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 まず、断っておかねばならないことがある。私を学者と認めた学府は、この世にひとつもない。龍語学者という肩書は、私が勝手に名乗り、五十年、下ろさずにきたものである。看板に偽りありと思う方は、ここで頁を閉じてくださってよい。ただ、この看板を五十年掲げ続けた男が世にひとりいたことだけは、閉じられた後も、事実として残る。


 始まりは、七つの年の吹雪の日。山で日が暮れ、岩陰で膝を抱えて、指の先から順に感覚が失せていくのを数えていた。そのとき、頭の上を、途方もなく大きな影が過ぎた。影は私を一瞥して、ひと声、鳴いた。助けられたのではない。襲われたのでもない。ただ、声を掛けられた。そうとしか言いようがない。あの声には、意味があった。子供にも、それだけは分かった。そして、意味のある声を、意味の分からぬまま死ぬのは厭だと、岩陰で凍えながら思った。人が生涯を決めるのに、理由はひとつあれば足りる。私はこれである。


 それから五十年、龍を追いかけた。猟師の子だから、追い方は猟で覚えたやり方しか知らない。風下に立つ。先に音を立てない。待つことを恥じない。ひとつだけ、猟と違うことをした。矢を持たずに山へ入った。猟師の三男が、獲らないために親の技をすべて使うと知ったら、死んだ父は何と言ったろうか。


 冬は狐を獲り、春と秋は峠の案内をして、その銭で夏に旅をし声を集めていった。つまり私の学問は、冬に獲れた狐の数だけしか進まないのである。龍の声は、人の文字では写せないから、声の高さと長さと喉の詰めを線と点で記す書き方を、自分でこしらえた。本書の余白を埋めている奇妙な記号がそれである。若いころ、五年ぶんの書き取りを抱えて南の学府の門を叩いたことがある。応対に出た先生は、頁をめくりもせずに言った。鳥の囀りを文法で語る者を、誰が学者と呼ぶのか、と。腹が立たなかったと書けば嘘になる。それでも帰りの峠で決めたことは、いまも変わらない。分からぬものを分からぬままにしておくよりは、嗤われるほうがましである。


 五十年やって、分かったことのひとつを先に書いてしまう。龍は、人の言葉を解する。口を開けば、話すこともできる。ただ、人に向かって、まず開かない。彼らが黙っているのは、話せないからではない。私たちが、まだ聞くに値しないからである。長いあいだ私はそう見立てて、その敷居の外に立ち続けた。敷居の外から書き取れるものを、ひとつ残らず書き取ってきた。この見立ての半分が思い違いであったと知るのは、ずっと後の、南の白い町でのことである。順を追って書く。


 この手記には、私が生涯に訪ねた龍たちのことを書く。言葉にならなかった旅を書く。年にひと声ずつ、岸の人々に配って、余所者の私には黙っていた湖の方。姿を見せず、空から声だけを返してよこす方。私の挨拶を、ご自分の歌に織り込んで、素知らぬ顔で歌い続けた方。そういう旅を書き連ねて、それから最後に、ただ一度だけ、言葉になった夜のことを書く。五十年の首尾としては、一度きりというのは、少ないと言われるかもしれない。私は、多いと思っている。


 憧れ、という言葉を、私はこの齢になって初めて使う。無口な家の生まれで、こういう言葉は書くのも面映ゆい。だが五十年、雪の山と夏の街道で私を歩かせ続けたものに、ほかの名前が見つからない。学問と呼べば立派に聞こえるが、根にあったのは、七つの子供が吹雪の中で聞いた、あのひと声への憧れである。それを恥と思ったことは、一度もない。


 この清書は、世に出すために作るのではない。南の学府に嗤われて帰った年、私は腹立ちまぎれに、あの五年ぶんの書き取りの写しを、グラナガダンの大図書館へ送りつけた。学者が読まぬなら、書庫の隅で埃をかぶるがよい、という料簡である。冬の終わりに、返事が来た。差出人は先生方ではない。書庫の整理をしているという、ペルガという名の若い司書だった。曰く、この帳面は分類に困る。鳥の声の学とも、旅の記とも、楽譜ともつかない。ついては、分類のために、続きを読ませてもらいたい、と。以来、私は旅から帰るたびに写しを送り、あの人は一度も欠かさず返事をくれた。私の帳面に返事をくれた人間は、五十年で、この世にただひとりである。だからこの先の頁で、あなた、と書くことがあれば、それは世間のことではない。グラナガダンの書庫のペルガ、あなたのことである。本書はあなたに贈る。長い付き合いに、これがせめてもの礼である。


 王国歴1385年 白霜の月

 北辺ロヴニの村にて

 リエン・ロ・ハーグ


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