名前のない病室
県境の診療所に、身元を告げたがらない中年男性が入院していた。手首に古い拘束痕があり、眠るたび出口を確かめる。担当医は警察への相談を勧めたが、本人は静かな場所が欲しいだけだと言った。
マチューは匿名の情報を受け、病院の同意を得て様子を見に行った。男は彼を見ると、以前の輸送会社の名前を口にした。だが元役員本人なのかはすぐ確認できなかった。
「妻には知らせていいですか」と聞くと、男は目を伏せた。「生きているとだけ。まだ帰れない」
マチューは身分証の確認を求め、医師に患者の回復を優先すると伝えた。窓辺にはリハビリで作った紙の風車が置かれていた。
夜間受付の職員は男の病室の前で声を落とした。面会予定のない訪問者を通さないよう、医師から指示が出ていた。男は久しぶりに、途中で起きずに眠ったという。
男の所持品は少なかった。上着の内側に、長く使った切符入れと小さな写真がある。写真には家族らしい二人が写っていた。マチューは見せてもらったが、本人の承諾なく持ち出さなかった。医師は急に多くのことを尋ねないよう求め、眠れない夜が続いていると伝えた。男は廊下の窓から駐車場を眺め、帰りたいのか帰りたくないのか、自分でも分からないと漏らした。捜査官はその迷いを責めなかった。身元確認の結果が出たとき、病院では夜勤の交代時刻だった。看護師はベッドの灯りを調整し、しばらく訪問者を入れないよう受付へ伝えた。
しばらくして、男の指紋は届け出のある失踪者と一致した。アンリに電話が入ったのは、病院が夕食を配り始める頃だった。




