二章 3-1
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夜更け、フラムの質問攻めからようやく解放されたエルトは、自室へ引き上げようとふらふらと階段を上った。フラムはまだ居間で本を捲っている。根を詰めるなと言っても聞く耳を持たず、今夜は眠るつもりはないらしい。
「ふあ……」
欠伸を噛み殺しながら階段に足をかけたところで、上の方から扉が開く音が聞こえた。見上げれば、ルインが部屋に入るところだった。
(足音しなかったぞ……つか、こんな夜中まであの野郎、怪我人っつう自覚あんのか)
顔を顰めつつ階段を上り、客間の扉を叩く。ややあって扉が開いてルインが顔を出した。
「どうした?」
「どうしたはこっちの台詞だっての。夜中に何うろついてんだよ、しかも寝間着で。寝ろよ、病み上がり」
「病ではないんだが……エルトこそ、こんな時間まで」
「細かいことは気にすんな。俺は健康だからいいんだよ、話逸らすな」
「……眠れなかったんだ」
「根性で寝ろ。ほらほら」
エルトが追い遣るように手を振ると、ルインは素直に寝台の端に腰掛けた。しかし横になろうとしないので、エルトは寝台の横に移動させたままになっている椅子に座った。眠るまで張り付いていてやろうかとすら思う。
「眠れないくらい妹さんが来るのが心配か?」
「そういうわけでは……」
「大丈夫だってば。壁があるっつったろ、目には見えないけど」
「……ああ」
ルインは頷くが、納得はしていないのだろう、複雑そうな顔をしている。殺されかけたのだから警戒するのも当然かと、エルトは小さく息をついた。ずっと気にかかっているらしい妹のことを問うてみる。
「妹さんも飛べるのか?」
意外そうな表情でルインは顔を上げ、首肯した。エルトも頷き返し、組んだ足に肘を乗せて頬杖をつく。鳥のように飛べるのであれば海や山があっても越えてくるのだろうし、追われる側としては厄介なことこの上ない。
「飛べるとしても、大陸は広いぞ。そのなかでルイン一人を見つけ出すって、砂漠で砂金を探すようなもんじゃねえか」
「いや……妹はどうも、私の気配のようなものがわかるらしい。そんなに精度は高くないようだが、私のいる方角は漠然と察知できるようだ」
「漠然とだろ? 見つからなければそのうち諦めんじゃねえの」
「諦めることは……、よほどのことがない限り、ないと思う」
無意識だろう、ルインは言いながら自らの左胸に手を遣った。
「妹が王になるには私が死ぬしかないから」
「ルインが死ねば妹さんに、その……左胸のやつが出る?」
「そう。西王の証だ。ただ『印』と呼ばれている」
改めて本人の口から止めを刺され、エルトは両手で頭を抱えた。
「やっぱり、若気の至りの刺青とか、異様に複雑な火傷の痕とか……では、ないんだな?」
エルトのたとえがおかしかったのか、ルインの唇が微かに笑みを刷く。
「そうならよかったんだが」
微笑んでいるはずのルインの顔が酷く悲しげに見えて、エルトは急いで言葉を繋いだ。
「なんか、もっと平和的な解決方法はないのかよ。話し合いで譲れば?」
「西王に禅譲はない。簒奪だけだ」
断言され、エルトは瞠目した。政には縁遠い身なので疎いが、その言葉の意味するところは知識として知っている。
「なんで……?」
驚きのままに問い返せば、逡巡する素振りを見せてから、ルインは躊躇いがちに言った。
「少し長くなるが……」
「いい。聞かせろ。あ、でもその前に上になんか着ろ。寒々しい」
言いながらエルトは立ち上がって上着を取りに行った。両親の部屋へ向かい、箪笥から父の室内用の上着を引っ張り出す。
眠れと言っておいて話を聞きたがるのは本末転倒だが、話しているうちに眠気が訪れるかも知れないと、エルトは胸中で誰にともなく言い訳をする。
(簒奪だけって、どんだけ殺伐としてんだよ西は)
人間の国家とて、権謀術数渦巻く泥沼の権力争いが繰り広げられているところも多数あるだろうが、円満に世代交代する国も皆無ではない。少なくとも、玉座を奪いたいのであれば必ず殺さなければならないということはないはずだ。
(腹違いとはいえ、妹が殺しにくる? 王様になりたいってだけで?)
理解できず、エルトはかぶりを振った。妹にも何か事情があるのかもしれないが、どんな理由があっても、肉親を殺そうとするというのがエルトにはわからない。同時に、誰に対しても殺意のような感情を抱いたことのない自分は、恵まれているのかも知れないと思った。
ルインの部屋に戻り、エルトは彼に持ってきた上着を放った。
「ほら」
「すまない」
袖を通さず上着を肩に羽織ったルインは、一つ息をついて迷うように首をかたむける。
「どこから話せばいいのか……」
「いっそ最初から話せって。俺、西のことなんてさっぱりだから」
ルインは頷き、口を開いた。
「国家が複数存在し、それぞれに王や指導者がいる東と違って、西には王が一人しかいない。王という位ではなく、役割と言った方が正確だな」
淡々と話しながらルインは右手を左胸に当てた。
「『これ』は、下位種族に絶対的な命令権を持つ者の証だ。――西には知能も姿もばらばらの種族がたくさんいる。力はそれぞれだが、知能は人の姿に近いほど高い。『これ』はおそらく、意思の疎通ができないものたちを纏めるのに必要な力だったのだろう」
「西の生き物は、あんたの言葉には逆らえないってことか?」
「すべてではない。ある程度の知能以下――言葉を解さない獣たちが主だ。言葉が通じないのに言うことを聞くというのもおかしな話だが、何か人智の及ばない力がそうさせるのだろう。……そして、『これ』は持ち主の死以外で他人へ渡ることがない。王になろうと思ったら、自分に順番が回ってくるまで延々殺し続けるしかない。『祖』と呼ばれる、最初の西王に血の近い順に移るから、王に血筋が近いなら一人二人で済むが……」
想像してしまい、エルトは顔を顰めた。
「うわあ……遠かったら目もあてらんねえな。ってことは、退位したくても自分の意志じゃどうにもならないのか?」
「ああ。譲りたければ死ぬしかない」
「……ひっでぇ制度」
思ったことをそのまま告げれば、ルインは苦笑めいた表情になった。
「先代の西王は私の異母兄だった。戦の終わりに死んで、私へ移った。私の他のきょうだいは異母妹のみだから、次の王はエレクトラ……妹だろう」
「あんたの妹なら、さぞかし美人なんだろうな」
返す言葉も見つからず、まったく関係のないことを口にすれば、ルインは真顔のまま首肯した。
「手の施しようがないくらいに」
「……その褒め言葉、おかしくね? つか、褒めてんのかそれは」
「他に言いようがない。――妹は、再び戦をしたがっている」
戦をしたがっているとは聞き捨てならず、エルトは眉を寄せた。
「妹さんも、世界の覇権は西のものーとか、そういうクチか? たしか、前の戦の発端はそれだろ」
「いや、彼女は権力などには興味がない。ただ破壊と殺戮が好きなだけだ。だから余計に始末が悪い」
「まさか、東の人間を根絶やしにとか思ってんじゃねえだろうな」
「まさにそうだ。殺し尽くすまで殺そうと考えている。その途中で自分が死んでもいいと」
「ああ……手に負えないって、そういう……」
言葉の意味を理解し、エルトは納得した。ルインも小さく頷く。
「妹にとって、命はとても軽い。他者は『自分を楽しませる玩具』程度の認識しかなく、また、そう考えることになんの疑問も抱いていない。東を滅ぼして、その後に妹の命があったとすれば、次は西だ。絶対的な命令権を手にしているのだから、同族どうしで殺し合わせても不思議はない」
「待て。なんだその破滅一直線の思考は。世界を滅ぼすために生まれてきたのか?」
「存外そうかもしれないな」
エルトは軽口のつもりだったのだが、ルインは真剣に頷いた。




