結
氷窟から持ち帰った話は、前の章でおおかた書き終えた。書き残したのは、ひとつだけである。別れ際の、最後の問いと、その答えのことだ。
その前に、帰り道のことを少しだけ書かせてほしい。ニヴァルから村へ戻って、荷を解くのもそこそこに、私は三日歩いて、エルダの森の縁へ行った。見回りの声を待って、挨拶をひとつ。息二つ半ののちに、返事があった。それから、あの短い、私の名の声。行きと同じである。何ひとつ変わらない。世で初めて龍と語り明かした男になって帰ってきても、森の隣人にとって、私は相変わらず、間だけは守る顔見知りの猟師なのだった。あのとき腹の底から湧いた可笑しさを、なんと呼べばいいのか、いまも分からない。ただ、ああ、帰ってきた、と思ったのである。
さて、最後の問いの話をする。氷の門を出る間際、私は振り返って、精いっぱいの継ぎはぎで訊いた。また、参ってよいでしょうか、と。われながら、子供のような問いである。五十年かけて言葉の壁を這い登った男が、最後に訊いたのが、これだった。だが、ほかに訊きたいことが、もう残っていなかったのである。
あの方は、すぐには答えなかった。息の二十ほども、黙っていた。それから、龍語で、長い答えをひとつ、くださった。人の言葉ではなく、龍語で、である。私はその場で、擦り切れた最後の帳面に、一音も落とさず書き取った。そして、書き取りながら、分かってしまった。壁を越えた耳は、都合よく閉じてはくれない。あの答えの意味は、輪郭どころではなく、はっきりと、私の胸に届いた。
その声形を、この頁の下に、写しておく。
訳は、付けない。
これを読むあなたは、怒るかもしれない。五十年かけて習った男が、生涯でいちばん大事な一節を、訳さずに仕舞うのか、と。仕舞うのである。理由を、できるだけ正直に書く。言葉には、宛先がある。広場で語られる言葉があり、帳面に写してよい言葉があり、そして、ただひとりに向けて手渡される言葉がある。あの答えは、三つめだった。訳して並べれば、意味は写るだろう。だが宛先は写らない。宛先の消えた言葉は、同じ音をしていても、もう同じ言葉ではない。私は五十年、龍たちの声を書き取って生きてきた。書き取ってよいものだけを、書き取ってきたつもりである。最後の最後に、その線を跨ぐわけにはいかない。
頁の隅に、小さく書き添えておく。
訳せる言葉と、訳してよい言葉とは、別のものである。
どうしても中身が知りたい方に、道をひとつ、教えて差し上げる。習えばよいのである。声形はこの手記に残した。写し替えの決まりも、間の測り方も、戸の叩き方も、残した。五十年かかったが、私は猟師の三男で、独学だった。あなたがたには、私の帳面がある。半分の年月で届くはずである。そうして壁を越えた誰かが、いつか北の氷窟の前に立って、間を守って戸を叩いたなら、そのとき、あの答えの意味は、その者だけの宛先で、もう一度語られるだろう。私が貰ったものは、そういうものだった。
仕舞いに、礼を書く。番いの歌で私に手ほどきをくれたサワミソサザイと、里鴉と、山猿に。テルの村と、ウルの湖の七つの村と、ザレの高地のイサの村と、ガルドの麓の村々と、ケレの浦と、マハルーナの町に。三十年、声を送り続けてくれたノエに。舞帳を開いてくれた代々の帳役に。言伝のものに。十九通の断り状のあとで戸を開けてくれた白い神殿に。そして、龍たちに。黙って見下ろしてくださった方々にも、声をくださった方々にも、同じだけの礼を言う。黙っていることも、あの方々の言葉であると、いまなら分かるからである。
この清書を、ペルガ、あなたに送る。五十年、鳥の囀りを文法で語る男の帳面に、ただひとり返事をくれ続けた、グラナガダンの書庫のあなたへ。最初の手紙で、あなたは、この帳面は分類に困る、と書いてよこした。五十年かけて、私はようやく、困らせ甲斐のある一冊を仕上げたと思う。読み終えたら、書庫の好きな隅に置いてくれてよい。帳面の残りも、私が死んだら残らずそちらへ行くよう、姪に頼んである。置き場所に、困るがよい。私の学問は、あなたという読み手ひとりの上に立っている。それで足りている。足りて余っている。
窓を北に開けて、これを書いている。この足は、もう氷原に届かない。また参ってよいか、という問いの答えを胸に持ったまま、届かない足で暮らすのは、思っていたより、悪くない。約束というものは、果たされる前から、人を温めるのである。
王国歴1385年 聖燭の月
北辺ロヴニの村にて
リエン・ロ・ハーグ




