終章
終章
「エルト。動き回ってはぶりかえすぞ」
仕事部屋に行こうとしているところを見つかり、エルトはぎくりと足を止めた。振り返れば、心配そうな顔をしたルインが階段を上ってくる。
「大丈夫だって。もう熱は下がったよ」
「そうは言っても……」
途中で言葉を止め、ルインは苦笑めいた表情になった。エルトは首をかしげる。
「どうした?」
「いや。少し前とすっかり逆転したと思ってな。私を看てくれたエルトの気持ちが少しわかった」
「だろー? 完治するまで動くなっつってんのに、あんたはさー」
ぼやくエルトへ、ルインは何故か悪戯めいた笑みを向けた。
「なら、エルトも今の私の気持ちがわかるだろう?」
「う」
痛いところを突かれ、エルトは言葉に詰まる。ルインは笑みを消して生真面目に続けた。
「フラムの許可が出るまで部屋に戻って大人しくしていろ。それとも、力尽くで寝台に放り込まれたいか」
「それとこれとは別……」
「同じだ。身体のつくりは私よりもエルトの方が弱いのだから安静にしていろ。疲れると治りも遅くなる」
「……はぁい」
エルトは不承不承、自室に戻った。見届けようというのか、ルインが後ろをついてくる。
ルインは、体力が戻らぬエルトの願いを聞いたことを後悔しているようだった。ルインに運んで貰い、エルトは村の修理をして回ったのだが、エルトが建物を術でこっそり直していることは早々に村人に露見し、頼られるようになったことも大きかったかも知れない。
調子に乗って数日にわたって術を使い続けたエルトは体調を悪化させ、再び寝台に沈むこととなった。しかし、本格的に雪が降る前に粗方直してくれて助かったと、村の人々が喜んでいたので、間違ったことはしていないと今でも思っている。
だが、それ以来ルインとフラムは看病の鬼と化した。退屈が過ぎてこっそり部屋を抜け出そうものなら、二人がかりでエルトを封じ込めようとする。
当然と言えば当然なのだが、東の人間の医術に疎いらしいルインは、フラムに色々と教わっているようだった。知識が増えた分、日ごとに手強さが増している。
「……よく降るなあ」
自室に戻って窓から白く染まった外を眺め、エルトはルインを振り返った。遅かった分を取り戻そうと言うかのように、数日前からしんしんと降り続いている。最早、一階の扉から外に出ることはできない。
微かに唇を動かしたルインが何かを言う前に、開け放しだった扉からトレイを両手で持ったフラムが顔を出す。そして、一瞬で事態を察知したらしく、みるみる目を吊り上げた。
「駄目じゃないですか、エルトさん! 疲れたらその分だけ治りが遅くなるんですからね」
「フラムもルインみたいなこと言って……じゃなくて、ルインがフラムみたいなこと言ってんのか」
看病魔が二人に増えたことでここを切り抜けるのは諦め、エルトは寝台に腰掛けた。フラムがサイドテーブルにトレイを下ろす。そこにはポットとカップがのっていて、何とも言えない香りを漂わせていた。
「で、それは?」
エルトが問えば、フラムはにこりと満面の笑みを浮かべた。
「お茶です」
「嘘つけ。物凄く覚えのある匂いがしてんぞ」
「普通にお薬湯を出しても半分も飲んでくれないので、お茶に混ぜてみました」
「……効果あんのか、それ」
「何事も実験です」
「俺で実験すんな!」
声を上げるエルトは無視して、フラムはカップに薬の匂いのするお茶を注いだ。にこにこと差し出されたそれを受け取り、鼻を突く薬臭さにエルトは顔を顰める。
「苦いのは我慢するけどさ……この匂いなんとかなんねえの?」
「鼻を摘んでみてはいかがでしょう」
「いや、そういう一時凌ぎじゃなくて、根本的な解決策をだな……」
ぼやきながらエルトは渋々カップを口に運んだ。あまり息をしないようにして一口啜り、確信する。
「駄目だ。どうやっても不味い。しかもお茶で薄められてる分、量が増えて酷い」
「駄目ですか……じゃあもうあとは、スープに混ぜるしかありませんよ」
「食事に混ぜたら見ろよ、いくら温厚な俺でも本気出して暴れるからな。まさか、医者が患者を悪化させるようなことはしないよな?」
「医者じゃありませんけど……わかりました。もう少し考えてみます」
エルトは、ポットの蓋を開けて首をかしげているフラムから、窓へと視線を滑らせた。飽くことなく降り続く雪を見ながら尋ねる。
「一回積もったら、本当に春まで解けねえぞ。ルインはともかく、フラムはいいのか?」
フラムがエルトを診るために塔に残ると言い張ったため、シエル、トロン、メイアの三人は村に滞在している。フラムは置いて行かれる覚悟だったようだが、三人は、フラム一人を残して行けるかと村に留まることを決めていたので、やはりフラムの言っていた恩返し云々は余計なことだったのだとエルトは思う。
同じく外を眺めていたルインが、フラムを見下ろして首をかしげた。
「フラムが望むのであれば、村まで送ろう」
フラムは慌てた様子で首と両手を左右に振った。
「いえ! エルトさんが完治するまで、何が何でも居座るつもりでしたから、むしろ好都合です」
言い切るフラムに苦笑し、エルトは少々複雑になる。申し出はありがたいが、ここの冬は本当に長いのだ。二人がかりの看護でエルトは遠からず完治するだろうし、幼い頃から慣れているエルトはともかく、不可抗力に近いかたちで閉じ込められるルインとフラムには厳しいかも知れない。
(……ま、そのときはルインに送ってって貰えばいいか)
考えることを放棄し、エルトは二人を交互に見上げた。
「一対二って卑怯じゃねえ?」
ルインが呆れたように息をつく。
「何を言う。それでも私たちの目を盗んで動き回るのは誰だ。リムさんにも協力を仰ぎたいくらいだ」
「リムさんは協力しねえと思うぞ、多分。――あーもう寝るのに飽きた。退屈で死にそう」
「そんなに退屈なら、書庫から本を持って来ようか」
「いい。書庫のは大体読んだことある」
「読んだんですか!? あの量を全部!?」
声を上げたのはフラムである。大袈裟だとエルトは首を左右に振った。
「全部じゃない。大体だ」
「それにしたって……」
「冬の間は暇なんだよ。家事やら何やらやり尽くしたら、もう本を読むくらいしかないんだ」
冬とそのほかの季節の違いは、外に出られるか出られないかということに尽きる。雪のない季節は両親が出掛けるとエルトもくっついて行き、村に滞在している間、村の子供と遊んだり、学校に顔を出したりした。
「では、眠るしかないな」
エルトが眠るまで見張る心積もりらしく、ルインは寝台の脇に寄せた椅子に腰を下ろす。
「ええー」
「早く床を離れたいのであれば、今は休んで身体を癒すことだ」
「わかってるけどさ。寝てばっかだと鈍っちまう」
「鈍らせておけ」
「そうです。今は治すことが最優先です」
二人がかりで言われて、これは何を言っても無駄だと諦め、エルトは適当に室内履きを脱いで両足を寝台に上げた。そのとき、視界の端に鮮やかな緑色が翻る。
「すっかり世話焼きだわね」
寝台の上、天井近くに現れたリムへ、エルトはルインとフラムを示した。
「面白がってないで止めてくれよ、この看病魔王とチビ医者をさ」
「なんとでも。エルトを本復させるためであれば、魔王の二つ名も甘んじて受けよう」
「医者じゃありませんけど、小さいのは事実なので」
真顔で言うルインとフラムを見上げ、エルトはため息混じりに返す。この二人は案外、似ているのかも知れない。
「冗談だよ」
「わかっている。が、私は真面目だ」
「わたしもです」
「……知ってる」
げんなりと呟いたエルトの言葉をかき消すように、すいと宙を泳いでルインの隣に移動したリムが、何かとてもいい悪戯を思いついたような表情で言う。
「ルイン、家政夫になっちゃえばいいんじゃないの?」
まさかその話を蒸し返されると思わなかったので、エルトは思わずリムに向かって片手を伸ばした。
「ちょっ、リムさん!」
ふわりと手を避けたリムは視線だけをエルトに向けて、にいと人の悪い笑みを浮かべる。
「ルインは思う存分エルトの世話が焼けるし、それでお金も稼げて一石二鳥じゃない」
「あのな、家政夫とか、そういうのはもう……」
エルトの言葉を遮るように、フラムが首をかしげた。
「あれ? ルインさんは家政夫さんなのでは」
問われ、エルトはしまったと顔を引き攣らせた。フラムの論を封じるためにそういうことにしたのを思い出す。
「あー……あれは、方便って言うか……ほらみろ、面倒臭いことになった。どうしてくれんだよ」
エルトは非難を込めて軽くリムを睨むが、彼女は意に介さない様子でにっこりと笑った。
「変な嘘をつくエルトが悪いんでしょ」
「そうだけど。いや、あのときはさ……」
「あたしを見習いなさいよ」
「リムさんは嘘がつけないだけだろ」
胸を張るリムにため息混じりに返したところで、フラムが小首をかしげた。
「嘘がつけない? つかないのではなくてですか?」
尋ねられてエルトは口を噤む。フラムにリムのことはまったく説明しておらず、また、説明するのもかなりややこしい。
ここは本人の口からとエルトがリムを見ると、彼女と視線がぶつかった。エルトの考えを正確に読み取ったらしいリムは、すいと浮き上がりながらフラムへ笑みを向ける。
「あたしは正直者なの」
言い置いて、リムは唐突に姿を消した。
(説明が面倒で逃げやがったな……)
やり取りを聞いていたのかいなかったのか、消えたリムを意に介したふうもなくルインが呟く。
「なるほど。家政夫になってしまえば文句を言われず看病ができるか」
「いや、言うぞ? 相手が家政夫だろうとなんだろうと文句言うぞ俺は」
「冗談だ」
「あんたの冗談わかり辛ぇな!」
エルトが叫んでもルインは怯む様子すら見せず、宥めるようにぽんぽんと背を撫でられた。子供扱いをするなとエルトはその手を払う。
何かに気付いたように顔を上げたフラムが、両手を握り締めながら勢い込んで言う。
「じゃあ、家政婦枠は空いてるんですね」
どう足掻いても家政夫、あるいは家政婦の話からは逃げられないのかと、エルトは肩を落とす。
「そんな枠を作った覚えはないっつの。あと、弟子も取らない」
「弟子の話は切り出してすらいないじゃないですか……」
残念そうに呟いたフラムは、はっと表情を変えた。
「じゃあわたしが初代家政婦になりますね」
「だーかーらー。なんなんだよ、そのやたらに前向き思考は。――ルインも、家政夫の話は忘れてくれ」
「忘れていいのか?」
「ん?」
そう切り替えされるとは思わず、エルトは目を瞬いた。
「いや、まあ……雇われてくれるなら助かるし、ちゃんと給料も払うけど……え、本当に? よし、じゃあ早速契約書を」
書類を作ろうと寝台から降りようとするエルトを、ルインはうって変わって慌てた様子で押し留めた。
「待て。わかった悪かった。その話はまた後でしよう」
「なんでだよ。あんたの気が変わらないうちに署名しろよ」
「今すぐでなくてもいいだろう? 今のエルトに必要なのは署名ではなく休息だ」
「あんたが署名してくれれば心穏やかに休める。俺のためにも契約しろよ」
「そういう問題か?」
押し問答をしているエルトとルインを、頬を膨らませたフラムが遮る。
「どうしてルインさんは大歓迎でわたしは駄目なんですか!」
「どうしてって……」
少し考え、エルトは思いついたことを口にした。
「……頼りがい?」
目を吊り上げていたフラムは、一瞬きょとんとし、次いでがくりと項垂れた。
「……それは……絶対にかなわないじゃないですか……」
「なんか、ごめん……? あ、ほら、フラムに家事全般を任せるのが後ろめたいって言うか」
「そんなの気にしないでください。わたしがしたいって言ってるんですから」
「でもなあ」
「二人とも、待て。それはひとまず置いておいて、エルトは寝てくれ。すまない、変な話が長くなってしまった」
ルインの言葉を聞いて、フラムがはっとした表情になる。
「そうです、寝てください。お薬はまた後で持ってきますから」
薬にこだわるフラムへ、エルトは顔を顰めて見せた。
「薬はもういいって。寝る前に、契約書くらい五分で作れるからさ」
「そう急くこともないだろう。少なくとも雪が解けるまではここにいるのだし、春になったらまた相談しよう」
「――…」
きっとルインは一切の他意なくその言葉を口にしたのだろうが、まったくの不意を突かれてエルトは目を見開いた。ルインもフラムも、エルトが回復したらそのうちに出て行ってしまうのだろうと思っていたので、当然のように春にと言われたのが妙に嬉しくて、顔が笑ってしまうのが抑えられない。
「……ああ。春になったらな」
雪は多いし寒いし塔から出られないしと、毎年、冬は憂鬱で春が待ち遠しかった。けれど、今年は積雪が遅れた分雪解けも遅れればいいと、エルトは密かに誰にともなく祈った。
了




