遠い記憶
引っ越し会社のトラックに川村家の荷物が全て積み込まれ、トラックは引っ越し先の長野県に向かって出発した。
結局、川村良一は家族皆の意見を聞いて、知り合いの誰もいない土地、長野県のなるべく人口の少ないのどかな田舎町へ引っ越す事にしたのだ。良一は会社を辞め、健太は通信制の高校へ編入、妹のみゆきは長野県の中学校に転校する事になった。
良一は健太の退院を待ち、自宅を売却した。売却しても住宅ローンは一千万円近く残ってしまった。これからは新しい家の家賃と住宅ローンの返済、ダブルで住宅費を払っていかなくてはならない。しかも良一はこれから長野で新しい職を探さなければならず、収入ダウンは避けられないだろう。しかし、全ては覚悟の上だった。久子の言う通り、家族が元気に生きられなければ意味はないのだから。
「じゃあ、俺たちも出発するか」良一は久子と子供たちに声を掛けた。家族四人は良一の白のセダンに乗り込み、自宅に別れを告げた。車が走り始めて一つ目の電柱の陰に黒ずくめの男が手を振って立っていた。男はニコニコと笑っていた。すると、その男の姿に気がついた健太が呟いた。
「あっ、黒田さんだ」
良一はその言葉を聞いて急ブレーキをかけた。キキー、激しいブレーキ音を立てて車は急停車した。
「危ないじゃない」久子が叫んだ。
「今、何て言った?」良一は後部座席の健太を見て言った。
「黒田さんって、あれっ、お父さんの友達でしょ」
その言葉を聞いた良一は健太に問い質した。
「なんであの人がお父さんの友達だって知ってるんだ?しかも名前まで」
「だってこの前、皆が買い物に行っていて、僕一人で留守番してる時にあの人が家に来たんだよ」健太がそう答えると、良一は声を荒げて言った。
「あいつは何をしに来たんだ」
健太は血相を変えて聞いてくる良一にその日の事を教えた。
呼び鈴が鳴ったから玄関のドアを開けると黒田さんが立っていて
「お父さんの中学校時代の友達で黒田といいます。お父さんはいますか」って言うんだ。
「今、留守にしています」と答えると
「待たせてもらっていいですか?」って言うから家に上げたんだ。
「その時、あいつに何かされなかったのか?」良一は真剣な表情で聞いた。
「あれ?そういえば何も覚えてないや、あの人いつの間に帰ったんだろう」健太の記憶の一部が無くなっていた。
黒田はその時、健太に何かしたんだ、良一には何か確信めいたものがあった。
「あなたどうしたの?」あまりにも慌てている様子の良一を見て久子が言った。
「いや、何でもない」
「じゃあ、急ぎましょうよ。引っ越しのトラックを待たせちゃうでしょ」
「ああ、そうだな」そう言うと、良一は車を走らせた。
そうだ、黒田だ、黒田守だ。清田の裁判に来ていた黒づくめの男は黒田守だったんだ。あの時、何故思い出せなかったんだろう。長野の新しい家に着くまで、良一はずっと黒田の事を考えていた。
良一の運転する車は4時間かけて長野の新しい家に到着した。引っ越しのトラックは先に到着していた。家具や大きな荷物は引っ越し業者に任せて、一家四人は小さな荷物を新しい家の中に運び込んだ。新しい家は、四人で住むには十分すぎるくらいの広さの一戸建てだった。ただ、築年数は古く不便な立地の為、家賃は驚くほど安かった。しかし、これから良一は家賃と住宅ローンをダブルで支払いしていかなければならなかった。
とりあえず、荷物を家の中に押し込み、寝られるようにだけはして、今日の引っ越しは終了した。引っ越しのトラックが帰る時には辺りはすっかり暗くなっていた。良一が家から一番近くのコンビニで弁当を買ってきて、今日の夕飯はそれで済ませた。
夕飯を食べ終えると、良一は神妙な顔をして家族に話し始めた。
「こうなったのは全てお父さんのせいだったんだ」そう言うと良一は頭を床にこすりつけて三人に謝った。
「どういう事?」三人は良一が何を言っているのか分からなかった。
「東京の家を出る時、お父さんたちの車に手を振っていた人がいただろう」
「あー、黒田さん」健太が答えた。
「実は、お父さんは中学生の時、あの黒田をいじめていたんだ」
「でも、それが今度の事と何か関係があるの?」妹のみゆきが聞いた。
「具体的な事までは分からないが、おそらくあいつが何かやったんだと思う」
「えー、だって二十年も前の事でしょ。まだ根に持ってるかなー」みゆきは素朴な質問をした。
「いや、お父さんたちは何年経っても忘れられないような事をしてしまったんだ」良一の突然の告白に三人は戸惑っていた。
「お父さんたちって、他にも仲間がいたの?」
「一人は清田和也といって、半年前、保護責任者遺棄致死という罪で拘禁刑6年の実刑を受けた奴がいる。そいつはその事件のせいで家族、仕事全てを失った。もう一人は岩田剛といって、今は親の会社を継ぎ、バツイチだったが、先日若い嫁さんをもらって、この前子供も産まれた。岩田と清田、その2人と父さんの3人で黒田をいじめていたんだ」
三人は良一の告白を黙って聞いていた。
「おそらく黒田は二十年前のいじめの事を今でも恨んでるはずだ」
「お父さん達、そんなひどい事をやったの?」みゆきが聞いた。
「中学3年の時、お父さん達は相当悪かったんだ。ケンカにカツアゲ、いろいろ悪いことをやった。でも今考えてみると、黒田へのいじめは度を越えていたような気がする」良一は話を続けた。
「黒田は体は小さかったし、気も弱かった。お父さん達は黒田が抵抗して来ないのをいい事に、使い走りをさせ、言うことを聞かなかった時には暴力をふるった。」
三人は父の酷い過去に言葉を失っていた。
「そして今でも忘れられない事件が二つあるんだ。三人の中でも岩田って奴は調子に乗ると抑えが効かなくなるんだ。ある時、教室でクラスの全員が見ている前で、もちろんその中には女性もいた。クラス全員が見ている前で岩田は黒田のズボンを脱がせたんだ。しかもあいつはそれだけじゃ止まらなくなってしまって、パンツまで脱がせてしまったんだ。でもクラスのみんなはキャーキャー騒ぐだけだった。女子まで一緒になって騒いでいた。楽しんでいたと言ってもいいくらい、みんな大騒ぎをしていた。その時、岩田が黒田に黒チンってあだ名を付けたんだ」
「ひどーい」みゆきはあまりの酷いいじめにショックを受けていた。久子と健太は黙って唇を噛みしめていた。
「決定的だったのは、休み時間に黒田がトイレに行こうとしたのを岩田が邪魔した時の事だ。それを見て清田も父さんも調子に乗って、黒田を羽交い絞めにしてトイレに行かせないようにしたんだ。次の瞬間、黒田は漏らしてしまったんだ。岩田も清田も笑っていた。クラスのみんなも廊下に出てきて笑っていた。女子もみんな笑っていた。でも何故か、父さんは笑えなかった。その日、黒田は逃げるように学校を飛び出して行った。そして、次の日から黒田は学校に来なくなった」
家に静寂が流れた。久子も健司もみゆきも泣いていた。それだけ酷いいじめだという事だ。
「父さんはずっと後悔していた。だけど罪の意識はどんどん薄まっていって、いつの間にか忘れてしまっていた」良一の告白は続いた。
「あいつがその後どうなったのかは知らない。でも、あんなひどい事をした俺たちの事を忘れるわけなどないんだ。清田の事件の事も、健太の痴漢騒ぎの事もきっと黒田が何かしたんだ」
「でもそれじゃ恨まれるのは当たり前じゃない。お父さんひどいよ。なんでそんな事しちゃったの?」みゆきが泣きながら聞いてきた。
「とても言い訳にはならないが、皆がやってるからノリでやってしまったんだ。子供ってそんなもんだろう。自分も加わらないとノリが悪いと思われる、その時は後先の事など何も考えてはいない、もちろん、そいつの気持ちなんてこれっぽっちも考えていないんだ」良一は泣いていた。
「お父さんは健太に言ったよな、痴漢された娘の気持ちになってみろって、お父さんにあんな事を言う資格なんてなかったんだ」
「すまない、皆本当にすまない」
川村良一は、この日家族に向かって、中学時代に自分のした事を20年越しに懺悔した。
つづく




