満げに唇を尖らせ、横目でエルトを睨んだ。
「全然わかってないエルトに、親切なリムさんがアドバイスしてあげようと思ったけど、やめたわ」
「わかってないって、何がだよ」
「女の子の扱いかたよ」
「はあ? あ、ちょっと」
言うだけ言ってリムは消えてしまった。再び一人になったエルトは、見張りがいなくなったので起きようかと思ったが、見つかったらまた煩く言われそうなので横になることにした。
(……寝るか)
リムの言葉の意味を考え出すと、どうしようもないところに行き着きそうで、意識して頭から追い出し、目を閉じる。そのうち眠気が訪れるだ




