伝染病(5)
ブリューテは、グリューネバルト伯爵夫人から贈られたヴェルギールの馬だ。『花』という意味の名前だが、ブリューテは牡馬である。一頭だけいた牝馬はマクシミリアンの馬になった。
ヴェルはアレクより先にこの場に駆けつけていたが、いつの間にかいなくなっていた。
今、文字通り駆けつけて来たヴェルギールの後ろにはリーリアが横向きに座り、ヴェルギールの背中にしがみついている。
二人はアレクと団長の前で止まると、馬から飛び降りた。
「ヴェルと一緒にグリューネバルト邸に行って来て、ウィンクラー夫人に伯爵夫人宛ての手紙を一筆書いてもらったの。」
とリーリアは言った。アレクはリーリアに尋ねた。
「手紙?何の?」
「こんな所で揉めていても時間の無駄よ。王都の人間が助けてくれないなら、絶対助けてくれそうな地方貴族に頼った方がいい。グリューネバルト伯爵夫人に頼んで、薬と食料を王都に届けてもらうの。」
それはアレクも思っていた。あの伯爵の妻だ。グリューネバルト伯爵夫人が王都にいてくださったら助けになってくださったかもしれない。と。
「しかし、グリューネバルト領まで馬で3日かかる。それから支援物資をかき集めるのに約2日。支援物資は船で運ばないとならないから海路に4日かかる。合計9日だ。時間がかかり過ぎる。」
「順番を変えればいいのよ。」
とリーリアは言った。
「順番を変える?」
リーリアは周囲をキョロキョロと見回し声をひそめて言った。
「支援物資を先に運び込んで、手紙は後から届けるの。」
「は?」
「手紙は誰かにグリューネバルト領まで届けてもらう。それとは別に私がラングーンまで行って、ラングーンにあるグリューネバルト領経営の商会が備蓄している食料を持って来るの。薬は現地で買うしかないわね。王都からラングーンまで2日。往復で4日。買い物はできる限り急いで1日で済ます。合計5日よ。」
ラングーンは王都を流れる河を下り、海と交わった場所にある街の名である。外国との交易の窓口となっている大商業都市だ。
グリューネバルト家はそこに商会を持っているらしい。
というか・・・。
「それは詐欺だろう!伯爵夫人の御名を騙ってグリューネバルト領の財産を横領するんだ。極刑間違い無しの重罪だぞ。」
と団長が蒼ざめて言った。
そんな団長をリーリアは睨みつけた。
「私の友達、舐めんじゃないわよ。今、ここに魔法の道具があって『もしもし、今王都がこんななのだけど・・』と伝えられたらあの子は必ず救援をよこしてくれる!それは明日の朝日が東から昇って来るくらい間違いのない事なのよ!だったら順番なんてどうでもいい。重要なのは、助けられる可能性のある人を確実に助ける事よ。ヴェルに聞いたわよ。あの島に食料や薬の備蓄はほとんど無いって。栄養状態にもよるけど人が餓死するラインはだいたい5日前後。救援は時間との勝負なのよ!」
「言いたい事はわかった。だから、声量を抑えろ。」
とアレクは言った。
「だが、救援までの日数が短かったら伯爵夫人の指示ではない事はすぐにバレるぞ。」
「バレないわよ。伯爵夫人は領地に帰ったフリをしたけれど本当は王都にいたんだ。って嘘つけば。」
とリーリアは言った。
「それにバレたらバレたでそれでもいいわ。私とウィンクラー夫人の二人が死刑になってそれで島の中にいる人達が助かるのなら、笑って死刑台に立ってやるわよ。私が聞きたいのは協力してくれる気はあるかって事?してくれる気がないならそれでもいいわ。だけど、余計な事をぺらぺら言いふらしたら私は蛇より祟るわよ!」
アレクは感心した。いや、感動した。
この覚悟の強さ。
彼女のような人こそ、新緑騎士団のデイムであって欲しかった。
「リーリア嬢。」
団長が固い声で言った。
「明日になれば国王陛下が橋を開放し、薬と食料を運び込むよう命令されるかもしれない。そうなれば、あなたのした事は無駄になる。それでも騙りを働くというのか?」
「ええ。私無駄な事って嫌いじゃないの。それに私、五年前にはしかになった事があるからこの病気がどんなに感染力が強いか知っているわ。はしかの流行が中の島を焼くくらいで収まるわけない。食料はともかく薬は大量に運び込んでも絶対無駄にならないわ。」
「そうか。」
と言って団長は微笑んだ。
「何を協力して欲しいんだ?」
「私は明日の朝一番に大量の金貨を持ってラングーン行きの船に乗るわ。私・・というより金貨の護衛をして欲しいの。護衛役は腕っぷしが強いのは当然だけど、計算が早くて、商人相手に値切り交渉がガンガンできる人であってくれると助かるわ。」
全団員の視線がアレクに集中した。アレク自身も自分の手のひらを見つめたくらいだ。
「行ってくれるか、アレク。」
「承知しました、団長。」
「部下は好きなだけ連れて行け。」
「この中で、はしかに感染した事のある人?」
とアレクは聞いた。
ラングーンに行く途中で高熱を出されたら迷惑だし、はしかをラングーンに持ち込んだら大惨事だ。アレクは感染経験のある者を確認した。
手を挙げたのは、アレク同様皆地方都市出身者だった。王都では100年以上流行の無かったはしかだが、地方都市では時々流行していたのである。手を挙げた者の中から五人アレクはメンバーを選抜した。
「俺も行くー!俺もーっ!」
ヴェルが地団駄を踏んだ。だけどヴェルは王都育ちだ。はしかの感染経験は無い。
「中の島を守るのも大事な仕事だ。それにウィンクラー夫人と連絡を密にとってくれ。頼んだぞ。私達が王都に戻って来た時、中の島が焼け落ちていたらリーリアに祟られるぞ。」
とアレクは言った。
時刻は深夜だが眠くはなかった。するべき事が決まってやる気が身体中にみなぎっている。
ユーリ、マクス、それにフロル。
絶対助けてやる!
アレクは強く拳を握りしめた。




