犬を連れた老人
ナディアは引退した会館の運転手を訪ねた。老人は犬の散歩を終えたばかりで、玄関先の長椅子に座った。過去の運行表を見せると、住所ではなく車庫の番号で管理していたと教えてくれた。
「青封筒を運んだことはありますか」
「封筒の色までは見ていない。運んだのは人と鞄だ」
取材に応じた範囲はそれだけだった。老人は脚の痛みを訴え、面会を早く終えてほしいと言った。ナディアは記録を閉じ、庭の犬へ手を振った。
帰社すると、会館から講演会の案内が届いていた。基金の監査とは関係ない文化行事だが、当日の運営費も信託から出ている。彼女は催しを妨げず、支出の公開記録だけを保存した。
老人はナディアを見送ると、犬の首輪を外して水を飲ませた。取材のために散歩が少し遅れていた。庭の門には昔の職場から贈られた小さな表札が残っていた。
老人の犬は取材の途中で寝台に上がり、鳴きもせず二人を見ていた。ナディアは昔の通行記録の所在を尋ねたが、老人はすべて会社へ返したと答えた。手元にあるのは私的な走行距離のメモだけだという。車庫番号の一つが消された理由を尋ねると、車を廃車にしたからかもしれないと言った。老人は自分の記憶に責任を持ちたいから、確信のない話を記事にしないでほしいと頼んだ。ナディアは約束し、帰る前に取材内容を読み上げた。新聞社へ戻ると、彼女は写真ではなく住所の変遷を調べた。古い車庫が今は高齢者向け住宅になっていることが分かり、敷地の所有者の記録だけを控えた。
夜、老人の運行表を見返すと、何度も現れる車庫番号の一つが、今は使われていない郊外の住所へ結びついていた。




