第30話 初帰宅
「おかえりなさいませ」
思わず固まってしまった。きっと皆も同じだろう。赤い絨毯が敷かれたエントランスの左右に、エプロンドレスを身につけた女性がずらりと並んでいて、そして私が扉を開くと一斉に頭を下げたのだ。
「おかえりなさいませ」
私達が固まっていると奥から黒のスーツに身を包んだ初老の男性が出てきた。単眼鏡と黒の蝶ネクタイが印象的だ。
「貴方は……?」
「申し遅れました。私はレヴァルド・ルグランと申します。姫様より皆様のお世話をするよう、仰せつかっております」
レヴァルドさんはゆっくりとお辞儀をする。
「格好良いね……」
結衣が声を漏らす。確かにレヴァルドさんは背筋が通っていて、落ち着いた立ち居振る舞いがとても素敵だ。
「あの、レヴァルドさんこちらの方々は……」
「麗奈様はこの家の主なのですから私のことはヴァルドとお呼びください。この者達も使用人でございます。メルナとカレルの下で皆様のお世話をするよう申しつけられております」
ヴァルドにそう言われ、メルナとカレルは困惑している。
「えっと……ヴァルド?」
「何でございましょう」
「メルナとカレルの指示に従うというのは?」
「メルナとカレルがメイド長であると姫様より伺っております」
二人がメイド長……なるほど、そうなっているんだ。
「お姉ちゃん、私達がメイド長だって……」
「急に言われてもどうすればいいんだろう……」
「あの、レヴァルドさん。その、メイド長と言うのは何をすればよいのでしょうか」
カレルが恐る恐る尋ねた。
「特別な事は必要ありません。彼女たちに仕事を命令するだけです」
ヴァルドがそう言うと一人のメイドがメルナの前へ歩いてきた。
「何なりとお申し付けください」
そう言って頭を下げる。
「えっと……カレルどうしよう……」
自分よりも歳上の人に頭を下げられ、非常に困惑している。
「な、何か仕事をお願いすれば良いんじゃないかな」
「うーん、そうは言っても……あの、とりあえずゆっくりとしていてください。何か仕事があるときはお願いしますから……」
「畏まりました」
彼女は頭を下げると下がって行った。
「あはは……緊張したね」
メルナは大きくため息をついている。
「さあ皆様、立ち話もなんですからこちらへ」
ヴァルドに促されて私達は広間で席についた。メイドは私達の後ろに手を組んで並んでいる。
「さすがに扉を開けた時のあれには驚いたよ」
「麗奈が驚いているところを久しぶりに見た気がするよ」
「それにしても本当に凄いですね」
シルヴィが並んでいるメイド達を見て苦笑している。
「いや~、まさか私もここまでとは思って無かったけどね」
「とりあえず、この後はどうする?」
「今日から住むんだから色々と準備が必要だとは思うけど……えっと、ヴァルド。この家に食糧とかはあるのかな?」
「いえ、私たちもこちらへ着いたばかりでございます。そのため、家具以外の物はほとんど何もございません」
「それなら、まずは必要な物を買わないといけないね。何か書くものはあるかな?」
「あ、私が持ってるよ」
結衣はそう言うとリュックから手帳とボールペンを取り出した。
「それがペンですか?」
シルヴィが不思議そうに結衣のボールペンを見ている。
「うん、私達の世界のペンだよ」
「それじゃあ皆は必要と思う物を言ってくれる? とりあえずは食糧だよね。ヴァルド、食器はあるの?」
「いえ、食器もございません」
「と、いうことは本当に何も無いんだね。後は何があるかな?」
「食器が無いのであれば調理器具もありませんよね」
メルナが言ったのを聞いて結衣がメモをとる。
「結衣、こっちの文字じゃないと」
「あ、そっか。でも私はこっちの世界の文字を書けないよ」
「それなら私が書きますよ」
「それじゃあ悪いけどお願いするよ」
結衣がシルヴィにペンと手帳を渡す。初めて見るボールペンを触る事が出来てシルヴィは嬉しそうだ。
「それでは、買うものを言ってください」
「あの……私達の着替えを買っていただけると…嬉しいのですが……」
カレルが申し訳なさそうに言う。
「勿論だよ。着替えだね……ん? ヴァルド、メイド達の着替えはあるの?」
「いえ、それも必要になると思われます」
それから皆で話し合うと、必要なものは膨大な量になった。
「あはは……これだけの物を買いに行くのは大変だね……」
これだけの人数分ともなれば食料だけでも凄い量が必要だろう。
「遅くならないうちに手分けして買いに行った方が良さそうですね」
シルヴィがメモの枚数を見て言う。
「そう言えばヴァルドとメイド達の部屋はどうなっているの?」
私はふと思いヴァルドに尋ねる。
「私には執事室がございます。メイド達には二階の使用人室が二部屋与えられております」
「えっ、たったの二部屋!?」
「使用人でございますから二部屋でも十分でございます」
ヴァルドは驚いた様子も無くそう言った。
「うーん……いや、やっぱり個室は必要だよ。二階の部屋は山ほど空いているんだからそこを使おう」
「あの、麗奈様。本当によろしいのですか? 下級使用人が個室を与えられるなど聞いたこともございませんが……」
私の言葉にヴァルドが驚いている。後ろに並んでいるメイド達も信じられないと言った顔をしている。
「結衣はどう思う?」
「もちろん良いんじゃないかな。本当に部屋はたくさんあるし」
「うん。そういうことだから、二階の開いている部屋を適当に使ってね」
「あ、ありがとうございます。何とお礼を申し上げてよいやら……」
メイド達が口々に感謝の言葉を述べる。こんなにも御礼を言われると、むず痒くなってしまう。
「ただ、今日だけは使用人室で我慢してくれないかな。家具とかは明日買いに行くから」
「とんでもございません。本当にありがとうございます」
「まあとりあえず買い物に行こうか。ゆっくりしていると日が暮れるよ。ヴァルドは食器を売っているお店、知ってる?」
「はい、存じ上げております」
「それじゃあ私と結衣で食器を買いに行くから手伝ってくれる?」
「畏まりました」
「麗奈様、私はどうしましょうか?」
「食材はメルナ達に買いに行ってもらうから、シルヴィはその他の日用品を何人かで買いに行ってくれる?」
「分かりました。この量であれば五人程連れて行けば問題なさそうです」
「それじゃあメルナ達はメイド八人と食料を買ってきてくれるかな。あと調理器具も」
「分かりました。では調理器具はカレルに任せます」
「後の二人は私達に付き合ってね」
「畏まりました」
「あ! そう言えば麗奈、お金は持ってるの!?」
結衣が慌てた様子で尋ねる。
「うん、大丈夫だよ。今朝エルから預かったから」
「そうなんだ……ホッとしたよ」
結衣は胸を撫で下ろしている。
「とりあえずエルからは一アルテを金貨と銀貨で預かったけど、一体いくら位必要なのかな? 値段とかあまり分からないから……」
「一アルテっていうと、この前エルがアプレムの搾り汁を買い占めた時に使ったお金だよね?」
「そうだよ。今回はきちんと細かくなっているから大丈夫」
それにしても買い占めたって言うとエルが悪いみたいだ。実際、買い占めてはいたけど……。
「私達は二ケリルで足りると思います」
「私は一ケリル程ですね」
「私は五十ベレカで十分です」
「それじゃあこれで大丈夫だね」
私はシルヴィに金貨四枚、メルナに金貨三枚、そしてカレルに金貨二枚と銀貨五十枚を渡した。
「あの麗奈様、少し多いのですが……」
カレルは余分に渡した金貨二枚を差し出す。
「ああ、それは皆の分だよ。私は何が必要か分からないから、それで皆が必要な物を買ってきてね」
「皆と言うのはその……」
一人のメイドがおずおずと尋ねる。
「勿論貴方達の分もだよ。皆遠慮はしなくていいからね。必要なものは買っておかないと」
「あ、ありがとうございます」
再び一斉に御礼を言われる。やはりむず痒い。
「それじゃあ皆、買い物をよろしくね」
「行ってきます」
「私達も行こうか。ヴァルド、お願い」
「畏まりました。此処から少し歩いたところに様々な陶器を取りそろえた店がございます」
それぞれが出て行くのを見送った後、私達も食器を買いに家を出た。




