三章 2-3
* * *
相対したエレクトラは、とても嬉しそうに胸の前で両手を合わせた。
「剣を持ってるってことは、今度こそちゃんと戦ってくれるのかしら」
この期に及んでおめでたいことだと、ルインは舌打ちを堪える。
「戦うのではない。殺しに来た」
「素敵! どういう心境の変化? 大嫌いな戦を起こす、大嫌いなスハイル兄様ですら見捨てられなかった、優しい優しいルイン兄様とは思えないわ」
最早、会話をする意味も価値も見出せず、ルインは無言で剣をエレクトラに向けた。どれだけ言葉を尽くそうが、妹が心を変えることはない。全てを壊し、殺し尽くすまで止まらないのだろう。
エレクトラを囲む魔人たちが気色ばむ中、少女だけは無邪気にきょとんとする。
「怒っているの? ますます珍しいわね。今までずっと逃げるだけだったのに」
「そうだな。最初におまえたちに襲われたときに、殺しておくべきだった」
ルインが腹を決められず、責任から逃げ続けたせいで被害が拡大してしまった。目を閉じ、耳を塞いでいても問題は消えてはくれない。わかっていたのに受け止められず、目をそらし続けた結果が今だ。
「うふふ、今の兄様、とても素敵よ。さあ、遊びましょう!」
笑みを含んだエレクトラの言葉を合図に、魔人たちが一斉に襲いかかってきた。ルインは攻撃を掻い潜り、相手の首を狙う。西の生き物の中には、手足をもがれたり胴を二つにされたくらいでは再生してしまう者がいる。しかし、首を切られて生きていられる生き物はいない。
ウィルド・ノーリは使い手を選ぶだけあって、ルインの手の延長のように動く。さほど強度があるようには見えないのに、相手の武器を受ければ勢いのまま断ち切り、首を飛ばすときも殆ど手応えがない。相手も斬られたのに気付かないようで、きょとんとした顔で倒れる。そのことを――殺した実感が残らないことを、ルインは酷く恐ろしく感じた。そうして使い手の罪悪感を薄め、殺戮に向かわせようとしているのなら、悪意の塊のような武器だ。
全員始末し終えたルインは、ゆっくりとエレクトラを振り返った。
「……あら?」
エレクトラは、仲間が死んでいることに、たった今気付いたかのように周囲を見回した。そして、弾けるように笑い出す。
「ふふ、あはははは! やだみんな、油断しちゃって。いくらルイン兄様だからって、気を抜いちゃ駄目よねえ、ふふふふ」
仲間の死を嘆くでもなく、一人おかしそうに笑うエレクトラは端から見れば狂気の沙汰だが、彼女にとっては消耗品が壊れたくらいの感覚なのかもしれない。
早く仕留めなければと踏み出したルインとエレクトラを隔てるように、エレクトラの傍に控えていた女が進み出た。その顔に見覚えあがり、ルインは眉を顰めた。
「おまえ……ウィスタリアか?」
片手で足りるほどしか顔を合わせたことがないが、特徴的な藤色の長い髪と瞳は強く印象に残っている。最後に会ったときは、兄スハイルの傍らにいた。
「……そうか、おまえがスハイルを」
ウィスタリアは否定も肯定もしない。しかし、スハイルの側近だったはずのウィスタリアが今、エレクトラと共にいるということは、そういうことだろうとルインは確信する。直接手を下したわけではないかもしれないが、暗殺の片棒を担いだのに違いない。
「お久しゅうございます、ルイン様」
眉一つ動かさずに言い、ウィスタリアは黒い大鎌を具現化した。ルインも剣を構える。
「おまえでは俺に勝てない」
「ええ、そうでしょうね」
「わかっているなら命を惜しめ。エレクトラは誰にも報いることはない、己にのみ忠実な女だ」
「存じております」
「ならば何故? 何か弱みでも握られているのか」
「いいえ」
短く答え、ウィスタリアは大鎌を振りかぶった。
「わたくしもまた、狂信者なのです」
突進してくるウィスタリアの鎌をウィルド・ノーリで受け止めると、やはりすぱりと切れた。刃の大半を失っても、ウィスタリアは柄だけを槍のように突き出す。それをいなし、ルインは一息に彼女の両腕を斬った。息を呑んで顔を上げる無防備な首も両断する。
「……あ」
言葉にならない声を漏らし、奇妙にぽかんとした表情のまま、ウィスタリアの首は地面に落ちた。数泊遅れて身体も倒れる。
「あはは! 偉そうなこと言ってたくせに、リーアも弱いじゃない。口ほどにもないって、こういうことかしらね! きゃははは!」
死を悼むどころか、嘲笑めいた笑い声を立てるエレクトラが口を閉じるのを待ち、ルインは淡々と告げた。
「おまえで最後だ」
「ふふ、そうみたいね。でも、あたしはリーアたちみたいに弱くないわ。スハイル兄様にも勝ったし、ルイン兄様よりは強いと思うの」
何も分かっていない様子の妹が、だんだん哀れに思えてきて、ルインは一つ溜息をついた。
「スハイルが……すべて望むようにならないと気が済まず、力に物を言わせて思うようにしてきたあの兄が、私の不参戦を黙認していたのは何故か、考えたことはなかったのか」
「そんなの、考えるまでもないわ。隠れてたルイン兄様をスハイル兄様が見つけられなかっただけでしょう? ――ああ、わかったわ、兄様は東が好きなのね? だからそんなに怒っているのね」
「場所の問題ではない。無関係な人間を手に出したおまえが許せなくなった。それだけだ」
「変なの。あたしは海を渡る前の方がたくさん殺したわよ」
「これまでは人質を取るような真似はしなかった。無意味に村を焼くのも、私にまったく関わりのない人間を殺すのも」
「兄様に関係あのある人なら殺してもいいような言い方ね」
「私の周りの者は、多少なりとも覚悟があっただろう。スハイルの次は私だということも、おまえのような妹がいることも知っていたのだから」
「覚悟?」
とても意外な言葉を聞いたかのように、エレクトラは目を丸くする。本当に何も考えていなかったらしいと、ルインは暗澹たる気分になった。これでは話が通じるはずがない。
「おまえは、報復される覚悟もなく殺していたのか?」
エレクトラは困惑したように眉を顰める。
「意味がわからないわ。殺したいから殺すだけよ。その方が楽しいんだもの。どうしてあたしが殺されなきゃならないの?」
「……そうか」
再び溜息をつき、ルインは改めて剣を構える。
「もう看過することはできない。ここで私を仕損じたら、おまえは同じことを繰り返す」
「何よそれ。今まではわざと見逃してたって言うの? どうして?」
ルインは無言で間合いを詰めた。エレクトラは苛立たしげに声を上げる。
「無視しないで! あたし、無視されるの嫌いなの!」
「……母は違えど、妹だからだ。だが、いくら妹でも、もう」
ようやくルインの本気を悟ったらしいエレクトラは、こぼれ落ちんばかりに両目を見開いた。そして、唇が愉悦に歪む。
「あはははは! 素敵よ兄様。遊びましょう!」
言うなりエレクトラは光球を投げつけた。ルインはそれを相殺する。下手に弾くと被害が拡大してしまう。
ますます楽しげなエレクトラが立て続けに光弾を放つが、それらもルインに届く前に悉く消滅した。
「兄様は魔法が得意なのね!」
魔法は通じないと見てか、エレクトラは黒い大鎌を作りだし、獣じみた叫びを上げてルインへ斬りかかった。だがそれは剣の一閃で半ばから真二つに断たれ、霧散する。
空になった両手を不思議そうに見下ろしたエレクトラは、ルインを見上げてゆるゆると首を左右に振った。楽しくて仕方がないとでも言うように哄笑する。
「凄いわルイン兄様! スハイル兄様より強いかも知れない」
次々と作りだしては振り下ろされる鎌を、ルインは淡々と破壊していく。やがてエレクトラの息が上がり、手を翳しても鎌が現れなくなった。
「あれ?」
初めてのことなのか不思議そうに首を傾げ、後退したエレクトラの足が縺れて、彼女はぺたんと座り込んだ。ルインはその喉元に剣を突きつける。
尻餅をついたエレクトラは、諦めるでも命乞いするでもなく、ルインを見上げて、心の底から嬉しそうな恍惚とした笑みを浮かべた。
「これでお揃いね、兄様。あたしと同じ、きょうだい殺し。きゃははははは!」
ルインは無言で剣を薙ぐ。半ば悲鳴のようだった笑い声は唐突に途切れた。同時に、軽いものが落ちる音と、重いものが倒れる音。
ルインは小さく息をつき、剣を一振りして露を払った。転がったエレクトラたちの屍だけを燃やすよう火を放ち、踵を返してエルトとフラムの許へ急ぐ。
最後まで妹のことはわからなかった。だが、それでいいのかも知れないとも思う。エレクトラとて、ルインに哀れまれるのは本意ではないだろう。
脅威は去ったはずだが、気分は晴れない。晴れないことに、少しばかり安堵した。
* * *
小走りにやってきたルインは、膝をついて手を差し伸べた。
「待たせたな、二人とも。帰ろう」
エルトを覗き込んだルインの顔には微かな笑みが浮かんでいたが、しかしとても疲れているように見え、エルトは一つ瞬きをした。差し伸べられた手を取ることはせず、じっとルインを見る。――彼は、彼が守り続けていた妹を殺してしまった。
(……止められなかった)
近しい人々を殺され、己も瀕死の傷を負わされながらも逃げ続けていたのは、ひとえに妹を殺めたくなかったからだろう。なのに今、ルインは同族を、妹を手に掛けた。
「ごめん……」
「何故エルトが謝るんだ。謝るのは私の方だ」
「俺の、せいで……ルイン……妹を」
「エルトのせいなんかじゃない。殺すしか手が無くなるまで逃げ続けていた私が悪い。もっと……やりようがあったのに」
ルインは言葉を切り、フラムへ顔を向けた。
「フラム、エルトの傷の具合は?」
「は……、はい。命に関わるようなものはある程度治療しましたが、これ以上は負担が大きすぎて魔法では無理です。すぐにでもちゃんと手当をして安静にしませんと」
「塔へ運ぶのは平気そうか?」
「ルインさんが飛ぶのでしたら大丈夫だと思います。馬車などでは危険かと」
頷き、ルインはエルトの肩に手をかけた。エルトはその手を押し返そうとして果たせず、小さくかぶりを振る。
「……直さな、きゃ……」
「なおす?」
「困るだろ、村の人……寒い、のに、今夜、どこで……っ」
言葉の途中でエルトは咳き込んだ。赤い塊を吐き出す。フラムが悲鳴のような声を上げた。
「喋らないで! 胸の骨が砕けていたんですよ、安静に!」
「っ……けほっ、直さない、と……直すしか……俺……何も、できない……」
「そんなことはない。エルトは私を救ってくれた。エルトに助けられて……、他人に親切にされたのは本当に久しぶりだった」
何故こんなときも相手を気遣うのだろうと、エルトは目を伏せた。双眸からぽろぽろと涙が零れ落ちる。おまえのせいだ、おまえが人質に取られなければと罵っていいのに、ルインは決してエルトを責めることはしないのだ。わかっているから、余計に苦しい。
「ごめん、な……」
謝っても何にもならないが、エルトには謝罪を繰り返すしか出来ない。時は戻らず、ただ後悔だけが重くのしかかる。
つと伸ばされた手が涙を拭い、やんわりと頭を抱かれる。
「少し休むといい。エルトは今、酷く疲れているんだ」
「……ごめん」
目を閉じると、新たに涙が零れる。このまま、溶けてなくなってしまいたかった。




