第十五話
目を瞑り、息を呑んだ晃明が次に目を覚ますと、そこは静かな漁港だった。
夕日が地平線の向こうに見え、波音だけが響く堤防の上で晃明は身体を起こした。
「海なんて久しぶりに見たな……」
泳げない晃明にとっては、海なんて所は誘われても絶対に行きたくない場所。だが、夕日に照らされる海は、写真を撮りたいとも思えるほどに綺麗な景色であった。
「計画通りに、この家に居る人間を全て排除する」
「あれって……」
晃明から少し離れた場所に居た男は、魔物達を集めて作戦会議をしている真っ最中であった。そして、リーダーらしきスーツ姿の男は、見覚えのある仮面を付けていた。
あれはまさしく久門だと、晃明はすぐに気が付いた。
「神林さんの家族を殺したのは、久門さん達だったのか……」
すぐに止めなければならないと思った晃明だったが、堤防を下りようとした身体はすぐには動かなかった。『過去をいくら変えても、人間の生死は変えられない』自分が今やろうとしていることは、無駄なことに過ぎない。
それよりもこの場所で、やらなければならない事があるはずだ。この過去の何処かに居る、雲外を見つけなければ。
「雲外さんはどこに居るんだ……?」
「えぇ! 止めなくていいのぉ⁉」
「うわぁ! だ……誰?」
「誰って、僕の事聞いたんじゃないの?」
いつの間にか、晃明の隣に腰かけていたのは、山伏装束姿の背の低い烏天狗だった。
そんな彼の姿を見た晃明は、勢いよく彼に向かって指を指した。
「冬馬さん⁉」
「大正解!」
「どうしてここに⁈ だって、その……貴方は……」
「僕の身体は、雲外様の鏡の中に永遠に存在しているんだよ。それで、雲外様の許可をもらって動かしてもらっているのさ」
「でも、見るも無残なほどに切り裂かれたって……」
「まぁねー。それはさ、ほら、魔法みたいな感じ?」
なんとなく頷くしかない答えに動揺しながらも、晃明は冬馬と共に堤防から降りた。
「それよりもさぁ、あの人助けなくていいの?」
「過去を変えられても、人間の生死は変えられない。神林さんの家族は、どうやったって救う事は出来ないんだよ」
「そっちじゃなくてさ、あの怖い仮面を付けている人の方だよ」
「久門さんの事? 彼を助けるって……彼は別に今もちゃんと生きているよ」
「そうじゃなくて! あの人って恋人が居るんでしょ? 恋人が人間を殺した事のある妖怪だなんて知ったら、僕はショックだなぁ……」
眉を下げながら久門を見つめる冬馬に、晃明は燈の顔を思い出した。
彼女は、久門が魔物を増やす手伝いをしていた事も、神林さんの家族を殺した事も、何も知らない。
もし、それを知ったら燈は久門を嫌うのだろうか。少しでも彼を救う事が出来るのなら、きっと未来の二人はもっと幸せな再会が出来るはずだ。
晃明は、冬馬に視線を向けると大きく頷き合った。
「あの……土屋久門さんですよね?」
「な……何故僕の名前を知っているのですか?」
「雲外さんから教えてもらいました」
「雲外鏡から? 貴方は……?」
「それよりも、この家を襲うことはやめてください」
「ボスからの指示だ。それには応じることはできない」
頭が固いな。
晃明は額を押さえると、止めることが出来そうな案を考える。しかし、その案を披露するよりも先に、冬馬が口を開いた。
「やっぱり中止だーって雲外様が言っていたんだぞ? それでもやるのか?」
「それは、本当なのですか?」
「僕は、雲外様の右腕である烏天狗だぞ。嘘なわけがないだろう?」
「烏天狗……雲外様の使い魔である貴方の言葉を、信じないわけにはいきませんね」
久門は、小さな冬馬に対して律儀に深々と頭を下げると、周りに居た魔物達に撤退を命令した。
「僕の勝ちー!」
「烏天狗って、やっぱり有名なんですね」
「まぁねー」
「あ、そうだ。冬馬さんって一体誰に殺されたんですか? 冬馬さんを助けるのも俺の仕事です」
晃明の言葉に冬馬は、その質問から逃げるように微笑むと、そのまま歩き始めてしまった。
「もしかして分からないんですか? だったらあの日の夜に戻って――」
「僕はいいの。生き返るつもりはないから」
晃明の前で立ち止まった冬馬に、晃明は目を開いて首を大きく横に振った。
「そんなのは絶対に駄目です! 春馬さんが貴方を待っているんですから!」
「彼なら一人でも大丈夫。ほら、それよりも次の場所に行こうよ! まずは健さんだっけ?」
笑顔で振り向いた冬馬に腕を掴まれ、晃明は走り出した。
明るい冬馬の声には似合わなかった、小さくて寂しそうな声。絶対に冬馬を救おう。晃明の意志は変わらなかった。
走っている内に、周りの景色は徐々に変わっていった。どうやらここでは、雲外に関わる過去の場所なら、いつ、どこにでも移動出来るようになっているらしい。
そして辿り着いたのは。見覚えのある山の中。
そして、白い蜘蛛の糸で巻かれた大きな石。その前に立っていたのは久門だった。
「冬馬さん。神林さんの家族は、どうやって亡くなった事になるんですかね?」
「事故とか? 過去を変えて未来がどうなったかなんて、未来に戻らないと誰にも分からないよ。変えたところで、変わっていない事だってあるかもしれないでしょ?」
「そうですね……」
「次は、健さんの家をあいつが襲撃するのを阻止するんだよね?」
「はい。そうすれば健さんはあの家でずっと……」
「どうかした? おーい、晃明君?」
もし、久門が襲って来なかった場合、燈と健はずっと一緒に暮らして行くことになるのだろうか。
そうなってしまったら、燈と百目鬼が出会うことのない未来になる。玉子や雪音にも、その他の皆にも。
このままでは、燈が恋に落ちるのは、健の可能性が高い。それでは、百目鬼の恋はどうなってしまうのだろうか。
「ねぇ、なんか色々と考え過ぎじゃない? 晃明君」
「でも……」
「さっきからずっと言っているだろう? 過去を変えたところで、変わらない事もあるって。恋とか愛とか、そういうのは特にさ、簡単には変わらないんじゃない?」
冬馬は晃明に手招きをしながら、久門の方へと歩いて行く。
変えなきゃいけないところは、変えなければならない。足早に追いかけて行けば、足音に気づいた久門が二人の方へと振り返った。
「貴方達は……」
「今日も雲外様から命令聞いているんでしょ?」
「いえ。本日は何もありませんが?」
「え?」
首を傾げる久門の言葉に、晃明は驚きの声を漏らしてしまった。
辺りの木々の葉はあの時と同じように、ちゃんと秋めくように色づいており、雲外の過去に関係ある場所にしか、移動できないはず。
まさか、これから命令が来るのだろうか。
「それに、僕はもう魔物のグループからは抜けましたから。もう、僕には何も来ませんよ」
「辞めたんですか?」
「この間、健という鬼の妖怪と出会ったのです」
「健さん……」
「彼が教えてくれたのです。恋人が幽霊になって僕を探していると。しかし、今はまだ会うべきではない。そう言われたのです」
「会うべきではない?」
久門は仮面を外すと、穏やかな笑みを浮かべて、どこか嬉しそうに答えてくれた。
「彼女には山の麓の街で、もう一度人間として過ごしてもらいたいのだと。彼の思いに僕も賛同しました。ずっとこの場所で僕は、人間と出会わないようにと、密かに不自由な暮らしを彼女にさせてしまった。だからこそ、人間と楽しい日々を悔いなく過ごして欲しい。その気持ちは、僕にもありましたから」
「また会えるといいねぇ」
「えぇ。きっとまた」
久門の表情は、晃明が初めて出会った時と比べ物にならないくらい、希望と嬉しさで満ち溢れていた。
これも、彼の過去を変えたお陰なのだろうか。
「でも、どうして雲外様は健さんを襲わなくなったんだろうね?」
「もしかしたら……自分で襲いに行ったのかも」
晃明と冬馬は顔を見合わすと、大きく頷き合い健の家へと走り出した。
草むらの影から顔を出して健の家を見つめていると、中から健が出て来た。
「燈さんが居ない……」
「街に行かせたんだろう?」
「俺が前に来たときは、まだ燈さんは家に居たんだ」
「じゃあ……ここは晃明が来た後って事?」
過去を変えると未来が変わる。
久門を助けたことにより、何かが変わったってことなのか。
「冬馬さん。君には、雲外さんがどこに居るのか分かるの?」
「それはもちろん! 右腕である僕にとっては楽勝なもんよ!」
「なら、会わせて欲しい」
「でも、今あったとしても亮さんを助けられるのか? まずは亮さんを――」
「雲外さんを変えないと意味がないんだ。久門さんを止めて健さんを助けられたとしても、雲外さんと亮さんが出会ってしまったら、未来は何も変わらない」
晃明の言葉を受け止めた冬馬が、晃明の肩に優しく手を置くと、一瞬にして景色がまたもや変わって行った。
薄汚れたシャツとズボン。夕焼けに照らされている長い銀髪。
綺麗な神社の賽銭箱の前に立っていた雲外は、タイムスリップしてきた晃明と冬馬の姿を、ただじっと見下ろしていた。
「雲外さん。貴方を助けに来ました。亮さんとの争いを今すぐに止めないと――」
「やはり、小生の過去を変えに来ましたか」
ゆっくりと階段を下りてくる雲外に、晃明も歩み寄っていく。
「未来では、亮さんが魔物になって大変な事になっているんです」
「それはそれは、とても素晴らしい事になっているではありませんか」
雲外は楽しそうに微笑むと、足を止めて階段の二段目で足を止めた。
「そのせいで、沢山の妖怪が魔物になっているんです! それに、未来の雲外さんは必死に、亮さんを封印させようと努力しています! 今から亮さんの魔物化を止める事が出来れば、未来を変える事が出来ます」
「未来の小生は、頭がおかしくなったのでしょうか?」
「変わったんですよ。人間と妖怪が共に過ごせる街を、俺らと一緒に作ろうとしているんです」
「そうではありません。そもそも小生には、魔物を封印する力などありません。それに、もう一つ。誰かの過去へと自由に他人を送り込む能力など……小生にはありませんよ?」
「え……?」
雲外の言葉に、晃明は唖然とした。
だったらあの時も、今も、一体誰が自分を過去へとタイムスリップさせているのか。あまりの驚きに、思考回路が停止してしまった。
「未来の小生は、もっとも大切なことを教えてはいなかったのですね。貴方の妖怪化が進んでいるという事を」
「どういう意味ですか? 晃明君は人間ではないんですか⁈」
「小生は、とある実験をしてみたのですよ」
雲外は、人差し指を立てると怪しく口角を上げた。
「人間の中に妖怪の妖力を取り込ませ、十分に体が発達するまで育てる。小生には、ここまでが限界でした。その後、その人間を新たな妖怪として発達させるには、ある妖怪の力が必要だった。しかし、その妖怪の居場所などは知らなかったため、小生は諦めていたのです」
雲外の言葉を、晃明は一言一句聞き逃さないように集中して聞いていた。
「だが人間は、奇跡的にその妖怪と出会ったのです。そして彼の力によって、徐々にその人間は妖怪と化している」
「じゃあ、その妖怪を止めさえすれば、晃明は人間に戻れる!」
「無理でしょうね。彼は友人が欲しいみたいですから」
「でも……」
「それに、晃明殿が妖怪となれば、もっと強力な力を手に入れられるかもしれません」
晃明の隣に並んだ雲外を、晃明は力強く睨みつけた。
「そんなことよりも今は、亮さんの魔物化を防いで欲しいんです!」
「無理です。小生が生きている限りは。それに、彼が傍に居るのであれば大丈夫ですよ。彼は、妖怪の中で唯一魔物を消滅させる事が出来ますからね」
「亮さんを殺すわけにはいかないんです!」
「だったら! 自分の力で助けたらどうです? 貴方の能力にはまだ、劣っている部分がある。それを補えばきっと、救えるはずです」
晃明は違和感を覚えた自分の手に、視線を落とした。そこには、自分の掌の向こう側に、透ける様に見える自分の靴が見えたのだ。
それは手だけではなく、全身にまで広がっていた。
「晃明君! 制限時間が来たんだよ! 早く戻らなくちゃ!」
「雲外さん。もしも俺が妖怪になったら、どんな妖怪になるんですか……?」
「そんなの決まっているではないですか。『泉晃明』という妖怪ですよ」
「それは俺の名前で……」
「はい。小生も、人間に付けられた雲外鏡という名前しかありません。冬馬もそうです。冬馬という名前はただの飾り。烏天狗という一括りにされた名前しかありません。だからこそ、貴方は泉晃明という名前の妖怪になるのです」
晃明は覚悟を決めた。
自分が『泉晃明』という妖怪になることに。
「本当になるのかい? 妖怪なんて、なるもんじゃないよ!」
「でも、そうしなければ皆を救えない。俺は、やる」
「では、彼にお願いしたらどうです? 冬馬を殺害し、亮を利用して魔物狩りを行っている妖怪に」
「ちょ……そんな妖怪が、俺の傍に居たんですか⁉」
淡々と衝撃的な発言を繰り返す雲外に、晃明は透け始めている手で、雲外の腕を力強く掴んだ。
「晃明殿の唯一無二の親友ですよ? 魔物になった妖怪の妖力を吸い取っては殺し、妖怪が少なくなり始めたら、人間を妖怪にさせる。これこそ最恐と恐れられた妖怪様。小生も彼には頭が上がりませんよ、髑髏怜也様には」




