episode1 シルヴィアと麗奈
乗り心地の悪い荷馬車に揺られること三時間。辺りからは少しずつ活気が消えていき、今は五分に一軒家があるかどうかという長閑な村を走っていた。この村を抜けた少し先の山麓に私の家はある。
「私がこちらへ来るのはまだ二度目ですが、穏やかでとても良いところですね」
向かい側に腰を下ろしている近衛隊長のフェルディさんが、景色を眺めながら私に話しかけてきた。これだけ長時間馬車に乗っていてもまったく疲れた様子を見せない。さすがは近衛隊長といったところか。普段から鍛えているだけのことはある。
「ただ田舎というだけですが、悪いところではありませんね」
私も自分が育ったこの辺りが大好きだ。家から遠かったため、私がエスコーラへ行っていた一年間は街に住んでいたが、やはりこの静かな土地が恋しかった。街へいる間は煩い人々が私へ寄ってきて迷惑していたのだ。
「着きましたよ」
私が景色に気を取られると何時の間にか家についていた。周りを木々に囲まれたレンガ造りの小さな家は、私と母の二人が住むには十分な広さだ。
「ただいま」
私が扉を開けると奥の部屋から母が出てきた。私の顔を見て嬉しそうな表情を浮かべている。
「おかえり」
母はそれだけを言うとすぐに部屋へ入っていった。私が多く話すことを嫌うというのをよく知っているのだ。何時もは私もこのまま自室へ向かうのだが今日はその母を追いかけた。
「お母さん、少し話があるんだけど」
私が話しかけると母は心底驚いたという顔をする。私から母に話しかけることなど滅多にないことだ。驚くのも当然だろう。だがまたすぐに元の顔に戻ると、ゆっくり微笑み私が話すのを待っている。
「今日から商業区へ引っ越す」
母は私が商業区という賑やかな場所へ引っ越すということに驚きを隠せないようだった。
「いつ帰ってくるんだい」
私はこれまでにも何度か街へ仕事や研究に行くことはあった。当然引っ越しをすることもあった。もっとも、一週間も続いたことは一度もなかったが。今回、母は何かを感じ取ったのだろう。これまでに、いつ帰ってくるかなんて聞かれたことは一度もなかった。
「わからない」
「そう」
それだけを言うと母は目をそらした。私も他に特別言わなければならないことは無い。そのまま部屋を出て外で待っていたフェルディさんと近衛隊の人に声をかける。
「荷物をお願いします」
三人で私の部屋に入る。雑然としていることを良しとしない性格の私の部屋は完璧なまでに整頓されているが、本だけは本棚へ入りきらない分が部屋の脇に積まれていた。
「どれをお運びすればよろしいですか」
近衛隊の男性が室内を見渡した後私に尋ねてきた。
「全部お願いします」
室内に無駄なものは一切ない。どれも私が生活するためには必要なものだ。ただ私は自分で口にした後で、これまでに全部持って行ったことなんて無かったいうことに気づき笑みを零した。
「お疲れ様でした」
三十分ほどかかってフェルディさんがようやく最後の荷物を積み終えた。狭い部屋ながら本が多くあったので思っていたよりも時間がかかってしまった。
「お二方とも、少し失礼します」
『生命の源、水を司る精よ、我が手に癒しの力を与えよ』
「おお、ありがとうございます。疲労が消えましたよ。よし、それじゃあ出してくれ」
フェルディさんと馬車へ乗ると、ゆっくりと馬車は動き始めた。少しずつ小さくなっていく私の家を見ていると窓に母の姿が見えた。表情は見えないがなんとなく笑っている気がした。
結衣はとてもよく寝ている。少し前にメイドが花瓶の水を取り替えに来たが今は誰もいない。部屋の中は窓からの日差しで暖かく、穏やかに時間が流れていた。机に置かれたアンベルへ手を伸ばすと既に冷めている。伸ばした手をそのまま呼び鈴へ移し、寝息を立てている結衣に気を遣って少し控えめに鳴らした。
「失礼いたします。何かご用でしょうか」
扉を開けて入ってきたメイドは私の膝で寝ている結衣を見て声を潜める。
「冷めたからアンベルを替えてくれるかな」
「畏まりました」
メイドは音を立てないように気を付けながら机の上にあるカップを持つと、静かに部屋を出て行った。部屋は再び静寂に包まれる。
「ねえリニアス」
「なんでしょうか?」
「特に何か用事があるわけではないんだけどね」
「そうでしたか。とても穏やかですね」
「そうだね。皆が働いている中申し訳ないけど、とても心地いいよ」
「麗奈がこうしてのんびりとしているのはとても珍しいです」
リニアスにそう言われて私は少しドキッとした。
「そんなことは無いと思うよ」
「いえ、麗奈はいつも神経をとがらせている気がします」
「リニアスに隠すのは無理みたいだね。でも、とがらせていると言ってもリラックスはしているんだよ」
「それならいいのですが……麗奈が身体を壊すところなんて想像もできませんが、それでも身体には気を付けてくださいね」
「うん、ありがとう」
「失礼いたします」
私とリニアスが話しているとほのかに湯気を立てているアンベルを持ってメイドがそっと入ってきた。
「ありがとう」
温かいアンベルを受け取り一口飲むと、少し眠気がやってきた。
「シルヴィが帰ってきたら起こしてくれるかな」
「畏まりました」
メイドは頭を下げると部屋を出て行った
「少し寝るよ」
「ええ、ゆっくりと休んでください」
私はカップを机におくとソファへ体を預けた。折角淹れてもらったのにまた冷めてしまいそうだ。
「麗奈、せめて寝ている間だけでももう少し気を緩めても良いのではないですか?」




