二章 2
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居間の扉の隙間から明かりが漏れていることに気付き、エルトはそちらへ足を向けた。覗き込めば、フラムがランプの明かりを頼りに何やら手を動かしている。書庫から持ち出してきた本は閉じられたまま積まれていた。
「何やってんだ?」
声をかけながら歩み寄れば、フラムは手を止めて顔を上げた。右手は針を、左手にはエルトの服を持っている。
「それ、俺の……」
「あ、すみません、勝手に。ほつれていたので」
「いや……ありがたいけど」
明日には三人が戻ってくるので、それまでに少しでも本を読みたいとフラムは言っていた。ならばエルトの服など気にせずに読めばいいのにと思う。
言葉が続かずに首を巡らせたエルトは、暖炉に火が入っていないことに気付いた。まだ空気はほんのりと暖かいが、今の季節に火の気のない部屋で一晩過ごすのは自殺行為に近い。凍死まではいかなくとも風邪をひかれたら困るので、エルトは火を入れてやった。すると、針山に針を戻したフラムが慌てた様子で立ち上がる。
「あ、だ、大丈夫です、そんなに寒くありませんから」
「今はな。でも、夜は冷えるんだ。部屋の中でも氷が張るくらいに」
「すみません……」
「気にすんな、おまえのためじゃない。放っといて風邪でもひかれたら、おまえの連れに何言われるかわからないからな。――それ、リムさんか?」
広げられている裁縫道具を指差して尋ねると、フラムは首肯した。
「はい、教えてくれました」
「ふうん……随分気に入られたもんだな」
「そうなんですか?」
「あの人、興味ない相手の前には、まったく出てこないんだ。見えないから意味ないなんて言ってたけど。何が違うんだろうな、見えるのと見えないのって」
会話が途切れ、フラムは針仕事に戻った。ちくちくと縫い進め、玉留めをして歯でぷつりと糸を切る。
「できました」
差し出されたそれを受け取り、エルトはフラムが縫っていた袖口を翳してみた。ほつれていたのがわからないほど綺麗に直っている。ほつれに気付いていたが、面倒なので長いこと放っておいたのだ。針仕事ができないわけではないが、得意ではない。
「上手いな。ありがと」
告げれば、フラムは一度目を瞬いた後に嬉しそうに微笑んだ。
「どういたしまして」
今のフラムは男には見えないと思い、そのことに、わけのわからない後ろめたさを覚えてエルトは目を逸らした。
(そんな顔もできるんじゃねえか)
長椅子の端にきちんと畳まれた洗濯物が視界に入る。エルトは畳んだ覚えがないので、ルインかフラムだろう。フラムの隣に自分の洗濯物という構図が妙に気恥ずかしくなり、エルトは今受け取った服と洗濯物を纏めて別の椅子に移動した。自分はその隣の椅子に腰掛ける。
(……いや、座る必要ないだろ俺)
洗濯物を持って部屋を出れば良かったことに座ってから思い至り、エルトは無意味に手を上げ下げした。それを見たフラムが不思議そうな顔になる。
「どうかしましたか?」
「なんでもない。……その、洗濯物畳んでくれたの、フラムか?」
「はい。余計なことかも知れないと思ったんですけど」
「いいや。――悪かったな」
「とんでもないです。無理を言ってお世話になってるんですから、これくらいは」
言い回しが引っかかり、エルトは一応釘を刺しておくことにした。
「……言っとくが、あいつらが帰ってくるまでだぞ」
「ふふふ、諦めませんよ」
何が楽しいのか、フラムはにこにこと笑っている。
「フラムの魔法の師匠は誰なんだ?」
興味本位で訪ねれば、裁縫箱の蓋を閉めたフラムは、少し考える素振りを見せてから躊躇いがちに口を開いた。
「……独学です」
「へえ。なんか意外だな」
「そうですか?」
「魔法って遺伝するから、親のどっちかか両方が魔法使いってのが多いんだ。親じゃなくても、じいさんばあさんとか」
「それでしたら、ぼ……わたしは、母が」
「教わらなかったのか?」
言葉を選ぶような間を置いてフラムは喋る。
「……基礎を少しだけ。魔法を学ぶと言うよりは、暴走させないためにって感じでした。わたし、少し前までは……魔導士になるつもりはなかったので」
魔法の素質があっても魔導士の道へ進まない者は結構いる。だが、魔導士になるつもりがなかったフラムが現在、魔導士を名乗っているのは、どういう事情があったのかは気になった。
(これしか取り柄がない、みたいなこと言ってたっけな……)
考えながら、テーブルに並んだ折れたペンと、女性や子供でも扱えそうな護身用のナイフに目を留め、エルトは眉を寄せた。ペンはともかく、ナイフはいただけない。
「……自分を実験台にしようってんじゃねえだろうな?」
軽く睨めば、フラムは、しまったとでも言いたげに顔を顰め、上目遣いで窺うようにエルトを見た。
「駄目……でしたか?」
「だっ……」
(落ち着け俺! 今は夜中だ!)
反射的に怒鳴りつけそうになり、エルトは辛うじて声を飲み込んだ。師がいないのであれば、学び方を知らなくても仕方がないと無理矢理己を納得させる。
「……治癒術の練習してるんだったら、効率悪いぞ。自分に治癒術はかけづらいから」
「何故です?」
「集中力の問題。どっか痛いと気が散るだろ」
「ああ、だから『かけづらい』ですか。『かけられない』じゃなくて」
「そう。個人差がある。痛くても集中できればいいわけだから」
話を結び、エルトは片手を伸ばした。それに目を落としてフラムは首をかたむける。
「……?」
「手。見せろ」
「え、いえ、大丈夫です」
「いいから」
「は、はい……」
おずおずと差し出されたフラムの左手を取り、指先に小さな切り傷を見つけて治してやる。いつもならば、この程度の傷に治癒術は使わない。だが今は、手本を見せようと思った。
「ありがとうございます。凄いですね」
「別に普通だ。ったく、いくら治癒術を練習したいからって、自分の指切るやつがいるか」
「ナイフはちゃんと消毒しました」
「そういうことじゃねえよ」
目を瞬いたフラムが何か言う前に、エルトは折れた羽根ペンを摘み上げた。
「で、これは繕理術の残骸か」
「あ、ええ……でも、そろそろ買い換えようと思っていたものですから」
彼女の言うとおり、限界まで削られたペン先は潰れかかっていた。エルトはそれも含めて直してやる。
「消耗品は直さない主義なんだが、特別な。あと、ペン先は直らないぞ」
削り取った部分があれば別だが、それがなければ元どおりにはならない。折れた部分だけが繋がったペンを受け取り、フラムは複雑な表情で目を伏せた。
「ありがとうございます。……僕、じゃない、わたしには、上手くいきませんでした。やっぱり繕理術の適性がないようです」
「諦め早すぎじゃね?」
「でも……わたしはもともと、魔法の才能はあまり……」
ぼそぼそと言い訳じみたことを呟いて俯いてしまうフラムに、エルトは息をついた。
「……あのな。才能のあるなしなんて、死ぬほどやってみなきゃわかんねえんだって。大抵のことは努力でなんとかなるんだ。毎日、血反吐吐くまで訓練すれば、人の身で死神と呼ばれるようにもなる」
「死神、ですか?」
頭にはたった一人で一個師団を跳ね返したという祖母――初代メルヒオールの伝説の一つが浮かんでいたのだが、エルトは直接知らないので口に出すのはやめた。
「いや、そんなのはいいんだ。死ぬほどやってみたか? まだだろ? なら、才能がないなんてわかるわけない」
フラムは束の間ぽかんとエルトを見つめ、何故か嬉しそうに笑んだ。
「……メルヒオールさんは、優しい人ですね」
「はあ!? ど……どこが、誰が! 今のはむしろ……、残酷なこと言うなって怒るとこだろ」
死ぬ思いをするまで努力を続けた人間が、己には適性がないと認めて手を引くことの辛さは、想像を絶する。身近にそういう人間がいただけに、経験したことのない自分が軽々しく語っていいものかと、エルトは両手を握り合わせた。
(努力しなければ、実にはならない……でも、努力だけじゃどうしようもないこともある)
父の唯一の弟子。エルトより十も年上の、努力家で勤勉な女性。魔法の才能に恵まれながら、ただ一つ、繕理術の適性がなかった。
彼女はエルトが物心つく前から塔にいて、繕工稼業に忙殺されていた両親の代わりにエルトの面倒を見てくれていたので、共に過ごした時間は親より長いかも知れない。おかげで、一時は本当の姉だと思い込んでいた。
自分の勉強や研究の合間に家事をしていた――その逆だったのかも知れないが――彼女の愚痴や弱音を、エルトは聞いたことがない。けれど、だからこそ、幼いエルトが繕理術を使えるというのを知った彼女の、「やっぱり血なのか」という呟きが忘れられない。
これ以上思い出してはいけないと、エルトは慌てて振り払った。気を紛らわすために、積んである本を一冊取ってページを捲る。
「繕理術なんて、多分この先一〇〇年もかからずになくなると思うぞ」
「そうですか? 便利だと思いますけど」
「便利だけど制約もある。そもそも使い手が減ってるし、直るかどうかは完全に術者の腕だからな。なら、いるかどうかわからない術者を捜して、直るかどうかわからないものを託すよりも、普通の修理をした方がいいだろ」
「コップを割ったら、二度と元には戻りませんよ」
「消耗品は買い直せ。もしくは他ので代用しろ。それでなくちゃいけなくて、完璧に元どおりにしなきゃならないものなんて、実はそんなにないもんだ」
これは、父の言葉でもあり、エルトが繕工を継いで実感したことでもある。物品に限れば、代わりがまったくきかないものなど滅多にない。
「形あるものはいつか壊れる。けど、モノが壊れても思い出は残る」
「素敵ですね」
「受け売りだ。でもまあ、それが真理なんじゃないか」
まったく頭に入らないまま頁を捲っているだけだった手を止め、エルトはふと思いついたことを尋ねた。
「もしかしてフラムは魔導士じゃなくて、医者になるつもりだったのか?」
「……どうしてですか?」
「さっき、自分の傷よりナイフの消毒を気にしたからさ。昼間、俺が本に埋まったときも、やたら慌ててたな。頭は油断できないとかなんとか」
フラムは瞠目し、小さく首を左右に振った。
「いえ……、今《|は違います」
「今は?」
思わず問い返せば、フラムは困ったように眉を下げて顔を伏せた。余計な穿鑿だったかとエルトは取り消す。
「悪い。話したくないなら――」
「いいえ。……父が医者だったんです。母はその助手をしてました。その影響で、わたしも医者になろうと思ってました」
「……そうか」
フラムはそれきり黙ってしまい、エルトも話を続けられなくて奇妙な沈黙が落ちる。過去形で語られるそれは楽しい話であるわけがないのに、軽々しく訊いてしまったことが悔やまれる。
(余計なことを……くそ)
胸中で己の迂闊さを呪っていると、フラムは気を取り直した様子で顔を上げた。積んである本に手を伸ばし、頁を開く。
「……どこまで読んだ?」
「え?」
「闇雲に読んでたわけじゃねえだろ。魔法っつってもいろいろあるし、フラムは何を知りたいんだ」
きょとんとしていたフラムは、みるみる顔を輝かせた。
「教えてくれるんですか!?」
「少しだけな。人に教えるのは本当に苦手……」
「じゃあ、これの十章と、こっちの五部の解釈……あ、そっちのも!」
「待て。聞け。あと、順番に一つずつ言え」
小さな罪滅ぼしのつもりだったのだが、さきほどとは別の意味で余計なことを言ってしまっただろうかと、エルトは胸中で嘆息した。だが、フラムが元気になったようなのでいいことにしようと思う。




