宿屋の忘れ物
国境近くの宿屋で働くマルタは、客室に残された薄い手袋を受付の箱へ入れた。宿帳にはクレール・モローという名前がある。本人確認書類も見ているが、旅の目的までは聞かなかった。宿泊客の秘密を勝手に話さないのが、この家の決まりだった。
その翌週、現地警察から照会が来た。隣県の傷害事件に関連する人物が滞在した可能性があるという。マルタは女将と相談し、法律で求められた範囲の記録を提出した。
女将は客の印象を尋ねられ、静かな女性だったと答えた。朝食のとき湯を頼み、残ったパンを包んで持っていった。その程度の記憶しかない。
宿屋には登山客が増え、食堂では冬用のストーブを試していた。新しい従業員が薪を積みすぎ、煙が逆流して皆で窓を開けた。マルタは久しぶりに笑い、忘れ物の箱へ戻った。
手袋は誰のものか分からない。他の客も似た品を使う。マルタは警察に見せる前に、拾った日付を確かめた。
午後、宿屋の裏門で白髪の男が何かを探していた。聞けば昨年亡くした犬の首輪だという。彼女は手を貸し、石段の隙間から革の輪を見つけた。
その夜、マルタは女将に頼まれて宿帳の古い記載を整理した。昨年泊まった教師や出張者の名が続き、宿屋が多くの人を通してきたことが分かる。クレールの項目には、朝食の追加代金だけが記されていた。女将は女性が出ていく際、礼を言っていたと話した。彼女たちが持つ記憶は、それ以上でも以下でもない。数日後、見慣れない男が同じ客について尋ねに来たが、身分証を示さなかった。マルタは何も答えず、来訪の時刻を警察へ伝えた。玄関には新しい旅行客が並び、受付を待っていた。
同じ町へ来た人間が、みな同じものを探しているわけではなかった。




