三章 2-1
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音は聞こえず、エルトには大気の震動に感じられた。一瞬の烈光が去ると、大地には家を一軒飲み込んでしまいそうな大穴が開き、三人はその端に折り重なるように倒れている。エルトまで巻き込まれなかったのは少女の後方にいたからだろう。少女は片手を振りながら不思議そうに首をかしげた。
「変ね、残っちゃった。ちょっと外したかしら」
さきほど蹴られた弾みでうつ伏せ転がったエルトは、なんとか頭を上げて震える息を吐き出した。喉の奥が痛むだけで、上手く声にならない。
「……っ」
三人とも、無茶な要求ばかりを押しつける迷惑な客だった。力尽くで追い出してやろうかと思うほど腹を立てたことは記憶に新しい。けれど、こんなところで理不尽に殺されていいはずがない。
(直撃じゃなかったなら、まだ息があるかも……)
至近距離であれだけの爆発が起きたのだから無傷では済まないだろうが、治癒術が間に合えばあるいはと、エルトは右手で上体を起こした。左腕は力を入れるだけで酷く痛み、使い物にならない。
「どこ行くの?」
「っあ……!」
右膝に激痛が走ってエルトは声を上げた。刃物でも刺されたのかと思ったが、躙るようにされて、膝裏を踏みつけられたのだと悟る。歯を食いしばって痛みをやり過ごしながら、半ば無意識に右手で地面を掻く。腕に続いて足も潰され、ますます身動きがとれない。
正面に移動した少女はしゃがんでエルトの顎を掴み、顔を上げさせた。
「勝手に動いちゃ駄目よ。鬼ごっこでもしたいの? 兄様の後で遊んであげるから、それまで我慢してね」
楽しげに微笑んで少女はぱっと手を放した。支えを失い、頬から地面に落ちる。凍るほどの温度の筈なのだが、最早、痛いとも冷たいとも感じない。
そのとき、周囲に複数の人影が降り立った。
「エレクトラ様」
エレクトラと呼ばれた少女は、ついでのようにエルトの腕を掴んで立ち上がると、周囲を見回した。中途半端に吊り上げられる格好になったエルトは呻くが、エレクトラに気にする様子はない。
「何よ。リーアは残るんじゃなかったの?」
新たに現れたのは、年齢も背格好もばらばらに見える男女が六人だった。その中の紅一点が代表するように口を開く。
「お一人では危のうございます」
「そんなわけないでしょ、相手はルイン兄様よ。スハイル兄様とは違うわ」
「なれど」
「んもう、しつこい。リーアの言うことは、いちいちつまんない」
女は少女のぼやきを黙殺した。
「その子供は?」
「兄様の知り合いみたい。一緒にいれば兄様が来そうじゃない?」
「餌ですか」
「そうよ、ちょっと実験。上手くいけば、今回兄様に逃げられちゃっても、次また同じ手が使えるわ。兄様のお友達を捜すのが大変だけど。兄様ったら、お友達が少ないんだもの。いつも一人で寂しくないのかしら」
ルインは来るだろうか、とエルトは疑問に思う。エレクトラの言うとおりルインの耳がいいなら、エルトの声は届いたはずだ。ならば、もうエルトは死体でも構わない。その可能性を思いつかないルインではないだろう。エレクトラがまだ気付いていないがゆえに、エルトは生かされている。
それに、ルインが殺される危険――エレクトラが西王になってしまう危険と、エルト一人を天秤にかければ、自ずと答えは出る。
(あー……どう足掻いても死ぬな、俺)
エルトは胸中で乾いた笑いを零した。少し機嫌を損ねただけであの三人を消し飛ばそうとしたエレクトラだ、エルトに人質の価値がないとわかれば殺すのを躊躇いはしないだろう。それに、この調子で連れ回されたら、早晩、限界が来る。エレクトラがエルトの無価値に気付くのが早いか、エルトの命が尽きるのが早いかといったところだ。
女は感情のこもらない声で問う。
「西でルイン様と親しくしていた者は、最早、殺し尽くしてしまったのではないですか」
「そう? そうかもね。こんなことなら生かしておくべきだったわ」
エレクトラはまるで、買い置きの数を勘違いしていたかのような軽い口調で言う。とても人の生き死にを話している様子ではなく、エルトは全力で首をかたむけて少女を見上げた。その表情に影は見られない。陶器人形めいた美しい顔は翳ることなどないようにすら思える。
エレクトラはぞんざいに手を振った。
「もうついてこないで」
「そうは参りません」
「ああそう。好きにすればいいわ。どうせあたしの方が速いんだから」
言い置いたエレクトラは地面を蹴ると、一気に上昇加速した。普通に考えれば身体への負担は相当なものになりそうだが、さきほども今も、エルトは負荷を感じない。
大穴と動かない三人は、あっという間に視界の外へ消えた。後続を引き放してエレクトラは東へ向かう。この先に何があるのだろうと考えて一つ思いつき、エルトは目を見開いた。
(まさか……)
塔から東の方角には、小さな集落がある。
エレクトラは、暇潰しにちょうどいい場所を見つけた、と言っていた。「ちょうどいい場所」が村のことだったらと青ざめたエルトは、思わず尋ねようとして、藪蛇を恐れて口を噤んだ。エレクトラの性情では、目的地が村でなくとも片手間に壊しに行きかねない。
「もうすぐよ」
楽しげなエレクトラの呟きを聞いて視線を上げれば、遠くに村が見えた。はじめはただの点にしか見えなかったが、みるみる近付いてくる。素通りしてくれというエルトの祈りも空しく、エレクトラは速度を緩めた。村の中心にある広場の上空でぴたりと止まる。
今日も天気が良くないので行き交う人は少ない。広場を見下ろし、エレクトラの形の良い唇が笑みを刷いた。
「ね、よく燃えそうでしょう」
「やめ――…」
声を出そうとして咳き込み、必死に呼吸を整えてエルトはエレクトラに縋る。
「やめて、くれ……」
まだ長くは生きていないエルトが、塔の次に長い時間を過ごしたのがこの村だ。祖母の代からの知り合いが大勢いるし、世話になった人もたくさんいる。犯罪すら滅多に起きない、ただ日々を穏やかに生きている人々の暮らしが、たった一人の気紛れで壊されようとしている。
「引っ張らないで。なんなの、急に」
「おまえの……目的は、ルインのはず……」
「だって兄様がなかなか来ないんだもの。あたし、待つのは嫌いなの」
エルトの言葉を皆まで聞かずに言って、エレクトラは左手に拳ほどの大きさの光の玉を浮かべた。三人を吹き飛ばしたときのものと同じそれにエルトは瞠目し、傷の痛みも忘れてエレクトラに掴みかかる。
「やめろ……!」
「きゃっ!」
反撃を想定していなかったらしいエレクトラは体勢を崩した。光球はあらぬ方向へ飛び、爆発を巻き起こした。爆風が村全体を揺らす。
「ちょっと、何するのよ。外れちゃったじゃないの」
エレクトラは苛立たしげに目を眇めると、膝をエルトの鳩尾に叩き込んだ。
「かは……」
「邪魔しないで」
周囲の音が遠のき、エルトの意識は闇に飲まれた。




