第02話 第六感が告げた喫茶店で
大手商社のオフィスの一角で、レントは椅子の背もたれに深く座り、両手の指を組んで顎の下に置いていた。今日はオスの姿、いつも通りのスーツ姿だ。
(なぜだ……)
あの少女は、どうやって女装を見破ったのか。ウィッグのズレか? いや、あれは確実に固定していた。喉の調子も悪くなかった。化粧だって完璧なはずだ。一体、どうやって……。
深く思考の渦に飲み込まれていたそのとき、「レントさーん!」と元気のいい声が飛んできた。
会社の後輩だ。いつも面倒を見ている子が、資料を手に駆け寄ってくる。「コーヒー豆の新規仕入れ先に提出する資料、チェックしていただけますか!」
「ん……ああ」
現実に引き戻されるように、レントはゆっくりと手を伸ばした。資料に目を走らせ、ペンを持ち、滑らかに赤を入れていく。
「結論がぱっと入ってくるのがいいね。ここは、僕ならこう言い換えるかな」
すらすらとコメントを書き添えながら、レントは続けた。「全体の方向性はバッチリ。あとは伝え方をちょっと工夫すれば、数字をもう一段伸ばせそうだよ」
そう言って赤入れした資料を返すと、後輩は満面の笑みで頭を下げた。「ありがとうございます! いつも頼りになります!」周囲からもどこからともなく、「レントさんカッケー!」「頼りになるぅ〜」といった声が漏れ聞こえてくる。
レントは27歳で課長職に就いた、仕事のできるサラリーマンだ。それは本人も自覚している。しかし今日ばかりは、内心が少しも穏やかでなかった。
(気分転換に外回りに行くか。このままじゃ、焦ってる態度が滲み出てしまいそうだ)
そう心の中でつぶやきながら、レントは静かに席を立った。
高いビルが立ち並ぶ街中を、レントはひとりで歩きながら考え続けた。
(あの少女、年齢は? 職業は? 学生か? 小柄なケモノだったし、見た目だけでは判断が難しい。狼のケモノだったろうか。だとすれば、僕の知らない固有の嗅覚能力……?)
思考を巡らせながら歩いていると、ふと視界に引っかかるものがあった。ショーウィンドウに並んだコスメの新作だ。
(あ、新作出てる……! 先日買った服に合いそうだ)
思わず足が止まり、心がウキウキと浮き立つ。しかしすぐに我に返り、今の自分の姿──スーツ姿のオス──を確認して、小さく息をついた。
「……とはいえ、この格好じゃ買えないか。次の休日に」
そこまで口にして、またもや我に返る。
「いかん。仕事以外のことを考えてしまってる」
きびすを返して歩き出し、「今月も業績一位を取れるように、集中しないと」と小さくつぶやいた。
そのまま歩いていると、一軒の喫茶店が目に入った。
(ちょうどいい。こういう時はコーヒーに限る。一服して仕事に戻ろう)
ドアに手をかけ、ガチャリと開けた瞬間。
その隙間から、見知った顔が顔を出した。
「いらっしゃい。お兄さん、今日は女の子の格好してないんだね〜」
レントはフリーズした。表情を変えることも忘れ、ただそのまま固まった。
少女は何事もなかったように続ける。「男性一名様ですね〜。席、空いてますよ〜」
その言葉を聞いた瞬間、レントは無言でドアを閉めた。
バタン。
「おわ〜! なんで閉めるの〜!」
扉の向こうから少女の叫び声が聞こえてくる。それを背中で聞きながら、レントはゆっくりと深呼吸をした。
(──なんでこいつがいるんだよ!?)
ガチャッと再びドアが開き、少女が顔を出す。「お兄さん、入らないの?」
「おわっ!?」
思わず声が出てしまった。しかし心の中で素早く念じる。平常心、平常心、平常心。レントはゆっくりと息を整え、咳払いをひとつした。
「……ん、コホン。入るよ」
そのまま喫茶店の中へと歩みを進めた。
「ルウはね〜、ここでバイトしてるんだ〜」
そう言いながら少女は自分の名前を明かした。ルウ。大きな耳が特徴的で、先端が少し折れたその耳も、もふもふとした毛に覆われている。ふわふわのしっぽ、ほわっとした雰囲気のその子が、メイド服に身を包んで立っていた。
「ご注文は何にしますか〜?」
その姿を眺めながら、レントの中で何かが静かに点灯した。
(あれ……この子……。先日は焦ってたから気づかなかったけど。というか私服だったし。……いや待って)
しげしげと見つめ、心の中で続ける。
(この可愛さ……めちゃくちゃ素材がいいのでは……!? 磨いたら、もっと可愛くなるぞ……!!)
すっかり女装目線が発動していた。




