伝染病(2)
ドアが開く音がして診察室からロイスティーネが出て来た。
「症状は?」
冷淡なくらい冷静な声でロイスティーネは聞いた。
「高熱と発疹です。発疹は小さく天然痘や水疱瘡ではありません。伝染性紅斑か風疹かあるいは・・はしかではないかと娼館の主人が言ってます。」
「どこの店の子?」
騎士はつらつらと名前を言った。その数10人以上だ。
「伝染性紅斑なら高熱が下がって数日後に発疹が出る。同時に高熱と発疹が出ているなら伝染性紅斑じゃない。今名前を聞いた子らの何人かは風疹にかかった事がある。だから風疹でもない。」
・・と言う事は、はしか!
フロルはぞわっとした。
はしか。それは『天然痘は容色を奪い、はしかは命を奪う』と俗に言われるほど致死率の高く感染力も高い悪夢の伝染病である。そして、それこそが五年前にグリューネバルト領で大流行しフロルの義理の両親を死に追いやった伝染病だった。
それがこの王都で発生した!
五年前の恐怖を思い出し、フロルはがたがたと震え出した。ロイスティーネはその背中を優しくさすってくれた。
「虫刺されとか、食中毒で発疹が出たとかそういう可能性もあるから心配し過ぎないで。でも、はしかだったら患者は発症の数日前から病の元を撒き散らすの。あなた達が感染している可能性もあるから、はっきりした事がわかるまでこの場にいて。」
「・・はい。」
「じゃ、ちょっと行って来るわ。」
「母上。一緒に行きます。」
とマクシミリアンは言った。
「表島を通ってここまで来たのです。感染しているならもうしているはずです。むしろここで待機して、持病のある入院患者に感染させたら目も当てられません。できる事を協力させてください。」
「自分も行きます。」
とユリウスが言った。
「フロルはどうする?」
とマクシミリアンに尋ねられた。
「・・行きます。」
この話の流れで嫌と言えるわけがない。そもそもフロルが怖いのは、目の前で人に死なれる事であって自分が発症する事ではない。リンゴ病ならともかくフロルがはしかを発症する可能性はない。なぜなら、フロルは既に五年前に発症しているのだから。
家族全員感染して自分一人だけが助かってしまったのである。
救急箱を持ってロイスティーネは歩き出した。
もし本当にはしかだったら、おそらくこの地区に自分達は隔離される事になるだろう。
なぜこのタイミングで。
つい、そんな事を思ってしまう。思いながら天に祈りを捧げた。
どうか、はしかではありませんように。
祈りは天に届かなかった。
30分後。
患者は、はしかで間違いないだろう。という診察がおりた。
発疹が出た人達は数日前高熱を出した。喉の痛みや咳といった症状も同時に出たので単なる風邪だと思っていたらしい。そしてその後熱は少し下がった。なのに今日になってまた高熱が出、新たに発疹が出た。発疹は口の中にまで出ているそうだ。
患者が出た娼館のうちの一件が、臨時の患者の隔離病棟になった。『百花楼』という名前のお店だ。そのお店のお姉様方に最も多くの患者が出たのだ。そのお店に所属していて、まだ発症していない人達は別のお店に寝泊まりする事になった。中の島の中にいる新緑騎士団員達の現在の仕事は橋の手前に立ち、島の中に入って来ようとする人を中に入れない事だ。それと伝染病の発生を知って逃げ出そうとする人を島内に引き止める事である。
こんな昼間からお店で遊んでいた客が意外にたくさんいるという事にフロルはびっくりした。そういう人達のほとんどはこんな昼間から娼館に入り浸っていたという事を人に知られたくないので、何としてでも島を抜け出そうとしてとにかくかまびすしい。酒も入っていたりするので尚更だ。
入って来ようとしている人達は「伝染病が発生したかもしれない」と言うと8割はUターンしてくれるのだが、指示を聞こうとしない人間はどこにでもいる。中の島に繋がる橋の上はカオスだった。
「おい!何の騒ぎだ⁉︎」
聞き覚えのある声が対岸から聞こえて来た。アレクと後方事務隊のメンバーが橋の向こうで声を張っていた。
「中の島の橋で騒動が起きている、と噂が広まっている。何の騒ぎだ?」
とアレク。
「伝染病が発生した可能性があって、人の出入りを制限している。医者を集めてくれ。それと薬と食料を頼む!」
とマクシミリアンが答えた。
「薬の種類は?」
「解熱剤と鎮痛薬だ。」
「消毒薬や石鹸は?」
「それより何より解熱薬だ。」
はしかはとにかく感染力が強く、口をふさぐ事や手洗いでは予防できないと言われている。そして感染してしまえば発症率は100%だ。
『何の伝染病?』とはアレクサンデルは聞き返してこなかった。その答えを叫んでしまったら群衆にパニックが起こる事がわかっているのだ。ただ
「すぐに持って来る!」
とだけ叫んで踵を返した。
どこかで水音がした。
島から脱出できない娼館の客が、業を煮やして河に飛び込んだのだ。
嘘でしょ!
フロルは開いた口が塞がらなかった。ようやく冬が終わったばかりのまだまだ水の冷たい季節。しかも山から流れて来る雪解け水のせいで、普段の季節より河は水量が増しているのだ。飛び込んだのは若い男だったが、どんぶらこっこと溺れて河を流れて行った。
ばしゃん!
ばしゃん‼︎
と水音が響いた。
ためらう事なく、ユリウスとマクシミリアンが河に飛び込んだのだのだ。二人は泳いで溺れている男に近づき、ユリウスの方が一寸早く男の体を背後から掴んだ。
騎士達の間で歓声があがる。
「フロル、火を起こせ!それと乾いた布を持って来い。」
第一隊の騎士の一人がフロルに指示した。
「はいぃっ!」
フロルは島の中に駆け戻った。
もはや島全体がカオスと化していた。これからどうなるんだろう。不安に思いながらともかく乾いた布を求めてフロルは走り回った。




