第十四話
「ここに燈は居る」
百目鬼の案内で久門をえんらまで連れて行くと、何故か久門は、店を見つめたまま固まってしまっていた。
「緊張してねぇで、さっさと会って来い」
「いえ……その前に一つだけ確認を……」
「なんだよ」
「本当に……ここに燈が?」
「そうだって言ってんだろ」
震え始めていた久門の身体を不思議に思った晃明は、久門の顔が見える前へと移動すると、久門の顔は血の気が引いたかのように、真っ青に変わっていた。
「どうしたんですか?」
晃明の声掛けをも無視し、久門は勢いよく引き戸を開け放つと、店内へと駆け込んで行った。続くように晃明達も中へと入って行ったのだが、変わり果てていた店内に目を疑った。
いつもなら、美味しそうな匂いが漂っているはずの店内には、黒く重たい空気が漂っており、客などは誰一人として居らず、どこかで感じたことのあるような苦しい空間が広がっていた。
「まさか……」
晃明はすぐに気が付いた。
靄のように漂っていたのは、魔物から放出される澱んだ空気。今にも頭痛や目眩に襲われてしまいそうな、苦しくて力が抜けそうな邪悪な雰囲気は、あの路地裏で感じたものとであると。
そして、このえんらの中に魔物が侵入している事を。
「雲外から先週手紙が届いた。街にはまだ鬼が居ると、邪悪な鬼の匂いが消えないのだと。妖怪や人間が集まる場所を襲え。そう言われた」
「お前……まさかこの場所を⁈」
「えんらという店は、様々な妖怪達が行ったことがあると証言していた。だから……」
「ここ二週間。情報集めと雲外探しに忙しく、我々も顔を出せていなかった。えんらから私達が離れたことを知った雲外君が、命令を意図して出したという事になるね」
「意図して……」
「やっぱり、あいつが裏切り者だったんだな」
そう百目鬼が言い捨てた瞬間、店内に漂っていた真っ黒な煙が段々と濃くなっていった。
晃明は、煙が流れてくる方向に視線を向けると、そこは店の二階へと続く階段があった。
「痛い‼ 離しなさい!」
近づこうとした晃明の前に、階段の上から落ちてきたのは玉子だった。
「玉子さん⁈」
「晃明君……早く逃げなさい……!」
身体を強く打ち付けてしまった玉子に、すぐさま駆け寄った晃明。そして、少しでも深く吸い込んでしまえば、気を失いそうになる邪悪な空気に耐えながら、晃明は視線を階段の上へと向けた。
「あぁ……愚かです。妖怪も、人間も」
「雲外さん……!」
「小生がボスだと、見破った晃明殿はお見事ですね」
「てめぇ……燈は? 雪音もどこにやった⁈」
「この小生が頂きましたよ」
雲外は不敵に微笑みながら、一段一段ゆっくりと降りてくると、晃明に向かって手を差し出してきた。
「晃明殿。こちらにそろそろ来ませんか? 貴方が居れば、この街は平和になる事は間違いないのです」
「狙いは、俺の中に居る冬馬さんですか?」
「いえいえ。貴方、ですよ?」
雲外は、手を晃明へと近づけていく。瞳の奥まで真っ黒に染まり、身体から黒い靄を出す雲外に、晃明はその場から身動きが取れなくなっていた。
しかし、手が掴まれる直前に神林が雲外の手を横から掴むと、ゆっくりと引き離した。
「雲外君。君がどうして魔物になど、ならなければならなかったのか……寄り添うことが出来なくてすまなかったね」
「出雲さんに寄り添ってもらう筋合いは、ありません」
「そんなことはないだろう。君は私の大切な社員であり、友人なのだから」
神林の言葉に、雲外の周りにあった黒い靄が薄っすらと消えていく。
晃明は、その一瞬を見逃さなかった。雲外から放たれていたと思っていた黒い靄だったが、よく見るとその霧は、更に後ろから流れて来ているのに気づいたのだ。
「神林さん! 二階に何かが居ます!」
晃明が二階を指差したのと同時に、二階から勢いよく何かが落下してきた。
咄嗟にその場から離れた晃明達の前に現れたのは、今まで見てきた物よりも濃い、どす黒い靄を身体から放っている大きな魔物。
「俺はもう騙されねぇぞ。お前は、魔物なんかじゃない。こいつが正真正銘の元凶だな?」
「百目鬼……」
「こいつを庇う理由はなんだ?」
二階から飛び降りてきた百目鬼は、大きな魔物を容赦なく足で押さえつけた。
すると、徐々に黒い靄が和らいでいき、姿形が見えて来たその魔物の正体は、真っ赤な身体をしていた鬼であった。
「鬼……?」
鋭い爪に大きな角。その姿は、絵本の中でしか見たことが無い鬼そのもの。
晃明が唖然と見つめることしか出来ないその鬼のもとへ、神林だけが躊躇いなく近づいて行った。
そして彼は、小さな声で聞き覚えのある名前を口にした。
「亮さん……」
「亮って……これが神林の探していた鬼なのか⁉」
「どうして……亮さん!」
神林の問いかけにも応じることはなく、亮と思われる鬼は、俯いたまま苦しそうに呼吸をしていた。
「小生は、出雲さんがこの最凶の鬼の息子であると知り、魔物達に殺すよう命令を下しました。恩を仇で返す事になることは、もちろん承知の上で。出雲さんが消えれば、彼は自らを責め、妖力も弱まり、静かになると思ったのです」
「ちょっと待ってください! 話が良く分かりません。本当に、亮さんが魔物の元凶なんですか?」
晃明の問いかけに、雲外は亮の傍へと近寄ると、胸元から出した鏡を置いた。
鏡から放たれる眩しいくらいの光から、彼は逃れようと呻き声を上げながらもがき始めた。
魔物が雲外の鏡に映ると、体が燃える様な程の痛みに襲われるのだと、晃明は冬馬から教えてもらっていた。
「彼が魔物になってしまった原因は、小生との出会いがきっかけなのです。小生が、妖怪として生きていたから、そして、未だに鬼狩りをしていることを知ってしまったから。彼は、魔物になってしまった」
「雲外さんと亮さんの関係って?」
「小生は、今から遥か昔に、鬼によって絶滅させられた陰陽師です。鬼と陰陽師は、何百年間も争ってきました。滅ぼしたと思っていた陰陽師が、妖怪としてこの世にまだ存在していることは、鬼にとって許されないことです」
「でも、妖怪となった人間に対して、魔物になるほどの怨みを持てるんですか? それに、亮さんが本当に魔物なら、神林さんを助けたりするんですか?」
「彼は、鬼なのに人間を決して襲わなかった。だからこそ、鬼を見境なく退治していく陰陽師に、強い怨みを持っていたのでしょう……」
雲外はそこまで言い終えると、急に力が抜けたようにその場へと座り込んでしまった。
「雲外さん⁈」
「彼を封印すれば……全てが終わるはずだったのです……しかし……」
「私が、邪魔をしてしまった」
雲外の声が弱弱しくなっていくのに連れて、鏡の光も衰えていくのが目に見えて分かった。
彼の身に一体何が起こっているのか。
晃明は大きな彼の身体を支えながら、玉子を畳の上へと寝かせた神林に視線を向けた。
「本当はあの日、私も殺すつもりだったのでしょう。鬼と仲良くしている人間は、雲外君にとって悪であったから」
「小生はその時、二度目の敗北を感じました。山に戻って……静かに暮らそうと」
雲外の妖力が弱まっている。亮が暴れないように必死に抑えているのだろうか。
晃明は、すぐに雲外の負担を軽くしなければならないと悟った。
晃明が、雲外を救い出せる唯一の方法。やらなければならないことはただ一つ。
それが上手くさえいけば、きっと全てが生まれ変わる。
「雲外さん。俺を雲外さんの過去に行かせてください」
「小生の……?」
「亮さんも健さんも、雲外さんも。俺が全員救ってみせます」
「しかし、力を注げるのは一つだけ。そんなことをしたら、ここで彼を食い止められなくなってしまいます」
この狭い店内で、亮が暴れだしたら確かに危険だ。だが、解決の糸口は全て雲外の過去にある。
晃明が更に頭を捻らせた時、階段を下りて来た百目鬼が嘲笑うかのように、鼻で笑った。
「おいおい、俺らを舐めてもらっちゃ困るぜ?」
「お前一人で彼を食い止めることは、絶対に不可能だ」
「だから、言ってんだろ? 俺らだって」
自信満々のドヤ顔で、店のドアへと指した百目鬼。その先には、走って来たのか息を荒げる春馬と河井、そして怜也が居た。
「戦闘準備ってなんだよって思ったが、そういう事かよ」
「皆さん……どうしてここに?」
「晃明の事なら、なんでも分かる。雲外探しをしていたこいつらを呼び出すのに苦労したが、間に合って良かった」
「怜也……」
「なんだよ、お前ら戦隊モノみたいな登場しやがって」
「悪者みたいな見た目している奴に、言われたくない」
久しぶりに聞いた河井と百目鬼の口喧嘩。でも、今はそんなことで喜んでいる場合ではなかった。
すぐに神林の協力を受け、雲外と鏡を店の外へと連れ出した。
「いいですか? 晃明殿……一つ言い忘れていたことがあるのです。過去はいくらでも変えられますが、それは制限時間内だけの話です。時間を過ぎてしまったら、二度とこちらへ帰っては来れない」
「制限時間……」
「それと、もう一度言っておきますが、人間の生死は何をしようとも変えられません」
晃明はゆっくり頷くと、覚悟を決めた視線を送った。
「ならば、其方の安全は僕が保証しましょう」
「久門さん!」
河川敷を下りて橋の下へと身を隠した二人の隣に座り、雲外の肩に触れた久門。
その瞬間、久門が着ていたスーツに傷や汚れが目立ち始めた。スーツに注いでいた全ての力を雲外へと注いだのだ。
「晃明殿……必ず、戻って来てくださいね?」
「大丈夫です。俺は一人ではないみたいなので」
晃明は二人に微笑みかけると、鏡から放たれた眩しい光に包まれた。




