裁判所の留保
検察官セリーヌは、県都の傷害事件についてマチューから報告を受けた。被害者は犯人の特徴を語っていたが、クレールと断定できる物証はない。地域をまたぐ移動記録にも空白があり、複数の供述には食い違いがあった。
「疑わしいというだけで身柄は取れません」
「分かっています。それでも、次の被害が心配です」
セリーヌは事件を引き継ぐ担当者と連携するよう指示した。別件の乳児死亡と関連があるかもしれないが、先入観で証拠の評価を変えてはならない。
裁判所ではその日、長年続いた隣地争いの和解が成立した。高齢の当事者は廊下で握手し、それでも帰り道は別々だった。争いが終わることと、失った時間が戻ることは違う。
夕方、セリーヌはルカの死亡に関する古い書類を開いた。中央部署が説明しない資料の所在について、重ねて回答を求める文面を整えた。上級庁にも写しを送った。
セリーヌは捜査会議のあと、被害者支援担当と話をした。男は職場へ戻ることを恐れ、収入が減っているという。事件を立証するための協力を頼むだけでなく、生活の支援を案内する必要があった。制度の申請にはまた書類がいる。担当者は気の遠くなるような手続きを説明し、本人が選べる選択肢を丁寧に書き出した。セリーヌはその紙を封筒に入れ、捜査の結果にかかわらず届けてほしいと頼んだ。
数日後、行政側の担当が替わると通知された。新しい担当者は前任者の説明を把握していなかった。セリーヌは机の引き出しに残していた控えを取り出した。
個人の記憶は薄れる。公の記録まで同じように薄れてはならなかった。




