伝染病(3)
ありがたい事に娼館の一件が、ユリウスとマクシミリアンの為に大広間の暖炉に火を入れてくれた。
場所柄、タオルも十分にある。着替えまであった。あまり趣味の良いデザインではなかったが。
「ささ、早く濡れた服を脱いで着替えてください。」
「本当にそう思っているのなら部屋を出て行ってくれ。」
ユリウスにそう言われてフロルは部屋の外に飛び出した。
時刻は既に夕刻だ。
本当ならこれくらいの時間から、お客様で島内はごった返すはずなのだろう。だけど通りは静まり返っている。橋の近くでは騒ぎが起きているが、それ以外の人達は建物の中に引きこもっていると思われる。
ちなみに。ここは歓楽街ではあるが、何も全ての店が娼館なわけではない。
普通の食堂もあるし、土産物屋もある。服屋や楽器店のような店もある。普通の民家もある。その全てが今は静まりかえっていた。
フロルは大広間のドアにすがりため息をついた。
途端にドアが開きフロルは後頭部を強打した。
「すまん。フロル。」
とユリウスが言った。
この人には珍しい着崩した格好で、シャツのボタンが2つもずれてとまっている。
鎖骨が美しいわあ。
と一瞬見惚れてしまったフロルに、ユリウスは切羽詰まった声で言った。
「フロル。ロイスティーネ殿を呼んできてくれ。マクスの様子がおかしい!」
「いつも以上にですか?」
「熱があるんだ!」
この数分で風邪をひいたのだろうか?
と思ったフロルは次の瞬間はっ!とした。
さっきマクシミリアンは母親に「10日前に会ったばかり」と言っていたような。
はしかの潜伏期間は10日前後だ。二人が会った場所がここだったとしたら、その時はしかに感染していたのかもしれない!
もしそうなら、ロイスティーネを呼んで来るよりマクシミリアンを百花楼に連れて行った方がいい。ユリウスにそう言った。
「わかった。マクス、つかまれ。肩を貸す。」
「ユリウス様。私が連れて行きます。私は、はしかになった事があるんです。だからもううつりません。」
「おまえの体力では無理だ。マクスはめまいがひどくてもう立って歩けないんだ。」
「でも!ユリウス様は、はしかになった事あるのですか⁉︎」
「知らん。子供の頃の事は覚えていない。だけど、うつるならもうとっくにうつっている。」
それはまあ、そうだろう。とフロルは思った。
百花楼に着くと患者が増えていた。高熱を出したという患者が20人以上いる。
「ロイス様ー!マクス様が高い熱を!」
フロルがロイスティーネに駆け寄ると、ロイスティーネは小さく首を振った。
「解熱薬はもう無いわ。井戸の水で布を濡らして太い血管のある場所を冷やして。」
「えええ!」
「中の島は利便性の良い位置にあるわ。橋を越えたらあらゆる店があるから備蓄をする習慣がそもそも無いのよ。」
「・・・・。」
「薬もだけど食べ物もよ。島内には娼婦だけで300人以上いる。橋を封鎖されたら5日と持たないわ。」
だからマクスはアレクに、薬と食べ物を頼んでいたのか。
「私、橋の様子を見て来ます!」
フロルは百花楼を飛び出し、全速力で走り出した。
アレク様が、早く来てくれるといいけれど。
そう思いながら橋へ行きそしてフロルは唖然とした。
橋の途中にバリケードが作られていたのだ。中の島から人が出て来れないよう、街側の人達が作ったようだ。
これではアレクが薬を持って来てくれても薬が届かない。
「あのーー!」
とフロルが声を張ると
「近寄るんじゃねえ!通ろうとしたら島に火を着けるぞ!」
とおっさんに怒鳴り返された。
単なる脅しだとは思えなかった。怒鳴り返して来たおっさん達は、火の燃える松明を手に持っていたのだ。
こんな事したって無意味なのに!
はしかは発症する数日前から他者に感染する病気なのだ。
だから、昨日中の島に外から来た人達の中に既に感染者がいるはずだ。マクシミリアンがはしかなら、新緑騎士団員の他の隊の人間にだって既にうつっているだろう。だから、ここだけを封鎖しても意味がないのに!
と正論を言っても、今はたぶん意味がない。
伝染病で恐るべきなのは病気そのものよりも風評被害だ。集団パニックが起こるとどんな残酷な事が起こるか予測ができない。
五年前、グリューネバルト領で疫病が流行った時、土地の焼棄を含むあらゆる私刑を領主である伯爵が禁止させた。絶対的な力を持つ権力者が権力で治安を維持したのだ。
王様が同じ様に伝染病患者と治安を守ってくれると良いけれど・・・。
不敬と思われそうだが、あの王様には期待できないような気がした。
助けてアレク様!ヴェル様‼︎
今はただ祈る事しかできなかった。
夜になった。
橋のバリケードはうず高く、人が通れないくらいの高さになった。
アレクを含む新緑騎士団員達は対岸にいるようだが、それ以外の群衆も多く怒号がすごくて声が聞こえない。
そもそも下手に河の側に近づくと
「近寄るな!」
と怒鳴りつけられて矢を射かけられるのだ。距離がそこそこあるので、届いた矢は無いけれど、そんな事をしてくる群衆が怖い。
患者の数は増える一方だ。既にこの短時間で30人を超えている。痛み止めの薬も既に無くなってしまった。
「騎士様どうぞ。」
と言って、フロルよりはるかに若い女の子がパンとスープを持って来てくれた。
「ありがとう。」
と言って受け取った後、ふと思った。
「コマドリの家に入院している患者さん達の食事はどうなっているのだろう?ロイス様も看護婦さん達もこちらに来ているし。」
「コマドリの家の方達は『食料はお医者様と伝染病患者に優先して欲しい。自分達はいらない』と言って、コマドリの家の中にあった食料を全部こちらに持って来られました。」
言葉に詰まった。不治の病にかかった患者達だ。それでも死ぬ瞬間までは人間としての尊厳を持って扱われるべきだ。その理念のもと『コマドリの家』は運営されていたはずだ。それなのに、入院患者達は他の人々の事を思いやって生きている。
言葉にできないほど辛い思いをしてきた人達であろうに、それでも患者達は限りなく優しかった。
そうでない人もいる。
さっき水に落ちてユリウスに救われた男が周囲の人間に八つ当たりをしていた。
「こうなるとわかっていたから、橋を通せと言ったんだ。俺を誰だと思っている。俺の伯父は子爵なんだぞ。ちくしょう、新緑騎士団員め。さっきは余計な事をしやがって。泳いで対岸に渡るつもりだったのに!」
事故を装ってスープを頭からかけてやりたかったが、スープが勿体無いのでやめた。




