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ぬば玉  作者: しんげつ
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四十四、脱出

とにかく背の低いと思った馬にしがみついているしかなかった。

手綱は相生様が握っていたのを思い出すしかない。

馬のクビの横から覗くと天府の領の門は開いているように見えるから、

手綱を持ったまま、もう駆け抜けるしか無い。人はごった返してはいないけれど、

道沿いを歩いているから、

人が避けてくれることを願うしかない。凛に馬を制御する技量は無い。


馬の立髪に顔を埋めるようにして、

門を駆け抜けた。出店はもうなく、

まっすぐ続くこの道は広い。

けれどもあと少しで森へ入る。

この馬は知っているのだろうか。馬はゆっくり上手く走ってくれるクロに、

相生様と一緒にしか乗ったことはない。


しがみついていないと体が飛んでいきそうだ。手綱を腕に巻き付けて

一瞬、斜め後ろを何とか見ると、

後ろから綾人たちが追いかけてくるのが見える。

前へとにかく前へ。天府の大通りと月の根国の大通りはつながっている。

大通り沿いに連れられてきた。

でも詳しい道はわからない。


歯を食いしばっていないと、舌を噛み切りそうだった。

速さを落とすのはどうするのか、一瞬気を取られると、

他の馬の足音が左手に勢いよく近づいてきて、

斜め後ろから手を伸ばされた。

手綱を取られて、左手を見た。綾人ではないし、大男でもない。

長い少し陽に焼けた茶色の髪を後ろで結んでいる男だ。

自分の馬に乗りながら凛の乗る馬の手綱をもち、

接近した瞬間、凛の馬に飛び乗った。


凛は、捕まった。

と思った。身を屈めた途端に、


「腹に力を入れろ!」

後ろに乗った男が怒鳴る。

振り返えろうとすると、

「前を向け。森の小屋まで駆けるぞ!」


そういうと馬を調整して速度を上げて行く。これ以上は絶対無理な速さで、

森の細い道に入る。後ろを伺っても綾人たちの馬がついてきている様子はない。

馬を宥めて速度を落とした。急に陽が陰り、静かになる。

この男は綾人の仲間にはいなかった。

けれども誰?考え過ぎて気が遠くなりそうだ。


道が何度か別れた。すると池が見えて、反対側には小さな小屋があった。

薪を積み上げてある小屋で山の民の家を思わせる。


どうどう。

小屋前で止まる。

その男は手綱を持ったまま先に降りた。

「降りれるか?」

こちらを向いて凛はその出立に驚いた。

服が平民ではない。克勝など王廷にいくものの衣に似ている。

一瞬ためらい、体を馬の首に預けながら左手から男の手を借りずに滑り降りた。


どうして良いか分からず男と向き合う。

「何もせん。聞きたいことはあるがな。」


踵を返すと、「まあ来い。」

と言う。


凛はおずおずと着いて行った。

男は慣れた手つきで扉を開けて、覗くと、

小屋は小さかったが竈があった。


丸太で組んだ椅子に男は腰を下ろす。

凛は視界いっぱいにその男の様子を捉えていた。

歳はもう少し上だろうか。

髪を麻紐で結んでいて、座っていても背が高そうだ。


「まあ座れ。俺の家ではないが、今から天府の方に戻るには

 都合が悪いのだろう?」

と聞いた。

「ええ。」

「お前、今朝ぼや騒ぎを出した飯屋にいたな。」

「なぜそれを?」

「ニ軒隣に居たからな。

 うるさくてのぞいたらおまえを見かけた。」


「綾人の仲間ではないの?」

「綾人?誰だそれ。察するにそいつに追いかけられてったとこか。」


「ええ。」

「なぜそいつはお前を追いかける?」

直ぐに返答できない質問だった。

「どう話したらいいのか。」


「お前は、月の根国の三毛だな?」

びっくりして、目が見開いたまま、何も言えない。

心臓の音が相手に聞こえそうだと思った。


「沈黙は肯定ととろう。」

この男は誰なのだ?

所作がどことなく王廷の人たちに似ている。

手を握りしめながら、男を見ていると、

少し困った顔をして言った。

「俺の名はタカムラだ。おまえは?名は?」

「凛。」

「りん?リンリンと鳴る?」


「え?鈴の音ね。」つい笑って気が少し緩む。

「彼国の文字では凛。」

空で書いてみる。

「知らない文字だな多分。」

「文字わかるの?」

「ああ。母は元々、そちらの方の出自だ。」


話す言葉が王廷の人と同じだと思った。

「そう。彼国の。タカムラも文字はあるの?」

「こうだな。」

落ちていた枝で、地面に書き付けた。初めて見る形だった。

外海のクニ出身者は珍しくは無いが、

凛は聞きたいことが多過ぎて、黙ってしまった。

タカムラが少し間をおくと、

静けさの向こうに馬が近づいている音がした。

ハッと扉に隙間を開けてみる。


馬には乗らず、引いている人が池の向こうに見えた。

「ああ。」

頷いた篁は、

「俺の従者だ。さっき馬を置いてこっちに乗ったからな。」

ニヤリと笑うと近づいてくる従者に

「寛治こちらだ。」と手を挙げる。


かんじと呼ばれたその男は、

嬉しそうに馬を引いてきた。

「篁さま。やはりこちらでしたか?」

「ああ。追いかけていた奴らは?」

「他のものに見張らせております。ただ、こちらには向かっておりません。」

「諦めたか?」

「というより篁さまの風貌からして、天府の方ではないかと

 話し合っている様子で、領内に帰ったというのが正しいかと。」


「なるほどな。」

凛はもう一度篁を見た。

寛治が篁の従者ならば篁とは主従の関係であって、

天府のものと綾人が推測するほどならば、

相当の位だ。


月の根国の宰相である克勝もとと様も、儀式の際には絹の衣服で王廷にいく。

篁の濃い紫がかった藍色の服には刺繍までも見えた。

しかも易々と走っている馬に飛び乗り、

知った顔でここにいる。


「さて、陽がもうすぐ沈むが、

 夜道を天府まで

 連れて行って良いのかも分からぬ。」


「この娘は結局?」寛治は測りかねている顔をした。


「私は、凛と申します。月の根国、神祇家に繋がるものでございます。

事情があり、月の根国の官人にクニより連れ出されました。」


「月の根国のものか?自国の三毛といえば

 斎宮になるものではないか。」

寛治は、凛見て反射的に口走った。

「属国の自治に口を出すつもりはないがな。」

 篁の言いたいことがわかり、悔しさが込み上げてきた。

自国が制御できないのか?謀反ではなのか?


そう聞かれている気がした。

寛治は三毛を見たのは初めてだったが、状況はなんとなく読めてきた様で

「月の根国の揉め事に口を挟むことはできない。

 月の根国へ送るのが良いでしょうね。」

もっともらしい顔でいう。


篁は

「その言葉、曲げても良いか?」

「は?」


いつものしたり顔の笑みを浮かべて、

「明朝、天府へ連れて行く。」

「ええ?それは!問題を大きく致します!」


凛は天府と聞いて、綾人では無いが、結局は天府にいくのか。

と、諦めた。陽がほとんど沈んで、この二人の男達からこの場を逃れられる

気は流石にしない。二人の話している窓の向こうには、薄い三日月は赤みがかって、太白も太陽を追いかける様に見える。佐奈田様の言う様に、

天変はこの地に天災をもたらすものではないことを願いたくなる。


そして、結局のところ、この男は誰なのか。

それも検討がつかないでいた。



太白(金星)

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