第04話 僕が知りたい存在で
思わずツッコんでしまった。
レントは一拍置いて、ゆっくりと椅子に背をもたせかけた。さっきまでテーブルに乗り出していた自分の姿勢に気づいて、静かに息を吐く。
(しまった。つい興奮して、直球で誘ってしまった。僕としたことが)
深呼吸をひとつ。本業を思い出す。
(営業の基本はヒアリングファースト。相手の欲しいものを引き出してから、初めて提案を乗せる)
すっと表情を切り替え、ネクタイをわずかに直す。ルウの顔を正面から見据えて、レントはもう一度口を開いた。
「ごめん、いきなりだったよね。……ところでルウちゃんって、お金に興味ある?」
「ん〜、お金は大事〜。ご飯食べられるし〜」
(よし。乗ってきた)
「だよね。じゃあ、今より楽に暮らせるとしたら?」
「楽か〜。楽はいいね〜」
(ここからニーズを引き出して、提案につなげる)
「君の鼻があれば、一杯2000円……いや、それ以上の価値があるコーヒーを提供できる。ゲームチェンジャーになれるんだ。コーヒー業界の常識を、君の鼻が変える」
「お〜!」
ルウの反応がじわじわと上向いているのを、レントは確かに感じていた。それに加えて、この見た目の可愛さだ。メディア映えも申し分ない。お金の匂いが、プンプンと漂ってくる気がした。
勝利を確信した、そのとき。
ルウはふわりと目を細め、穏やかに言った。
「でもいいや〜。他にやりたいことあるし〜」
レントに、稲妻が走った。
「は、ははは……そっか……」
乾いた笑いが、口からこぼれ落ちる。まさか自分の営業テクニックが通じないとは。大手商社でキャリアを積んできたこれまでの年月で、こんな感覚は一度もなかった。
(こんなにうまくいかないのは、生まれて初めてだ)
ショックを受けながらも、レントの胸の奥でぽっと何かが灯った。
(面白い)
「ごちそうさま。また来るよ」
そう言い残して喫茶店を後にしながら、レントは静かに拳を握った。
(久々に燃えてきた。絶対にイエスと言わせてやる)
*
それからレントは、この喫茶店に通い続けた。
来るたびに「どうかな?」と声をかけては、あっさり断られる。角度を変えて「ルウちゃんのやりたいことって何?」と聞いてみれば、「ひみつ〜」とはぐらかされるだけだ。それでも足は止まらなかった。
通い続けるうちに、何かが少しずつ変わっていった。
スーツ姿のサラリーマンとして顔を出す日もあれば、インフルエンサーのレンちゃんとして足を運ぶ日もある。最初はイエスと言わせるための計算だった。けれどある日ふと気づいたとき、そんなことはどうでもよくなっていた。
「うちの会社で仕入れた珍しい豆だよ、よかったら」
「わぁ〜! レンちゃんありがと〜!」
「今日はお兄さんの格好だよ」
「えへ〜」
そんな他愛のないやり取りが、気づけば楽しみになっていた。
来るたびに「レンちゃん」と呼ばれるのを「お兄さんだよ」と訂正するくらいには、ふたりは仲良くなっていた。
「今日も時間どおりだね〜」
「おい、スルーするんじゃない。お兄さんだって」
「えへ〜。今日は豆が溜まってるから、スペシャルブレンドあるよ〜」
「それは嬉しいな。スペシャルブレンドを頼むよ」
「は〜い!」
そんな掛け合いが、いつもの光景になっていた。
もうビジネスの話は、どこかに消えていた。レントはただ、ルウというケモノのことをもっと知りたいと思っていた。話せば話すほどわかってくることがある。ルウは嗅覚こそ飛び抜けているが、それ以外はどこにでもいる、普通の少女だ。気がつけばレントは、まるで妹ができたような感覚を覚えていた。
「そうそう、聞いて! 昨日アルベガを買ったの〜」
「アルベガって、超高級豆じゃないか」
ルウが何気なく話すその言葉に、レントはいつも通り自分と同じ日常を重ねて聞いていた。
「そんな大金を使って、親御さんになんて説明するんだよ」
ルウはいつもと変わらない調子で「あ〜」と言い、少しだけ間を置いた。
「ルウにはね〜、お父さんもお母さんもいないんだ〜」
ふわふわとした、いつもと同じ声だった。
「だから、公園に住んでたこともあるんだよ〜」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
レントはルウの顔を見た。笑っている。いつもと同じ顔で、ぽやっとした目で、何でもないことのように話している。
言葉の意味が、じわりと、じわりと、染み込んでくる。
「は……?」
それだけが、口からこぼれ落ちた。




