四十二、市井
篁はいつもの馴染みの店にいた。店の
窓からは遊郭を囲う壁が見える位置だった。
「ん?」
外が騒がしい。
衣を寄せると軽く羽織る。
馴染みの女の冨久がいないと思った。
扉を開けると、冨久が廊下を走ってくる。
「どうした?」
「ごはんを炊いておりました向こうの店が
火が大きくなりすぎまして
炊事場を焼いてしまっようです。」
「向こうの店?」
「朝だけやっています飯屋でございます。」
「火は止まったのか?」
「ええ。井戸も近くて良かった。広がったら大変だから。」
外に遣っていた目線を篁へ戻す。
「篁様。日が高くなりましたよ。
朔の朝会が終わってからお遊びが過ぎるのでは?」
朔日は天府の朝会に整列する慣わしで、普段は自由な篁もそれには出てから、
ここに来た。冨久の居る店で、二夜は過ごしていた。
遊郭の様な格式張ったところは好かないが
表向きは、飲み屋と宿を兼ねたこの店は付き合いが長い。
「仕方ない。帰るとするか。シロを。」
「はい。」
冨久は両手を打つと、下男が現れる。
「篁様がお帰りです。」
「承知しました。シロ様には先ほど、たらふく飯をやりましたよ。」
いつもの訳知り顔で、外へ歩き出した。
「またな、お冨久。」
というと、昨夜の余韻そのままに、
冨久を手元に抱き寄せる。
「またのお越しを。」
「ああ。すぐ来る。」
白い肌の冨久の耳元で、囁くと頬に唇を当てた。
冨久の身体が上気したのを感じながら、下男に続く。
外に出ると陽が高く暑い。一年で一番暑い時で、
蝉の声が天府の領の中でもうるさかった。
去年は旱で五穀が上手く実らなかったから、
今年もだと持ち堪えられるかどうか。雨が降るのを願うしか無い。
眩しさに目を細めながら、明るさに慣れてくると、
火が出たと言う、店の前に、見慣れぬ馬が繋がれていた。
自分の馬に乗る前に近づいて、
窓から店をそっと覗くと、火は消されていたし、
煤も一部だけで大したことはなさそうだった。
野次馬もそろそろ引けている。
奥にいる客たちは泊まりか?
ここは飯屋と聞いたがな。
ん?あれは?
女が二人1番奥にいる。
その一人の髪の色に見覚えがあった。
三毛だ。
どういうことだ?
「篁様!」
下男に代わって、侍従の寛治が馬のシロを引っ張ってくるのを見て、
左手で制すると、察した寛治は静かに止まった。
店からは、話し声が聞こえる。
「火付けを誰かがしたらしい。
かまどの火ではないのか?火付は重罪だ。」
ヒヒーン。ぶるる。
シロがなくと、その音に気づいて、窓の中から一斉に目が篁に向けられた。
さっと過ぎ去るしかなく
そのままシロに乗った。
このまま帰るしかなさそうだ。
しかし、あの娘。三毛だ。
三毛は月の根国の神祇家の血族に現れるという。
いつの頃からか三毛の女は御山に使える斎宮になる
定めだった。
この前、悪戯に召し上げようとした帝ですら諌められていた。
なぜあの娘がここにいる?




