六十、付添
該月を訪ねる前に、克勝は雅から凛の相談を受けていた。
雅は凛を一旦、水の里に戻してはどうかと、
提案していたし、佐奈田からは、凛が葉の国の書庫に行きたがっていると
聞いていた。
該月の反応を見て、凛をひとまず、王廷から離すのは得策に思えた。
凛に憎悪がいつ向かうか判らない。人の心は移ろい易いのだ。
垓月の部屋から下がって、その足で佐奈田のところへ行った。
訪を告げて扉を開けると、暗くなりかけた部屋で
陽を惜しむ様に巻物や物差を広げていた。
凛を葉の国へ派遣できそうだと言うと、
「一人でか?」と初老の人とは思えない強い口調で聞き返された。
「もちろん同行者が必要だが。相生が一番良いが、王廷を長く離れるわけには
いかんな。」
「千明はどうですかな?」いつも隣にいる天文官の名を挙げた。
「千明はかなり長く私の側で学んでおる。書庫へ行くのは悲願かもしれん。」
「確かにな。」
「天の観測をしている我々は、大きな部署ではないな。
正直、私も自称、天文官かもしれんくらいのな。
月の根国も天府と同じくらいの制度を整えても良いのではないかの。」
宰相として、クニの脆弱を指摘されると片腹痛い。天府に攻撃を受けない様に
配慮する事で手一杯なのだ。
「千明殿は、その、信用できる存在か?」
「二人旅が安全か、と言う事だな?」克勝の言わんとする事が分かった様で
佐奈田は少しため息をついた様だった。そして、
「千明は、問題ない。」
佐奈田は静かに力強く言った。
「しかし。」
尚も渋る克勝に、鋭く言う。
「守りにはなる。攻撃はない。例え衝動が起こってもどうにもならん。」
そう言われて、克勝は黄昏時の部屋を後にしたのだった。
神祇家に戻ると雅が一人で給仕していた。
「どうした?」
「体調が悪いのが一人と、新月に備えて禊のものとで。」
「ああ。そうか。明日は朔日だ。」
雅が振り返って、
「王は何と?」と聞いた。今朝、鳥葬の様子見てから垓月を
見舞うと告げていた。
「王は藤見を無罪で取り戻したいらしい。」
「そう、ですか。。。」雅は複雑そうな顔をしていた。巫女として藤見を
育てたのは雅だった。
「藤見が無事に戻ったら、しばらくは凛と会わないのが良いと思うが。」
「そう、ですね。皆が素知らぬ顔をして
元の形に戻すわけにはいかないですね。」
「次期斎宮の凛に、憎悪が向く様なことは避けたい。」
「では、一度水の里に戻しますか?」
「いや、しばらく葉の国へ行ってもらいたいのだ。」
「葉?ですか?」思いがけないクニの名であったらしい。
「静一族の書庫がある。それを調べて、天の事象を学ばせたい。」
「斎宮には必要な知識ですが、そこまでしなくても。何より
高殿が一度行って、結局あのことに繋がって。。。。」
雅には悪い印象しかない風情だった。
「凛を箱の中で育てるわけにもいかぬ。また、予言は確かなものであって
もらわねば。斎宮は月の根国だけでなく此の国全ての道標であって欲しいのだ。」
元の斎宮である雅は、気持ちに距離を感じながら、
「いくら何でも一人ではないですよね?」と聞いた。凛は年頃の娘なのだ。道中何が あるか判らない。
「千明が同伴に適任だという事だ。」
「千明殿?天文官の?」背の高い、何となく細身の千明の姿を思い浮かべる。
「彼の知識は素晴らしいと思います。けれども二人でとなると。」
しばらく沈黙する。
「心配するのも無理は無いがな。」と言ってから、佐奈田に聞いた話を始めた。
「千明は彼国の辺境からの出自だ。人身販売のような地区のな。
彼国の制度は過酷でな。あまり人を大事にしない。
命を落としても大事に小事。うちもあまり変わらん部分はあるが、
制度の中で、献上される男子は全て術を受けたらしい。」
雅が目を見開いた。
「千明に子をなす機能はない。」
「まあ、衝動はあるだろうな。ただ、どうしようもない。
それを逆手に取るのはどうかと言われればな。」
雅もすぐには言葉が出ない。天の理解は難しく今、クニに天の知識が必要なことは
明白で、千明はその点では適任だった。
雅は、神との交渉ができていると自分では思っているが
薄れる日もある。
三毛の血族は集中力と感覚が他のものより鋭いことは多い。
しかし、凛はその風の便りと言った目に見えない兆しを読み取る能力はないと、
本人が言っていた。
「凛はしばらくこの国にいない方が良い。」
逡巡する雅に克勝は言った。
「凛は我々の手元を離して育てて良かったのかもしれん。
宮の奥深くで育ったわけではないからな。市井の危険も肌で理解しているはずだ。
馬に乗れそうなところが良い。千明に引かせることも出来る。」
「相生殿は?」
「凛に合う馬を選んでもらい、国境まで一緒に行ってもらう。」
静かに言う克勝の左のほおだけが火に照らされて、浮かび上がっているように
雅には見えた。




