六十九、事由
凛が夕日に照らされた楼に掛けられた梯子をよじ登ると、
太白が太陽の方向に輝いているのが見えた。
もうすぐ日が沈む。
月は正反対の地から登ってくる時期だ。
陽が沈んだら、太白はもっと輝くだろうなと思う。
最近、輝きが強すぎて気になっている。同じ方向に角宿の
一番輝いている星があり、この星が明らかなら王道は平穏と
カラがくれた巻物にはあった。
太白がその輝きを犯している様にも見えるから、少し不安だった。
高台にある楼は、周りの木々から抜けてかなり遠くまで見渡せる。
千明が一番最初に目をつけた観測点だった。
恐らく、外部からの敵を目つけるのに丁度良い。
水の里にも楼はあったが、これほど遠くまでは見通せなかった。
月は望月に近づいて登ってくるはずだ。
「次の満月には季節が変わっていますよ。」といった
千明の言葉を思い出す。この前の千明は距離が近すぎて、
ほお撫でた彼の手は、しばらく動かず、手の温もりが頬から伝わってきていた。
固まってしまった凛を見て、直ぐ手を離してくれたが
なんとも言い難い空気を感じてしまっていた。千明は天文の知識のある先生で、
あの日の態度だと、どうして良いのかわからなくなる。
翌日はひたすら、書庫の整理が待っていて無駄口を言う余裕がなかったことは
幸いだった。
ふっくらとした月が次第に輝くのを見ながら、
春の豊祈祭から随分経ったとつくづく感じた。
水の里で見上げていた天は春の星宿達が、
東の空に見え始めたばかりだった。
まだ、何も知らなかった自分。戻れたら良いのに。が、素直な気持ちだ。
斎宮ならなくても困らないじゃないか?天府で篁の言っていた
「天命」とは何なのだろうか。人を苦しませるだけではないか。
三毛を隠さなくて良くなって、安堵して新しい生活に気持ちが躍ったのは
本当に束の間だった。水の里には、御山に登る以外に帰る理由がないのだ。
「凛ちゃん?」
梯子の方にに首をかたむけると、
於才が登ってきた。慌てて起き上がると、
「やっぱりここだったんだ。」と言いながら凛の横に座る。
「さっきね櫂が、なつめを干したのを持ってきてくれたから、はい。」
そう言って、布に包んだ皺が深く入っている茶色いなつめを一つ渡す。
「ありがとうございます。」
「干したのが好きだったよね?」と聞かれる。
「はい。干した方が、何でも甘く感じるし、日持ちもしますし。」
「日持ち?そんなこと考えるんだ。」
一瞬どう答えて良いのかわからず
「え?はい。」と誤魔化すように合槌を打った。
「だって、凛ちゃん、宰相様のところの巫女様でしょう?
お厨のことは、しないのかと思ってたし。さっきも手際が良くて
びっくりしたのよ。」
「元々は巫女ではなかったので。。。。」どこまで説明すべきか難しい。
言葉を切った凛を見て、於才は直ぐに察してくれたらしい。
「あ、ごめんなさい。変なこと聞いた?」視線を向けられているのをかんじながら
「色々ありまして。。。」と言うのが、精一杯だった。
「いいの。いいの。無理しないで。ここのクニはいろんな人がいるし。」
於才は天に視線を向けてくれた。
つと、於才の足首から白い肌が見えて、元は色白であろうと、
ふと思いついて聞いてみる。
「於才さんはここの出ですか?」この辺りは骨太の女性が多いように感じるが、
於才はどちらかと言えば、左衣のように華奢な体つきをしていた。
「え?生まれはこのクニではないよ。
えーと、凛ちゃんのこと聞いといてなんだけど、私も色々あって。」
口を横に広げて、微笑む。
「すいません、変なこと聞いて。」大変な事が起こるのは自分だけではない。
黙ってしまった凛は見て、於才は、
「ね、今日の星はどんな感じ?」と天を見上げて聞いた。
毎日、観測をしている凛たち見ていて、何をしているのか気がついてくれている
様だった。
「そうですね。まず明日、月は望月です。今日はちょっとまだ欠けてます。
ここからは季節の節分点ですね。心宿が見えなくなって、参宿が
良く見える様になる。」
「それで、どう見てる?」いたずら気味に聞かれた。
太白のことは言わない方が良いと、咄嗟に感じる。
「二つとも、相会わないことの例えで、毎年起こるので、
この天の事象については何とも。」
「ふふ。その考え方、興味あるなあ。天の動きだけなら千明様だけで、良いもの」
凛は一瞬、衝撃を受けて、天を見上げている於才を見た。
皆、天の事象を知りたがる。それが自分の暮らしにどう反映されるのかも。
篁も聞いてきた。それを信じるかは別としても。。。
自分の進み行く道の手がかりはこれかもしれない。
於才が聞き慣れた調子の音楽を口ずさむ。
凛が次に驚いた時には、千明が梯子を登ってきて、その音は消えた。
太白(金星)
心宿(さそり座)
参宿(オリオン座)




