壁の向こうの声
県境の傷害事件で生き残った男が、再び面談に応じた。アンリが聞いたのは加害者の顔ではなく、部屋の外から聞こえた音だった。男は教会の鐘と思っていたが、録音を聞くと貨物列車の連結音に似ていると言う。
「確かですか」
「いいえ。あの晩は時間が分からなかった」
アンリはそのまま調書に書いた。音だけで場所を断定すれば、無関係の工場を疑うことになる。男が帰る際、受付の女性が出口を案内し、車いすを押した。
午後、鑑識担当が傷害の発生地域から報告を寄せた。被害者の衣服に付いていた粉は、薬品ではなく建材の一種だった。県内の建物なら珍しくない。だが前の二件にも同じ種類が付着していたという。
アンリが廊下へ出ると、看護師が夕食の配膳車を押していた。事件のことを知らない患者も、同じ病棟で治療を受けている。足音は思ったより静かだった。
被害者は面談後、病院の売店で妻への菓子を買った。渡す相手の顔を思い浮かべるだけで、少し息が整うと話した。アンリは声を掛けず、その姿を見送った。粉の鑑定を担当した技師は、補修材が広く流通しているため、他の県の現場にも同じ成分があり得ると説明した。アンリは報告書の注記に、同じ製品を使ったという意味ではないと加えた。署では若い警察官が夜勤の交代を申し出ていた。生まれた子の世話をするためだ。アンリは調整を承認し、代わりに休日の窓口を受け持った。事件を抱えていても、署の灯りは決まった時刻に点く。
近くの駅からは定刻の列車が出ていた。その音を聞きながら、アンリは男が思い出した列車と同じものか確かめられないと思った。
アンリは検査の方法と採取日を先に確かめた。似た粉と同じ場所は、まだ別のことだった。




