眠れない整備士
夜勤の休憩時間、ジュリアンは工場の自動販売機の前で立ち止まった。いつもの珈琲は売り切れで、薄い茶だけが残っている。隣の作業班では新人が工具の番号を間違え、班長に呼び戻されていた。
家に戻ると、クレールの靴が泥で汚れていた。彼女は以前なら玄関で拭いたものを、今はそのままにしている。机の上には交通路線図と封筒が置かれ、乳児の寝台には新しい白布が掛かっていた。
「どこへ行った」
「役所に」
「何を聞いたんだ」
「誰が書類を動かしたのか」
ジュリアンは答えを待ったが、クレールはコートを畳み、窓際の椅子に座った。何年も一緒に暮らしてきた相手が、遠い知らない町に住んでいるように見えた。
翌日、工場の主任が夜勤を減らす提案をした。ジュリアンは断った。家の沈黙から逃げているだけではない。働かなければ家賃も暖房代も払えない。主任は何も言わず、来月の表に小さな余白を残した。
ジュリアンが休憩室で眠りかけたとき、同僚の携帯電話から赤子の笑い声が流れた。動画を見せられたわけではない。画面をのぞく必要もなかった。ただ反射的に立ち上がってしまい、椅子が大きな音を立てた。同僚は理由を尋ねず、落ちた工具を拾ってくれた。彼は礼を言い、作業場へ戻った。以前は何とも思わなかった日常の音が、いまは予告なく胸を締めつける。それを妻に伝えられないことも苦しかった。
帰宅すると、食卓に温かいスープがあった。クレールは出掛けており、皿の横に「先に食べて」と書いた紙が置かれていた。筆跡は変わっていない。
ジュリアンは食べ終えてから、その紙を捨てずに引き出しへしまった。妻が戻ったのは夜明け前だった。互いに眠ったふりをするうち、窓が少しずつ明るくなった。




