第03話 嗅覚が選んだのは本物で
ルウがトレイからコーヒーカップを静かに持ち上げ、テーブルにコトンと置いた。
「お待たせしました〜。スペシャルブレンドです」
レントはカップを手に取り、まず鼻を近づけた。
(ナッツとチョコレートの香ばしさ……豆はセーロ・パオ主体か。それにこの華やかな抜け、グアダデラとのブレンドだな。安い豆のはずだが、悪くない香りだ)
コーヒー豆取引部門で培った鼻は、間違いない。そう確信しながら、レントはカップをゆっくりと口元に運んだ。さて、味のほうは――。
コクン、と一口含んだ瞬間、レントの動きが止まった。
(……なんだ、これは)
目を見開き、手の中のカップを静かに見つめる。
(うますぎる。セーロ・パオがこんな味を出すのか? 100グラム数千円の豆と比較しても、まったく遜色ない。というか……)
驚きが重なったところで、レントはふと気づいた。
(この子、ずっと僕のことを見てるんだが)
あまりの情報量に、頭の処理が追いつかない。
堪えきれず、レントはルウに声をかけた。
「えっと……お嬢ちゃん?」
「ルウだよ〜」
「……ルウちゃん、何か用かな?」
ルウは表情を変えないまま、ふわりと答えた。
「お兄さん、コーヒー好きなの?」
「好きだけど……どうしてそんな質問を?」
(まあ、コーヒーで商売してるしな)と内心で思いながら答えると、ルウは続けた。
「前に会った時も、コーヒーの匂いがしてたから」
その言葉に、レントの記憶がゆっくりと引き戻される。公園で。あの少女に。
──ねぇ、オスなのに、どうして女の子の格好をしているの?
ガタッ、と椅子が鳴った。
思わず立ち上がったレントは、じわりと汗をかきながらも努めて冷静な口調で問いかけた。
「ちなみに……なんで男だとわかったの?」
ルウは相変わらずぽやっとした表情で、少し考えるように首を傾ける。
「うーんとねー。オスの匂いがしたから、かな。たくさんコーヒーの匂いがして……それで、見た目は女の子なのに匂いがオスで。気になって声をかけちゃったんだ〜」
にぱ〜、とルウは笑った。
レントは椅子に腰を落とし、心の中で整理を始めた。
(本当に……匂いでバレていたのか。いや、でも)
女装の前には必ず、メスのケモノが放つ匂い成分を配合した専用シャンプーで全身を洗い、念入りに香水をまとう。その仕込みのおかげで、これまで一度もバレたことはなかった。大人にも子供にも。嗅覚の鋭い警察ケモノに「お姉さん、夜道には気をつけてください」と声をかけられ「はーい」と返したこともあるほどだ。
(それでも……この子には)
思考が加速しようとしたその瞬間、喫茶店の奥から穏やかな声がした。
「こらこら、ルウちゃん」
振り返ると、すらりと背の高い老齢のケモノがこちらへ歩いてくるところだった。首が長く、もふもふとした毛並みが豊かな、アルパカのケモノだろうか。
「なかなか戻ってこないと思ったら。お客さんを困らせてはいけませんよ」
「あ、マスター」
どうやら、この喫茶店のマスターらしい。マスターはレントのほうへ丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、お客さん」
「い……いえ」レントは椅子に深く腰を落ち着け直し、「それにしても、このコーヒーは別格ですね。豆の仕入れはどちらで?」と問いかけた。
マスターは少し含みのある笑みを浮かべながら答えた。
「気に入っていただけましたか。その豆なんですが……KCCから仕入れておりまして、他と変わらない普通の豆です」
(KCC……うちが生豆を卸しているロースターじゃないか)
驚きを顔に出さないようにしながら、レントは続きに耳を傾けた。
「ただ、その豆の中からルウちゃんが選んだものだけを使ったのが、今飲まれているスペシャルブレンドです」
ルウがわずかにどや顔をしながら口を開く。「なんかね〜、いい匂いのだけ選んでるの〜」
「ルウちゃんは鼻がいいですから」マスターが穏やかに言うと、ルウは「えへ〜」と照れたように肩をすくめた。
「安い豆でも、ルウちゃんが選んだものを使うと、とても美味しいコーヒーが淹れられるんです。量が少ないので、豆が貯まった時にしかお出しできていないのですが」
それを聞いた瞬間、レントの中で何かが弾けた。
(おいおい……。僕の完璧な女装を嗅ぎ分け、安い豆の中から品質の良いものだけを選び出す。もしこの嗅覚が本物なら……とんでもない逸材だ。莫大な価値を生み出すことだって、不可能じゃない)
気づけばレントは身を乗り出していた。
「なあ、ルウちゃん!」
ルウはふわふわとした様子で「ん〜?」と返事をした。
「僕の仕事を手伝う気はないか?」
「お仕事〜? どんなの〜?」
「世の中の仕組みを変える仕事さ!」
レントの目に、珍しく熱が灯った。ルウも少し興味を持った様子で身を傾ける。
「世の中を……変える……!」
「ケモノの役に立ちながら、お金も稼げる。素晴らしいと思わないか!」
「思う〜!」
「君の鼻は特別だ。君ならなんだってできる……世界を根底から変えることだって」
「素敵だね〜」とルウは相槌を打つ。
「だから、僕と手を組んで……!」
熱烈に、レントはルウを口説き続けた。しかし次の瞬間、ルウは言葉を遮るように声を上げた。
「やだーーーーーーーーーっ!!」
「なんでだよ!!」
思わずレントもツッコんだ。




