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三章 1

三章



 シエルたちは、繕工の塔を目指して歩いていた。

 天候が心配だったが、地面には融け残っている雪が凍り付いている程度で、幸い崩れることはない。

「繕工は、剣を直してくれてるかしら」

 隣を歩くメイアの言葉を聞いて、シエルは首をかしげる。

「どうだか。折れてない方だけでも直してくれてればいいな。もう片方は、仕方ないから普通の剣を使う」

「でも、それだと威力半減って感じよね。やっぱり魔王に責任取らせるべきじゃない? あいつが折ったんだから、破片探して取ってこいって」

「直ったら再戦だってわかってるのに、取ってくるわけないだろ」

「そこはほら、トロンの口車で」

 勝手なことを言うメイアへ、トロンが苦笑を向ける。

「嫌だな、人を大嘘つきみたいに」

「嘘つきとは言ってないじゃない、ただ口が上手いって……」

 途中で言葉を途切れさせると、メイアは頭上を指差して呟いた。

「……ねえ、あれ」

 シエルはメイアの指差す先へ目を遣り、人影が浮いているのを見つけて眉を寄せる。

「なんだ? 人?」

 トロンも見つけたようで、足を止めて首をかしげた。

「魔人、かな?」

 つられるように立ち止まったメイアが手を下ろし、身体ごとトロンを振り返る。

「魔人だとして、なんでこんなところに?」

「さあ? 何か用があるんじゃないのかな」

「そりゃ、用がなきゃわざわざこっちまでこないでしょうよ。そうじゃなくて、何やってんのかしらってこと」

「知らないよ。本人に訊いてくれ」

 二人のやり取りを聞きながら、シエルは上空に目を凝らした。人影は一人ではなく二人、片方は赤毛で片方は金髪であるように見える。

 影は三人に気付かれたことに気付いたように、高度を下げ始めた。徐々に細部まで確認できるようになり、シエルは目を見開いた。同じく気付いたらしいメイアが口元を押さえながら言う。

「ちょっと……まさか、メルヒオール……?」

「……みたいだな」

 赤毛の少女があまりにも無造作に提げているせいで、それが人間で、しかも知り合いであると気付くのが後れた。気を失っているのか、ぐったりと動かない金髪の少年は、紛れもなく見知った繕工だ。

 少女がすとんと着地して、彼女に吊り下げられているメルヒオールは地面に叩き付けられる。

「おい!」

 シエルは考えるよりも先に声を上げていた。それに反応したわけではないだろうが、メルヒオールが呻く。少女の掴んでいる左手首が妙な方向に曲がっていた。

 唖然としている三人には頓着せず、恐ろしいほど整った顔に笑みを浮かべた少女はきょろきょろと周囲を見回して、小鳥のように首をかたむけた。

「兄様は?」

 三人の中で一番早く硬直から脱したメイアが問い返す。

「に……兄様? 誰のことよ」

「知ってるんでしょう? あなたたちからも兄様の匂いがするもの。弱いけれどね。珍しいことは重なるのね」

「だから、なんのこと……」

「兄様を捜してるの。教えて、ルイン兄様に会ったんでしょう」

 聞き覚えのある名前が飛び出して、三人は同時に息を呑んだ。代表するようにトロンが言う。

「まさか……、魔王の妹なのか?」

「魔王とは何よ、蛮族のくせに失礼ね。ねえ、意地悪しないで教えて」

 シエルは頬を膨らませる少女を睨んだ。見目麗しく仕草は愛らしいのに、警戒を解く気にならない。これは危険なものだと肌で感じる。

「そんなことより、その子を放せ」

 少女の表情から笑みが消える。紅玉の双眸がすっと細められ、シエルを捉えた。

「そんなことより……?」

 怒気を(はら)んだ呟きに最初に反応したのはメルヒオールだった。掴まれていない右手をついて上体を起こし、それだけで精一杯だという風情で顔を上げる。

「――…っ」

 何か言いたげに動かした唇から零れたのは、声ではなく咳だった。二度、三度と力なく咳き込む度に朱色の飛沫が散るのを見て、シエルは剣に手をかけた。ウィルド・ノーリが手元にないのが今更ながらに悔やまれる。

「その子を放せ!」

 感情のままに怒鳴りながらシエルは剣を少女へ向ける。ほぼ同時にトロンとメイアも武器を構えた。

「いいわ、予備はもうあるもの」

 怒りに顔を歪ませた少女は意味不明のことを言い、つと左手を挙げた。その上に小さな光球が現れる。

「死んじゃえ」

「やめろ……!」

 少女が光球を放とうとした瞬間、メルヒオールが動いた。右腕を伸ばし、少女の足首を掴む。

「ちょっと! 何するのよ、邪魔しないで」

 少女は光球を消し、メルヒオールの肩を忌々しげに蹴りつけた。少年の手は簡単に足首から外れて落ち、動かなくなる。

「メルヒオール!」

 声を上げ、シエルは飛び出した。少女は新たな光球を作り出している。

「えい!」

 可愛らしい声と共に閃光が弾けた。


     *     *     *


 食堂に隠れて様子を(うかが)っていたフラムは、玄関へ走り出た。たった今出て行ったばかりなのに、既に二人の姿はどこにもない。

(どうしよう……どうしよう)

 エルトは少女に連れ去られてしまった。ルインはもうおらず、トロンたちには知らせる手段がない。あの少女はエルトに反撃を許さなかった。自分一人ではどうにもならないことはフラムにもわかるが、どうにかしなければ、何かしなければと気ばかり逸り、更に焦りを産む。

「リムさん! どこにいるんですか!」

 繕工の塔のもう一人の住人のことを思い出し、フラムは声を張り上げた。しかし、がらんとした吹き抜けに反響するばかりで返事はない。自分の声だけが木霊(こだま)して、この塔に一人でいることを痛いほどに自覚させられる。若草色の髪をした地霊は、自分の見た幻だったのだろうかと益体もないことが頭を過ぎり、フラムは静寂をかき消すために再び叫んだ。

「リムさん、お願いです! エルトさんが(さら)われたんです! 出てきて――」

「――…!」

 エルトの悲鳴が聞こえて、フラムは言葉の途中ではっと顔を上げた。

(上……外? ――屋上!)

 矢も楯もたまらず、フラムは駆け出す。一息に階段を駆け上がり、掛け金を外すのももどかしく屋上へ続く天井の扉を押し上げる。

「エルトさん!」

 呼びながら屋上へ出て、風の強さによろめいた。首を巡らせ、東の空に二人の人影を見つけてフラムは目を見張る。既に指先ほどの大きさにしか見えず、程なくして小さな点になって消えた。

 呆然とその方角を見つめ、一際強い風が吹き付けてフラムは我に返った。ぼんやりしている場合ではない。エルトが連れ去られたのを知っているのは自分しかいないのだから、誰かに知らせて助けに行かねばならない。

(みんながこっちに向かってくれてたら、途中で会えるかも……。ああもう、ルインさんはなんで出て行っちゃったの?)

 少女が探しに来たのはルインなのだから、留まっていればエルトが攫われることはなかったはずだと、八つ当たり半分で罵りながらフラムは急いで階段を下りる。地階まで辿り着いたところで、頭上から破壊音が降ってきた。

 今度はなんだと、フラムは今し方、降りてきたばかりの吹き抜けを振り仰ぐ。落ちてくる破片に眼を細めながら見れば、屋上から飛び込んできたのは見覚えのある姿だった。

「……ルインさん!?」

 屋上を壊して入って来たのは、出て行ったとばかり思っていたルインだった。彼は無造作に階段の手摺りを乗り越え、破片の後を追うように飛び降りる。

「危な……!」

 五階の高さから飛び降りるルインにフラムは思わず声を上げるが、彼は難なく着地した。唖然としているフラムへ顔を向け、短く問う。

「エルトは?」

 何故戻ってきたのかとか、異変があったのを知っている様子なのはどうしてなのかとか、疑問はあったがすべて脇に退けて、フラムは外を指差した。今はエルトを追うのが先だ。

「お、女の人が来て、連れて行かれちゃいました。ついさっきです」

 頷き、ルインは塔の出入り口へ向かって歩き出した。歩幅が足りずに小走りになるフラムに一瞥(いちべつ)もくれず、更に尋ねる。

「どこへ行った?」

「わかりません。けど、東の方へ……」

 それだけで十分だとばかりに、皆まで聞かずルインは大扉を蹴り開けた。フラムの力では片方を動かすだけで精一杯の分厚い扉が、両方とも外側に弾け飛ぶ。その、雑を通り越した乱暴さに驚いてルインを見上げ、フラムは(すく)んだ。

 表情は普段とあまり変わらないのに、ルインの纏う空気は氷の刃のようだ。以前、フラムたちが戦うために相対したときですら、ここまでの威圧感はなかった。だが今は、声をかけることはおろか、近付くことすら躊躇われる。

 ルインは外に出ると東の方角を見上げた。そのままいなくなってしまいそうだったので、フラムは怯えや驚き、戸惑いなどを抑え込んでルインの腕にとりついた。

「ま、待って!」

 驚いた様子で見下ろしてくるルインを必死に見上げ、フラムは言葉を紡ぐ。

「待ってください、僕も一緒に」

「危険だ。ここにいろ」

「お願いです、連れて行って」

「邪魔だ」

 ルインは話を聞かずに切り捨てる。どうにか食い下がらなければと、咄嗟にフラムは声を上げた。

「でも……、そうだ、治癒術!」

「何?」

「ルインさん、治癒術は使えますか」

「使えないが」

「多分、エルトさんは怪我してます。治療が必要です!」

 ルインの双眸に迷いが浮かび、もう一押しだとフラムは続けた。

「邪魔はしません、隠れてます。すぐにエルトさんと逃げるとお約束します!」

 一呼吸ほどの間を置いて、ルインは躊躇いがちに頷いた。

「……わかった。きてくれ」

「はい!」

「飛ぶ。掴まれ」

「は……」

 返事をする前にルインが片腕でフラムを抱き上げ、足下を蹴った。急上昇を予想してフラムは強く口と目を閉じるが、頬を撫でる風すらない。

「……?」

 恐る恐る目を開ければ、眼下を信じられない速度で景色が流れていく。だが、フラムとルインの周囲は透明な膜に隔てられているかのように、微風一つ起きていない。

(凄い……これならどこまでも行けそう)

 胸中で感嘆しながらフラムは前方へ視線を向けた。エルトと少女の姿は見えない。

 小さく息を呑む気配がして、フラムはルインを見上げた。

「どうしました?」

「光が……」

「光?」

「……なんでもない」

 まったくなんでもなくはなさそうなのだが、穿鑿するのは躊躇われてフラムは口を噤んだ。ルインにしがみつき、エルトが無事であるようにと、それだけを祈る。

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