第五話 視線の気配
王都を出たレンは、紅陽への帰路につく。
だがその背後には、気づかぬ影が一つ。
追う者と、追われる者。
その距離は、少しずつ縮まり始めていた。
王都を出てしばらく。
整備された街道を外れ、徐々に人の気配が減っていく。
レンは一定の速度を保ちながら、紅陽への道を進んでいた。
今回の荷は軽い。
錬金道具一式と、比較用のハイポーション。量としてはそれほどでもないが、壊れやすいものも多いため、雑に扱うわけにはいかない。
「……このくらいなら、予定通り戻れそうだな」
独り言のように呟く。
空は晴れており、風も穏やかだ。道中に魔物の気配もない。
順調――のはずだった。
「……ん?」
ふと、足が止まる。
振り返る。
だがそこには、何もいない。
ただ、風に揺れる草と、遠くまで続く道があるだけ。
「……気のせいか?」
小さく息を吐き、再び歩き出す。
だが――
数分後。
再び、同じ感覚が背中を撫でた。
視線。
誰かに見られているような、わずかな違和感。
レンは今度は立ち止まらず、そのまま歩き続けながら、周囲への意識を広げる。
(……いるな)
確信ではない。
だが、“何かいる”という感覚は消えない。
気配は薄い。
だが完全に消えているわけでもない。
(つけられてる?)
可能性として浮かぶ。
だが、まだ断定はしない。
レンは歩く速度をわずかに落とした。
すると――
背後の気配も、同じように間合いを調整してくる。
(……やっぱりか)
今度は確信に近づく。
レンは視線を前に向けたまま、思考を巡らせる。
(敵か?)
判断材料は少ない。
殺気はない。
だが、それだけで安全とは言えない。
(様子見か……)
レンはあえて何もせず、そのまま歩き続けた。
不用意に動けば、相手に情報を与えるだけだ。
まずは、相手の出方を見る。
一方。
少し離れた位置。
猫耳の獣人の女は、静かにレンの後を追っていた。
足音は消し、気配も極限まで抑えている。
それでも完全には消しきれない。
「……気づいてる」
小さく呟く。
相手の動きが変わった。
わずかな速度の変化。間合いの取り方。
明らかに、ただの旅人ではない。
「でも……」
それでも、追うのをやめる理由にはならない。
むしろ確信が強まる。
(この人、あの人に近い)
あの匂い。
忘れるはずのないもの。
ずっと探していた。
ようやく掴んだ手がかり。
(逃すわけにはいかない)
距離を一定に保ちながら、追跡を続ける。
近づきすぎれば気づかれる。
離れすぎれば見失う。
その絶妙な距離を保ち続ける。
それは、彼女の得意とする領域だった。
日が傾き始める。
レンは休憩を挟みながらも、着実に距離を詰めていた。
途中、何度かさりげなく視線を流す。
だが、姿は見えない。
(完全に隠れてるな)
追跡に慣れている。
それだけは分かる。
(厄介だな……)
レンは小さく息を吐いた。
だが焦りはない。
むしろ、どこか冷静だった。
(紅陽まで持ち込むか)
判断は早い。
このまま単独で対処するよりも、拠点で迎えた方が有利だ。
リディアもいる。
レオン達もいる。
囲めば、相手の正体も分かる。
(それでいい)
結論を出すと、レンは歩く速度をわずかに上げた。
それに合わせて、背後の気配も動く。
(ついてくるか)
口元がわずかに緩む。
完全に逃げるつもりはない。
相手もまた、距離を保ちながら追ってきている。
つまり――
(目的は、俺じゃない可能性もあるな)
そこまで考えたところで、思考を止める。
今は決めつける段階ではない。
日が沈み、辺りが薄暗くなり始める。
そして――
見慣れた地形が、視界に入ってきた。
紅陽へ続く道。
まだ整備されていない、あの細い山道の入口。
「……もうすぐだな」
レンが小さく呟く。
その背後。
木々の影の中から、猫耳の女がその様子を見ていた。
(……ここが、あの人のいる場所?)
匂いが、濃くなる。
間違いない。
この先にいる。
(やっと……)
その目に、わずかな揺れが生まれる。
だが、すぐに押し殺す。
まだ終わっていない。
ここからが本番だ。
レンが一歩、山道へ踏み出す。
その瞬間――
追う者と、追われる者の距離は、さらに縮まった。
第五話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、レン側の“違和感”と、猫妻側の“追跡”が並行して進む回でした。
お互いに気づきつつも、まだ接触しない――この距離感が重要なポイントになります。
次回はいよいよ紅陽での対峙。
リディア達も加わり、一気に緊張が高まります。
ぜひ続きもお楽しみください。




