運命だと決めるなら 二話 真水視点
屋上にいた彼は不機嫌を隠さなかった。
随分と遅れたわけではなかったが、その姿に思わず萎縮してしまう。
屋上の吹いた風は冷たく、空は暗い雲が立ちこめていた。
「まあいい、担当直入にいう」
息を整える間もなく、彼が近づいてくる。とてもゆっくりと。
まるで壁に追いやられたネズミの様な嫌な気分だ。
「お前、クロスのネックレスを持っているだろ」
思いもしなかった言葉に優美は反射的にポケットのクロスに手をやる。
先ほども、勇気を出すために握った、ネックレスだ。
そのクロスは美しいものだった。
金色の十字に四方、赤、青、黄、緑の小さな宝石が慎ましく付いている。
でもなぜ彼がそれの存在を知っている?
「どこで手に入れた?」
彼は強い威圧の態度を緩めなかった。
・・・これは、両親の形見だ。
大きな事故だった。
あの日は家族で出かけた帰りだった。少し遠出をして、アイスクリームを食べた。
必死に食べていたのに、こどもの体温で溶けたクリームが手に流れ、べたつく。
母も父もそれを見て笑っていた。
父が私から離れず、母が席を立ち、濡らしてきたハンカチで、優美の手に触れる。
すごいべたべたじゃない、という感想は少しも嫌そうな気配などなく、優しい母の手に手を拭いてもらって、なんだかはにかんでしまう。
父がベタベタになったハンカチを受け取って、その汚れをすすぎに行く。
母は父からハンカチを受け取って笑顔でお礼をいう。
ああ、これが幸せなんだ。ここに生まれてきて本当によかった。
帰り道は眠たくなって、父の後ろでうつらうつらしていた。
母と父の声、優しくて安心する。
急に四方からクラクションの音がした。
一度だけではない、数回、そうしてしっかりと意識を取り戻したときには、父の方の窓ガラスはひび割れて、まるで蜘蛛の巣のようになっていた。
ボンネットは立ち上がりその先の視界を塞ぐ。
父も母もエアバックに顔を埋めていた。
母の肩にはシートベルトが擦れて真っ赤になっている痕が見えた。
それとは対照的に輝くクロスのネックレスの美しさを目に焼き付けていた。
まるで時が止まったようだった。
その日から優美はクロスを肌身離さず持つようになった。
ハッとする。完全に意識が記憶の中に潜っていた。
「お前、能力者じゃないのか」
「能力者・・・?」
「いいか、そのクロスは特別な力が宿っている。ただの人間が持つべきものじゃないんだ」
意識を手放していた間に随分と坂上という青年は優美のすぐ近くまで来ていたようだ。
手首を掴まれ身動きを封じられて、困惑する。
「やめてください・・・!能力者って・・・意味が分からないです・・・っ」
「俺は坂上温人。自殺した者がこの世界でもう一度生きるチャンスを得る・・・俺はそれを絶対にモノにする。誰かを制圧してでも」
自殺?もう一度生きるチャンス?
そんなことが、あるのだろうか?
死んだものが生き返る?そんなこと・・・。
母と父がもう一度脳裏によぎる。
―どんな困難があっても、運命だと決めつけないで、運命は変えられるから。
―優美ならできる。まっすぐに生きるんだ。父さん達はいつもお前の近くにいるから。
そうだ、どんな事だって乗り越えてきた。
これからもそうだ、それを教えてくれたのは両親と、両親の残したこのクロスだ。
奪われるわけにはいかない。
温人が続ける。
「運命なんか変えられない、そう思ってたんだ。・・・でも、変えたくなったんだ。もう一度俺は人生をやり直す。そのためにはそのクロスが必要だ。だからお前のクロスはもらう。」
ああ、彼も、“運命”に逆らっているんだ。
温人がポケットから何かを取り出す。
同じ形状をした小さなクロス、中心には赤い玉が埋め込まれている。
その瞬間、クロスが光を放った。四方に光を乱射させるように眩しく。
一瞬目を開けていられないほどだった。
光が彼の身体を包む。先ほどの制服姿から一変した、漆黒の色の服に身を包んだ彼が現れる。
そんな、魔法みたいなことが、目の前で起こって優美は息をのんだ。
「大人しくクロスを渡せ」
運命を変えようともがく青年の姿に心が痛んで優美は胸の前でクロスを握った。
できるならば、協力してあげたい気持ちも胸を掠めた。
でも。でも。これを、渡すことはできない。
“彼が変えたい運命“は、私から、誰かから、何かを奪って、誰かを犠牲にして変わるものではないはずだ。
温人が手を伸ばした手が、ほんの少しだけ躊躇した。
心が決まっている強い意志の力強い視線が温人を射貫く。
「・・・っ!」
「本当にこれでいいんですか?」
「なに?」
「運命が全てじゃないです・・・!」
その瞬間今度は優美の握った手のひらからまばゆい光があふれ出す。
驚いて手のひらを開くとクロスの光が溢れ目の前が真っ白になった。
その直後。温人の声だけが響く。
「変身がとけるほどの・・・力・・・っ」
その光に耐えられず温人が目をつぶる。
優美は光の中でこの場所の時が止まったようにその瞬間がすべて見えるようだった。
光が収まると気づく。
この姿は先ほどの姿とは別人の様相だった。
ボブだった髪が伸び、ふんわりと腰のあたりに触れる。
握っていたはずのクロスは胸元に正しく収まっていた。
「お前・・・っ、能力者だったのか?!」
「なにこれ・・・」
思わず自分の手を、服を、まじまじとみてしまう。
こんなパニエと呼ばれるような膨らんだ揺れる短いスカートを着ることはこれまでの日常ではなかった。優美は気はずかしさのような、照れるような、不思議な高揚感に包まれていた。
天使、そう呼ぶに相応しい神々しさを温人は感じて息をのんだ。
そんな彼とは別に、女性の声が静かにした。
先ほどぶつかった女性だ。
温人が声をかける。知り合いのようだ。
「空奈・・・」
温人が嫌な所を見られたというようなきまずそうな顔をしていた。
彼女が穏やかな表情でこちらに声をかけてくる。
「ねえ、あなた、あなたは今能力者として覚醒したのよ」
「・・・能力者、ですか?」
「まあ、無理もないわね、いきなりの展開だもの」
なにが起こっているのだろうか。
まだ何も飲み込めなかった。
転校初日、平凡な高校生活を送るはずだった。
それなのにこの状況は一体・・・。
そこへまた、二人とも違う声が舞い降りた。明らかに地上からではない。
上空、あり得ない。
その声はやけに剽軽な、この場に相応しくない、男性の声だった。




