三十三、兄弟子
案内された建物は、扉が陽に当たらなく、北向きに建てられた家だったから、
入ってすぐは、凛は明るい側に立ち、部屋中にいるものは見えにくかった。
数歩入って、目が慣れると、千明の肩越しに一人の男性が横向きに座っているのが
見えた。
「佐奈田様」
「凛殿をお連れしました。」
「ああ、良く来てくれた。」
体も横に向けて立ち上がる。
千明と比べて背が低い。何処かきちんとした感じのする初老男性だった。
「凛殿。こちらが天文官の佐奈田様です。」
祖母の雅に天文官が会いたがっていると言伝があり、
何故か怖そうな印象で訪れたが、思ったより優しい雰囲気の持ち主だった。
「凛でございます。」
拝礼をすると、初老のその人は、
足を少し引きずって隣の長椅子に腰掛け直して
「こちらへ。」
と着席を促した。
「天文官の佐奈田と申す。
一度対面でお会いしたかったのでお呼びだてした。
我々は天文を司る寮に所属する。もちろん暦もな。」
「はい。王廷は彼国の暦をお使いだと聞いております。」
「暦は水の里でも同じであるな?」
「おそらく?暦は沢山あるのですか?」
「いや、暦は自作は難しくてな。彼国のものが行き渡っていると信じて良い。
先日の稲播き時期について、六月と言上されたのが気になっての。」
「五月の終わりになって播いたと聞きました。」
「まあ実際はそうだが、其方の言上を考慮に入れた。」
凛は少し足先冷えたものを感じた。自分の発言が政に反映されるのだ。
「何か咎があるのでしょうか?」
「いいや。正直、適切な時期の言上であった。お褒めがあっても
良いくらいだ。」
と言われてほっとする。
「ただ、神の神託だけでそう感じられたのか?」
質問にドキリとした。佐奈田の真の問いの意味が分からない。
ここで神の声が聞こえない、
というのが良いのだろうか?
言葉を探せず、沈黙が部屋に広がった。
「凛殿。詰問をしたいのではない。」
と言われて益々、戸惑う。佐奈田が欲しい答えの方向が判らなかった。
横から千明が助けるように説明した。
「佐奈田殿は長い間、気象の研究をしてこられたのです。
気象は太陽、月、星、空の様子といえばわかりますか?」
「はい。彼国ではとても重要で、天の異変は人々の暮らし写し出すものだと。」
「彼国の考え知っているのは助かります。
佐奈田殿はそのお考えが、その。。。」
言い淀む千明の言葉を受けて佐奈田は
「嫌いなのだ。」
とはっきり言った。
「え?」明からさまな発言に驚いていると、
また、言いにくそうに千明が続ける
「その、例えば虹が出たとしましょう。
虹の出る方向など、経験と観測でだいたいわかるのです。
けれどもそれを祥瑞と言って有り難がる。その考えを好まれないのです。」
「虹が出た。それで本来は終わりで良いのだ。しかし、人の心はそうはいかん。」
佐奈田はため息混じりに言う。
凛は祖母の雅に言われた
「見えないものに人は不安なるのです。」という言い方を思い出していた。
「例えば、星が、五星が集まって、それを機会として国を統一した話があると
聞いた事があります。」
「ああ。連珠な。実際にあったし、太白昼見の年は政変も起きた。
しかし、天文異変があったら、地の暮らしに相関性はあるのか?
私は、齢60才数年となる。ずっと考え続けているが
相関性はなく、統治者が天文を利用しているのに過ぎないとな。」
一気に話すと、千明を見て、
「まあ、禁句だなこれは。」
と言った。
少し間の悪そうな千明を見取ると、
「佐奈田様。」凛は懐に入れていた木製の円盤を取り出した。
「これは。」
千明は近寄って、
佐奈田も明らかに驚いた様子で円盤に見入る。
「実の父が遺したものだと聞きました。これは模写ですが。」
ポツリと言う。
「あ、高殿ですね。」
「はい。ご存知ですか?」
「生きていれば私の兄弟子になると佐奈田さまが。。。」
「貰ったものはこれだけか?」と佐奈田は確かめる。
「あとは玉、です。この前の神託は、水の里での経験で五月と述べました。
そして、ここに書いてある文字で、旱の相が出ていたので。」
「使い方を知っているのか?」
「いえ、独断です。相の読み方は、一定ではないです。」
「円盤に四角い盤の対があるのはご存知か?」
「相生さまに聞きましたが、見た事はないのです。」
「うむ。高が使っていた式盤の一部だなそれは。」
凛は思い切って聞いてみた。
「もし、これを対にして、式盤が復元できたら
これから起こることの予言を、神の神託なしに推測する事は
できるのでしょうか?」




