第09話 真実が近づいた豆屋で
数日後、レントはまたレンちゃんの姿で、駅の構内に立っていた。
行き交うケモノたちの雑踏の中でひとり、スマートフォンを手に画面を眺めながら待っている。待ち合わせにはまだ少し時間があった。
(前の豆屋で、正解にかなり近いところまで来た。今日はその続き。確かな手がかりを掴みたい)
画面には、ルウからのメッセージが表示されていた。「もうすぐつく〜」。それを読みながら、レントはほんの少しだけ表情を緩めた。
(あの服、喜んでたし……今日も着てくるかな)
「レンちゃ〜ん!」
遠くからルウの声が聞こえてきた。顔を上げる。
その瞬間、レントは固まった。
「サンセット モーニング」。
そう大きくプリントされたシャツを身にまとい、両手を広げながら小走りで駆けてくるルウの姿があった。先日購入したロリータ服は、影も形もない。ただただダサいシャツと短パンだけが、容赦なく目に飛び込んでくる。
「んなっ!? なんでだよ!!」
レンちゃんであることも忘れて、レントは叫んだ。
「ちょっと何、その服は!」
「これ〜? いつもの〜」
「いつもじゃなくて、先日買った服は!?」
「えへへ〜……なんか、着るのもったいなくて〜」
ルウが少し申し訳なさそうな顔で続ける。
「だって……レンちゃんが買ってくれた大切な服だし。汚したくなくて〜」
「うぐっ……」
うれしいような悲しいような、複雑な感情がせめぎ合い、うなり声が漏れた。
「……着るために買ったのよ、あれは」
最終的には少しうれしい気分になりながら、ぷいっと横を向いてそう言った。
「まぁいいわ。豆屋に行くわよ」
ふたりは歩き出した。
「今日は別の場所なの〜?」
「そう、別ルートで攻める」
歩きながらレントが解説していく。
「前に一番近かったセーロと同じ山なんだけど、もっと小さな農園の豆を特別に出してもらったの」
「おお〜、特別ってなんかいいね〜」
「言っておくけど、商社勤めなのよ、私。こういうのが本業」
えっへんとした雰囲気でそう言い添えて、レントは足を速めた。
「さあ、着いた」
裏路地に少し入ったところに、レンガを積み上げた壁と古びた木の扉があった。看板には「COFFEE BEANS WAKE HOUSE」とある。装飾もなく、一見すれば倉庫と見紛うような佇まいだ。
「ここ、普通はお店のケモノしか入れない場所なんだけど、今日は特別に便宜を図ってもらってるの」
「わ〜、なんかドキドキする〜」
ふたりで扉を押して「こんにちはー」と声を投げると、奥から「いらっしゃい」と低い声が返ってきた。
足音とともに現れたのは、大柄な体つきに口の周りへ立派なヒゲを蓄えた、この店の店主だった。風格のある、どっしりとしたケモノだ。
「レンちゃんとルウちゃんだね? レント君から話は聞いてるよ」
ルウはその大きさに少し気圧されたのか、するりとレントの後ろに隠れ、顔だけをひょこりと出している。先日、別の豆屋で走って叱られたことを律儀に覚えているらしく、今日はきちんと歩いていた。
「セーロ系の豆を探しているんだってね」
「はい、今日はお世話になります」
「楽にしていいよ。さあ、テイスティングルームへどうぞ」
建物の奥へ進むと、丸いテーブルが置かれた静かな部屋に辿り着いた。
「わぁ、カップも豆もいっぱい〜」
テーブルの上には、アルファベットのシールが貼られた無数のビーカーが整然と並び、それぞれに様々な品種の豆が入っている。各ビーカーの隣には小さなカップが置かれ、すでに抽出されたコーヒーが注がれていた。テーブルの中央には、スプーンと、それを洗うための水の入ったコップ。
「カッピングよ。ここは普段スペシャルティコーヒーの品質チェックをしている店なの」
レントがスプーンを手に取りながら続ける。
「同じ山でも、農園や収穫した年によって風味や香りが微妙に変わる。そのわずかな違いをスプーンで……」
……ルウの鼻だったら、テイスティングしなくても嗅ぎ分けられるか。そう思いながら、レントはすくったコーヒーをズゾゾと吸い込んだ。
言うまでもなく、ルウはすでに真剣な顔で匂いのチェックに入っていた。
「これは前より"ほぬわ〜"」
「こっちは"ほにょわ〜"」
目を細めながら何かを呟いている。独自の判断基準らしいが、何を言っているのかまったくわからない。
しばらくして、ルウの耳がピクンと揺れた。
「これ……!」
一瞬、テンションが上がった。しかし次の言葉は、そっと着地した。
「……前のより近いかも〜」
正解ではなかった。それでも確実に、近づいている。
「つまり、今日も正解はなかったわけね」
「う〜ん……なんかね、"おとなりさん"って感じがする〜」
レントは目を開いた。
「おとなりさん……! つまりこの生産者の周辺を片っ端から確認していけば……!」
そこへ、店主が静かに割り込んできた。
「残念だが、そのエリアで現在生産されている豆は、それで全部だ」
「そんな……!」
絶望的な言葉だった。しかし。
「んや、待てよ……」
店主が何かを思い出すように、少し間を置いた。
「数年前に、高齢で引退した農家が、その山にあったな」
「もしかしたらそれが……! 早速連絡を!」
「慌てなさんな」
店主は落ち着いた声で続けた。
「こちらからも先に当たってみたんだが、電話もメールも通じない。現地で確かめようにも、飛行機で30時間かかる場所だ。そこからケモノづてに辿り着こうとすれば、どれだけかかるか……」
物理的な距離が、静かにのしかかってくる。
「そもそも、その農家がまだ存在しているのかどうかも、わからない」
「……そうですね。少し焦りすぎました」
レントが息を整えると、店主はどっしりと構えたまま、ゆったりとした口調で言った。
「見た感じ、何か訳ありなんだろう? 時間はかかるかもしれないが、なんとかしてみる」
その言葉は、静かだったが、確かな重さを持っていた。
*
店を出たふたりは、ゆっくりと帰路についた。
レントが前を歩き、ルウがちょこちょことその後ろについていく。夕方の空が、街並みの上で橙色に滲んでいた。
「いよいよって感じね」
「おじさん、いいケモノだったね〜」
去り際に、店主が「レント君にはいつもお世話になってるから」とサムズアップしていた姿が、頭に浮かんだ。
そうこう話しているうちにルウのアパートに着いた。
「お疲れさま。進展があったらすぐ伝えるわ」
「うん、ありがと〜。またね〜!」
パタン、と扉が閉まる。その音を確かめてから、レントも帰ろうと足を踏み出した。
しかし、ふと足が止まった。
なんだろう。うまく言葉にならないが、何かが引っかかる。帰り道、ルウの歩くスピードが少しだけ遅かったような。声のトーンが、いつもより少し低かったような。
扉に視線を向ける。静寂だけが、そこに漂っていた。
考えすぎか。
レントはそう結論づけて、その場を後にした。
扉の向こう側で、ルウが壁にそっと背中を預け、その場にしゃがみ込んでいることには、気づかないまま。ぜーぜーと乱れた息が、誰にも聞こえない部屋の中に、小さく響いていた。




