二章 4-2
辞去を告げる都合もあるので、ルインはフラムと共に書庫へ向かい、扉を叩くが返事がない。鍵はかかっていないようなので、ルインはそっと扉を押し開けた。室内は暗く、明かりのある方へ首を巡らせれば、閲覧台でエルトが書物を捲っていた。集中しすぎて周囲の音が聞こえていないようなので、ルインは歩み寄って声をかける。
「エルト」
「ん? ……あれ、やっぱり魔法の効きが悪かったか」
没頭するあまり、夜が明けたことに気付いていないらしい。本を守るためだろう、窓が塞がれている部屋にいたのでは無理もないと、ルインは苦笑しつつ告げた。
「もう朝だぞ」
「へ? ええ!? ――うわ、ほんとだ」
書庫の外に顔を出したエルトは、眩しげに顔を顰めた。欠伸をしながら大きく伸びをする。
「気付かなかった……腹減るわけだ。二人とも、朝飯は?」
ルインとフラムがそろって首を左右に振ると、エルトは頷いて階段へ向かった。
「んじゃ、何か作るわ。できたら呼ぶよ」
「……あ」
話を切り出す前にエルトが行ってしまい、ルインは言いかけた言葉を飲み込んだ。仕方がないので、朝食の時に言うことにする。
どちらからともなく階段へ向かい、フラムがルインを見上げて小首をかしげた。
「エルトさん、昨夜は徹夜だったんでしょうか」
「そのようだな。フラムもだろう?」
「はい。でも、おかげで今まで疑問だったことがいくつか解消しました」
嬉しそうに言うフラムへ、ルインも笑みを返す。止める仲間を振り切ってきたのだろうから、何か身についたのならよかったと思う。
食堂に向かうのと思いきや、フラムは逆にある居間へ向かった。特に何も考えずにルインは彼女について行く。
居間のテーブルは、半分を折れた双剣に、もう半分を積み上げられた書物に占拠されていた。フラムが本を片付け出し、邪魔になりそうな剣を退けようとルインは双剣の片方に手をかけた。
「……?」
柄に触れた瞬間、鍔に刻まれている文様が光ったような気がして、ルインは手元に視線を落とした。剣を持ち上げてよく見てみると、確かにぼんやりと光っている。
「フラム、この剣だが……」
「はい?」
本を種類別に分けていたフラムが顔を上げた瞬間、剣が強い光を放った。ルインは咄嗟に目を庇う。本が崩れる音とフラムの悲鳴が聞こえる。
瞼越しにも眼球を焼くような光は一呼吸ほどで収まった。そろそろと目を開け、己が手にしているものにルインは目を疑った。
「な……」
「ウィルド・ノーリが……!」
フラムが声を上げ、これは自分一人が見ている幻の類ではないらしいと、ルインは剣を両手に持ち替えた。
(なんだ……これは)
ウィルド・ノーリは、意匠はそのままに長剣に変じていた。双剣のもう片方は消えており、ルインの手に現れた剣には元の双剣にあったような瑕疵は見受けられない。
「どういうことだ……持ち主は、あの少年ではなかったのか?」
「ぼ、僕、エルトさん呼んできます!」
ぽかんと立ち尽くしていたフラムは、我に返った様子であたふたと部屋を出て行った。代わりのように頭上から声が降る。
「あら、選ばれちゃったのね」
いつもの如く唐突に現れた少女を見上げ、ルインは問う代わりに剣を翳して見せた。武芸は殆ど我流であるルインの、唯一まともに使える武器が剣である。
「ウィルド・ノーリは変幻自在よ。選んだ相手が一番扱いやすい形に変わるわ」
「持ち主は既にいるだろう」
「誰にでも使えるわけじゃないけど、誰か一人だけってわけでもないわ」
「では、これをあの少年に返せば双剣に戻るのか?」
「そうなんじゃない? ま、ルインもウィルド・ノーリのお眼鏡にかなったってことよ」
リムが楽しげに言ったところで、エルトがばたばたと駆け込んできた。よほど慌てているらしく、片手に玉杓子を持ったままである。
「ま……」
言葉にならない声を出したエルトは、長剣を携えたルインの姿を見て、テーブルを見て、またルインを見て凍り付いた。待つことしばし、そこだけ時間が止まったかのように動かないのが少々心配になってきた頃に、エルトはようやく硬直から回復した。関節が錆付いた全身鎧を着せられたような動きでルインに歩み寄り、泣くのを堪えて無理矢理笑ったような表情を浮かべた。
「……ルインの剣なんだろ」
「え?」
戸惑うルインの手から剣をもぎ取り、予想外の重さだったのかエルトはよろめいた。しかし取り落とすことはなく剣をテーブルに下ろす。そして、今度はルインの腕に縋って懇願する様子で見上げてくる。
「これは、ルインの、剣なんだろ?」
エルトの金色の双眸に茶化す色は一切なく、恐ろしいほど真剣な光を湛えている。初めて眼にする必死さに気圧されてルインは思わず頷いてしまう。
「……あ、ああ」
「嘘はいけないわ、ルイン。それはウィルド・ノーリ……」
「リムさんはちょっと黙って!」
叫ぶ勢いでで言うエルトに、リムはくるりと宙返りをして応えた。
「黙ってもいいけど、ウィルド・ノーリは消えないわよ」
「そうだ、飯だ。腹減ってるから幻覚が見えるんだ。あと寝不足。――そうか、これは夢だな? 俺は悪い夢を見てるんだ、そうかそうか、そうだよな、伝説の存在が伝説の存在を扱うなんてそんな、そんなお伽噺みたいなことがあってたまるかってんだ俺の周りでばっかり!」
噛み合わない会話の中、一人だけ楽しそうなリムはにこにこと言う。
「むしろエルトの周りだからって発想にはならないのが不思議ね」
「俺のせいであってたまるか! 俺はただ静かに暮らしたいだけだって、何回も言ってるだろ!」
「エルトの意志は関係ないわ、エルトの存在が呼ぶんだもの」
「だーかーらーああああ!」
声を上げるエルトの肩を、ルインは軽く叩いた。エルトは叫ぶのをやめて肩越しに振り返る。
「……なんだ?」
「世話になった。剣は私が持っていく。あの三人にはそう伝えてくれ」
告げれば、きょとんとしていたエルトは顔を強張らせる。
「な……なんでそんな話になるんだよ。あんたに出て行けとは言ってないだろ」
ふわりと宙を漂い、ルインの隣に移動したリムはにっこりと笑う。
「一番早い解決法だと思うわよ。関わりたくないんでしょ、原因に丸ごといなくなって貰えばいいじゃない」
「で、でも、ルインはまだ……」
「怪我はとっくに治ってるみたいよ。力も、そうね……五分って感じかしら。西に戻るには十分ね」
「…………」
エルトは無言で、確かめるようにルインを見上げた。ルインはリムの言葉を首肯する。
双方無言でしばらく見つめ合うようなかたちになり、不意にエルトの瞳からすっと力がなくなった。代わりに諦めの色が浮かぶ。
「……好きにしろよ。元気でな」
言い置いてエルトは部屋を出て行く。ルインは追うことはしなかった。リムも動かず、フラムだけがおろおろと両者を見比べ、エルトの後をついて行った。
遠くから食堂の扉が閉まる音がして、リムが顔を覗き込んでくる。
「よかったの?」
「ああ。私がいなくなれば、ここに妹が来ることはないだろう」
「そうかしら」
「来ても居場所を尋ねるくらいしかできない。――剣のことはすまなく思うが」
「どうしてすまないのよ」
「彼らが受け取りに来て、なくなっていたとなれば一悶着あるだろう。私が持っていったというのを、素直に信じてくれればいいが」
「ああ、そういうこと。気にすることないわ、ウィルド・ノーリは元々、消えるものだもの」
「消える?」
「役目を果たすと消えるの。いつの間にかね」
「……なるほど」
ウィルド・ノーリが健在ならば、その後の歴史にも残っていそうなものだが、そういう話は聞かないし、文献に記述も見受けられない。登場するのは例外なく一度きりなのだ。
「だが、私が持ち去った後に消えるのと、彼らの手にあるうちに消えるのでは、大分違う」
「そこまでは知らないわよ。使い手の揉め事まで配慮してられないんでしょ」
放り投げるように言ってから、リムはルインの双眸を覗き込む。
「ウィルド・ノーリは、勝算のない賭はしないの」
「なるほど、私に自害しろということか」
気紛れな自称地霊が初めて顔を強ばらせ、瞠目したのを見て、ルインは何がしかの溜飲を下げた。
「冗談だ」
「……全っ然、面白くない」
膨れるリムに笑みを返し、ルインは剣を逆手に持ち替えた。
剣が魔物に故郷を潰された少年を選んだのは、彼が恨みを糧に多数の西の生き物を殺し、当時の西王に辿り着く可能性が高かったからだろう。しかし、先代――スハイルを殺したのはウィルド・ノーリを手にしたシエルではなく、エレクトラだった。スハイルが死んでもウィルド・ノーリは消えず、今ルインを選んだ意図は、おそらく一つしかない。
「エレクトラを、迎え撃てと」
「ウィルド・ノーリがあなたを選んだんだもの。ルインの好きに使っていいのよ」
答えにならないことを言い、リムは微笑んだ。何を尋ねてもはぐらかされそうだと思い、ルインは話を切り上げることにした。
「エルトに、私が礼を言っていたと伝えてくれないか」
「わかったわ」
「リムさんも、ありがとう」
「どういたしまして。気を付けてね」
言い置いてルムは姿を消した。ルインは剣を手に出口へ向かう。また邪魔が入るかと警戒したが、そんなことはなく、すんなりと塔から出ることができた。
(……西へ戻るか)
エレクトラは追って来るだろう。彼女と戦うことを考えても、西の方が地理に明るい分、被害を抑えることができる。
「――…」
一つ息をつき、ルインは地面を蹴った。振り返ることはしなかった。




