方策
「何で…?」
ぽつりと呟かれた音は、沈黙の降りている部屋に響いた。
何故ここにいるのかと問い詰めたいようなそうでないような、複雑な顔をした灯里が、青年を凝視する。
その視線は、ドアを開けた使用人らしい女性を通り抜け、その後ろの──茶髪の青年に注がれていた。
目を見開いて固まってしまった灯里に、ちょうど今入ってきたばかりの青年は小首を傾げた。
後ろから現れた人物を見た刹那に表情が強ばった黒髪の少女を、青年は不思議そうに見下ろす。
そして、そのまま口を開いた。
「アカリというのは、貴方ですか?」
「…………そうですが?」
長い沈黙の後、灯里は肯定の返事をした。
警戒しているのか、言葉は少なめだ。
「……」
青年の向けてくる真っ直ぐな瞳を半ば睨みつけるようにして見上げながら、灯里は、使用人の「失礼いたします」との言葉にわざわざ小さく頭を下げた。
目の前の奴は敵かも知れないけれども案内しただけなのだから使用人は悪くない、とでも言いたげだ。
頭を下げる際も極力視線を外さないでいる灯里に、青年は苦笑を零した。
「そんな、猫みたいに警戒しなくても宜しいですよ」
「…いいえ、滅相もない」
灯里は、そんなつもりは毛頭ありませんとシラを切るものの、表情は未だ堅く、瞬きの回数は極端に少なくなっている。
これで、警戒していないと言われる方が不自然である。
「それより、何のご用ですか?」
「……アカリ様は、お忙しい身ですか?」
「は? …いいえ」
灯里は意図の掴めない質問に一瞬顔をしかめたものの、すぐに否定する。
「では、少しは語らう時間がございますね」
「え、あぁ…まあ、そうですね」
…まったくもって掴めない。
不可解だと眉根を寄せる灯里とは対照に、青年の方はどこかほっとしたような表情をつくった。
「申し遅れました。私はオズウェル・ルーデル、アーカイス国の役人をしています」
「……ご丁寧に、どうも…」
青年もといオズウェルの微笑みにピクリと肩を跳ねさせた灯里だったが、それはごく些細な変化だったため、追求されずに流される。
「………えっと」
頼りなさげに視線をさまよわせた灯里は、自分の服装に目が止まって慌てて立ち上がった。
「っ」
途端に眩暈が襲ってきて、重力のままにふらふらとベッドに座り直す。
…目の前が妙に暗い。目を閉じると変な模様が浮かんでくるような気もして、灯里は頭を押さえた。
とはいっても、貧血や立ち眩みの時と同じような症状であるし、それほど心配することではないのだが。
「大丈夫ですか!?」
「……えぇ。すみません、こんな格好で」
「あ、いえ! こちらこそ、押しかけて申し訳ありません。…女性の寝室に押し掛けるということを始めとして全て此方が悪いので、咎められるのはこちらの方ですし…」
「寝室云々はルースラッド国王の許可得てますよね?」
「左様です、が…」
「なら良いです」
プライバシー云々に問題があったとしても、悪いのは断じて目の前の男性ではない。
面と向かって許されても、やはり若干の居心地の悪さはあるのだろう。どちらも今更ではあるが、灯里は服装を気にし始め、オズウェルは伏し目がちに絨毯へと視線を寄越した。
灯里の部屋とはいえ、ここは客室のため調度品は全てルースラッド側のセンスだし、彼女としては見られてもなんら支障はないのだが。
まぁ…不躾に部屋の中を見渡されるよりは断然マシだ。いや、でも、寝間着姿を見られるのは気恥ずかしいような、と灯里は視線をさまよわせる。
奇妙な沈黙が落ちた。
部屋の空気は棘々しいわけでも悲壮感が漂っているわけでも気まずい空気が流れているわけでもない。喧嘩の最中のような底冷えのする感覚に見舞われるわけでもない。かといって、薔薇色の空気というわけでは勿論ない。
強いて言えば、気まずくて互いに黙り込んだというのが正しいだろうか。
もし、この場に空気の読める第三者が現れたのなら、おかしい空間だと頭を抱えることになるのだろう。
だが、幸いというか何というか、そんな第三者は現れないし現れる気配もなかった。
それはつまり、この状況打開に第三者の介入は期待できないという事と同義でもあるのだが。
「用件をどうぞ」
灯里が、ずっとこうしていても話が進まない、時間の無駄だと判断したらしく、口火を切った。
その声に釣られて灯里を見たオズウェルが、漸く話し出した。
「まずは、我が主君──レオナール・アーカイスが、大変失礼を致しました」
レオナール、と名前が出てきたところで痛みを堪えるように身じろぎをしてしまったものの、それは相手が見ていなかったために救われる。
深々と頭を下げてくるオズウェルに、灯里は力無く首を振った。
「べつに、もうそれは良いです。何であんなに怒っていらっしゃったのかは分かりませんけど」
「アカリ様」
言葉を途中で遮られた灯里が、名前を呼ばれて微かに首を傾けた。
その様子を見たオズウェルは、ふと「これは内密にして頂きたいのですが」と声を潜めて、灯里の耳許に口を近づける。
それほど、他人には聞かれたくない内容なのだろう。
「あのドレスは、レオナール様が数年前に、とある愛している方にお贈りなさったものです。その方はある事情でお亡くなりになってしまったのですが──主君は、それからもあのドレスを大切に保管していらっしゃいました。それが数日前、ルースラッドに引き渡されることになりました。…これに関しましては、詳しくは知りません。そもそもそのドレスが存在しているのは極秘でしたから──噂では、裏で何やら取引があったのだと言われてますけど…真実は不明です。けれど、ドレスがあることを知っている者はごく少数に限られていますから、その取引をした人間を特定するのはそう難しいことではありません。──すみません、話が逸れました。……そのドレスは、レモンド色の最高級生地を基調としたものです。レースなどの装飾品は少ないですが、よく目を凝らすと別の模様が浮かび上がってくる造りになっているようです』
「……もしかして、その刺繍って白銀色の鳥や蝶のだったり…?」
頷くオズウェル。それを見た灯里は、さらに質問を重ねる。
「そのドレスが…その、えっと…レオナール様に会った時に私が着ていたドレスだとか…?」
「……ええ。ご名答です」
灯里は、その答えに頭痛を覚えて頭を抱えた。
──やっと繋がった。
「そりゃあ、愛していた人に贈ろうと思っていたドレスを他の人が着て現れたら怒るよ……」
「…そうですね。その方と貴方は、似ても似つかぬ容姿ですし」
「酷い言われようなんですが…?」
「すみません、真実なもので」
「今さらっと、とんでも無い暴言吐きましたね」
「気のせいです」
「………あぁ、そうですか」
灯里が、しれっとこちらの抗議を受け流す相手に溜め息を吐く。扱いに苦労しているようだった。
「……とにかく、貴重な情報ありがとうございました」
「いいえ──それより、証明できて良かったです」
「は? 何が…?」
付け足された言葉に不穏なものを感じたらしく、灯里が訊ねる。
その問いかけに、オズウェルは微笑みを返した。
「貴方が、シスリア・ルーデルであるという証明です」




