甘え
──目覚めたのは、それから一時間ほど後のことだった。
「………」
灯里は、眠りすぎて腫れぼったい目蓋を薄く開いて、そのまま仰向けの体勢で天井を見上げた。
相変わらず、身体は怠く、頭は鈍痛を訴えている。一週間近くもほぼ寝たきりになっていたから、だいぶ筋肉も衰えていることだろう。…頭痛の原因は何だろう、心当たりが多すぎて分からない。
さっき起きたとき、ついでにと軽く整えた髪は、起きると再びぐちゃぐちゃになってしまっていた。おそらく、何度も寝返りを打ったり体勢を変えたりしていたからだろう。
──いつ頃からか明確には分からないが、ここ最近は、深い眠りに入ることが全く無くなっている。
……べつに風邪である訳でもないのだから体力も消耗していないし、空腹感もあって寝るに寝れない状況であるから、妥当といえば妥当なのだが。
灯里はゆっくりと瞬きを一つすると、ぼんやりと虚空を見つめていた瞳を不意に動かして、テーブルの上に置いてある食事に視線をやった。
「(………変わってない)」
たまごスープとフレンチトーストは、何も変わらずにテーブルの上にある。
まあ、わざわざ目で見て確認などしなくても、変わっていないのは分かっていたのだが。…人が入って来れば嫌でも分かるし、今の灯里は絶対に起きるからだ。
長くだらだらと寝ている分、睡眠の質は時間を追う毎に下がってきている。だから、少しの物音でも意識が浮上してくるのだった。
べつに、衰弱死をしたいわけじゃない。
ただ、食べれば頭が覚醒してしまうだろう──それが怖かった。
そうすれば、また悩まなければいけなくなる。今はどうにか自分を誤魔化して、それは考えないようにとしてはいるものの、それも限界に近づいてきているように思う。
それに、このまま現実から目を背け続けるわけにもいかないだろうし──…
「………仕方ないね」
そう呟いた灯里は、おもむろに、掛けていた布団を両手で退かせ始めた。
ようやく、本格的に起きる体制に入ったらしい。
正直にいうと起きあがるのも億劫だけど、これ以上周りに甘えるわけにもいかない。身体としてはまだ子供と大人の中間だけれど、精神的にはもう大人なのだから。
「(それにしても、起きたら何て言われるだろうねー……?)」
今の周りには、追い打ちのように厳しい言葉を掛けてくる人は居ない。だから、その点は安心できる。
「(でも、心配掛けたし…)」
たぶん、兄姉あたりが過剰に心配してきて、蛍にしつこく何があったのかと聞かれるだろう。その時のストッパー役は恐らく海になるかもしれない。あの弟は、見た目に反して常識人だから…──
その光景を、何の躊躇いもなくすんなりと思い描くことが出来た灯里は、その事に内心で苦笑しながらも、その時は文句は甘んじて受けようと心に決め、ベッドから床へと足を付けた。
──ギィ…
「っ!?」
と同時に、扉が開く。
その予期せぬ事態に、灯里は悲鳴も上げられず、床に片足を付けたそのままの体勢で固まってしまった。
そして、反射的に其方を見上げて──
◆◇◆◇
「灯里姉ちゃん、大丈夫かなぁ……?」
不安そうに問いかけてくる蛍に、訊ねられた咲は緩やかに首を横に振った。
「分からないわ。…でも、いくら重い風邪だと言っても、家族との面会まで遮断するのはおかしいと思うのだけれど。浩介はどう思う?」
しかも一週間も面会遮断だなんて、と疑問を呈する咲に、意見を求められた浩介は口を開いた。
「僕らの常識に当てはめればそうだけれど、こちらではそれが普通なのかもしれないよ。もっとも、この可能性は低いけれどね。……風邪ではない、と考えた方がしっくりくるんじゃないかな?」
「風邪じゃない…?」
「でも、死ぬわけではねぇんだろ?」
隣に座っている海からの質問に、これはあくまで僕の考えだけど、と前置きをした後、
「それなら、とっくに地球に還している筈だけど──ここより、地球の方が、医学は発達しているからね。…少なくとも、そこまで症状が重いなら、王宮の一室なんかじゃなく専門の場所に運ぶと思うよ」
「えっと、じゃあ……嘘って事?」
難しい話だと眉根を寄せながらも、どうにか理解したらしい蛍が、今までの話の総括を確認するようにそう訊ねた。
訊ねられた相手である浩介は、妹のストレートすぎる問いかけに苦笑を漏らすと、続きの言葉を紡ぎ始める。
「これが嘘だとしたら、恐らくそれは灯里の為だよ」
「灯里姉ちゃんのため…?」
蛍は、意味が分からずに聞き返す。
これは他の二人も同じだったようで、しきりに首を傾げていた。
「この国の王族か上層部が自発的に灯里を僕らから隔離しているのか、灯里が僕らに会いたくないと訴えたのかは分からないけど──彼らが隔離しているのなら、理由は恐らく魔王討伐だろうね。僕らに、そっちに集中して欲しいと思っているのかもしれない。…例えば──灯里が、暇になってちょっかいを出してくる可能性を危惧した、とか…ね」
「あいつはそんな事しねぇだろ。…それくらい、親友だったんなら分かってるはずだけど?」
「それもそうだけど──シスリアの時がどうだったのかは知らないから、何とも言えないよ」
海の不満げな反論に、浩介は、判断材料が少ないから、今はまだ憶測しか出来ないのだと肩をすくめた。
「じゃあ、灯里姉ちゃんが自分で閉じこもっているという場合は?」
「人に会いたくないから…っていうのが一番有り得るんじゃないかな?」
その考えを聞いた咲が、人に会いたくなくなる時はどんな時だろうかと考え始める。
やがて、思い付いた様子で視線を兄に向けると、口にするべきかと迷いながらも恐る恐る口を開いた。
「──何か…嫌なことがあったって事?」
「それが一般的だけど。そうじゃない場合もあるから、断定は出来ないんだけどね」
浩介は直球の質問に苦笑を浮かべて、言葉を濁した。
──ただ、その考えは兄弟の中での確定事項となったようで、その場に沈黙が降りる。
そんな中、そろりと蛍が挙手した。
どうしたのかと視線で問いかけてくる兄弟たちに、蛍はゆっくりと口を開いた。
「…あのさ。灯里姉ちゃんの部屋って、鍵かかってたっけ?」
「……いや、掛かってなかったと思う、けど…」
そう答える海は、次の蛍の言葉を予測したらしく、頬をひきつらせた。
「まさか、突入するわけじゃ…」
「あ、よく分かったね!」
上の兄弟たちが突然の質問に意図を計りかねている中で分かるとは、さすがは双子である。
…もっとも、蛍と海の思考回路が似ているというわけでは無いようだが。
「さすがは海!」と、蛍のテンションが上がる一方で、自分の予想通りの返答をされた海は、頭を抱えた。
「………当たってほしくないところで…っ」
途中で言葉を打ち切って深い溜め息を吐く海に、双子の妹はきょとんと首を傾げた。
「いいアイデアだと思うんだけどなー?」
「……蛍。さすがに、押しかけみたいな事はちょっと…」
代わりに蛍の案を諫めたのは、浩介だった。
それに咲も追随する。
「そういうのは、そっとしておくべきよ。それに、あと数日は猶予があるんだから──」
その続きの言葉は、突如聞こえた大声によってかき消されたのだった。
長らくお待たせ致しまして、申し訳ありませんでした。待っていてくださった方々、ありがとうございます。
(難産です…)




