まおうのおうこく29
――ソード!
極薄に研ぎ澄まされた硬質な刃が、飛び掛かる山羊の首元に横薙ぎに振るわれる。
ほんの一瞬振りが早く切り込みが浅い為、致命傷にはなり得なかったが今はそれで良い――エルシィは冷静に戦局を見つめていた。
先程まで攻撃の手をぴたりと止め待ちの姿勢に転じていた山羊達も、急に全力で見通しの悪い西の森に逃げ込んだエルシィ達を見て、慌てて食らいついてきたのだ。
全速の後退である――隊形隊列は乱れ、少なくともエルシィが把握しているだけでも、村の大人たちが既に数人犠牲になっている。
だが、それでも敵の数が想定していたよりずっと少ない。囮となった村人達に多く食いついてくれたのだろう――揺らぎそうになる心にエルシィは唇をきゅっと噛んだ。
アリアナ達、殿の姿は遥か前方、剣戟の音は聞こえど姿は見えない。
押し寄せる山羊達を先ずアリアナ達前衛が押し止め、撃ち漏らした敵を後衛が確実に仕留める。
山羊達の脚力は険しい山岳地帯の山々に鍛えられていることもあり、巨体ながらその突進のスピードは驚く程に早い。
殿=つまり前衛との距離をある程度取らなければ、撃ち漏らした敵に対処することができないのである。
今度は左と前から二匹。
――ジャベリン!
巨大な土の杭を砲弾のように射出し、手前の山羊に先制を加える。
後ろ向きに後退するエルシィの逆向きに流れていく景色の中に山羊が転がり、一瞬の内に森の奥へ奥へと流れていった。
その間にもう一方の山羊が素早くエルシィとの距離を詰め、巨大な角を振り上げ突進してくる。
エルシィが向き直った時には巨大な角が目の前に迫っていた。
ジャベリンやソードで攻撃するには距離が近すぎる。
――シールド!
魔術の呼び出しと共に、エルシィの目の前にエルシィの身の丈と同じくらいの大きさの分厚い大盾が突如出現し、荒れ狂う山羊の突進と真正面から激突する。
ギィヒィィィッ!
まるでパイルバンカーのように打ち出された大盾に顔面を打ち抜かれた山羊が、前歯の数本と血のしぶきを宙に舞わせながら横転する。
ゲルニカがエルシィに授けたもう一つの魔術。自在なる武具工房
この魔術を構成する呪文構築において、ゲルニカは今までに無いある一つの新しい試みを行った。
それはこの世界の魔術とグリモアにおける魔術との違いを利用した、抜け道にも近い手法である。
そもそもグリモア内における魔術は、魔術を構成する指示文の構築において、その魔術の形状や方向・位置など、細かな全ての条件を予め定義しておかなければならない。
つまり例えるなら、ファイヤーボールという魔術が仮にあるとすれば、それは〝球体状〟で〝掌もしくは杖の先〟から〝任意〟の〝直線方向〟に〝飛んでいく〟という定義が少なくとも必要なのである。
しかしエルシィ達の使用する魔術は、これらのコントロールを詠唱では行わず術者が手元の感覚的な操作で行っている節がある。
エルシィとの会話からそう判断したゲルニカは、この自在なる武具工房の呪文構築においては形状と動作の定義は最低限のものを除いてほぼ行わず、言い換えるならマニュアル操作で発動させるというグリモア内では決して成立しない新しい魔術を作り上げたのだ。
つまりそれは、元来グリモア内では形状や動作の定義の為に割いていた部分を、別の指示に割り当てられるということを意味する。
自在なる武具工房は6階梯の土属性の精霊術であるが、ゲルニカの感覚値で言えば7階梯に相当する複雑な指示を行なっている。
そしてこの魔術においてゲルニカは、〝汎用性〟というものを極限まで追求したのである。
グリモアの魔術においては、当然一つの魔術が取れる形態は一つのみである。
前述の通り、ファイヤーボールという魔術が仮にあるとすれば、それは球体と決まっているし、指定した動作しか行わない。
しかし自在なる武具工房は、エルシィの意思によって様々な姿を取ることが出来、また様々な物理的な運動を行うことが出来る――これは例えば攻撃魔術の価値はダメージ・範囲・命中性・消費魔力、概ねこの4要素によって決まっていたゲーム内とは違い、戦局によって必要となる魔術の形状も軌道も全てが異なる現実世界において、より使い勝手の良いカスタマイズをと考えた結果なのである。
そして、この魔術の核となる理論はエルシィに授けたもう一つの魔術城壁と同じ、周囲にある土を元にオブジェクトを作成し、結合させ硬度と靭性を極限まで高める。
城壁の魔術と異なる点は、そのオブジェクトの形状に自由度がある点、そしてそこに物理的な運動を加えるかどうか、の二つである。
自在なる武具工房では、物理的要素を一項目を固定した上で、任意の方向に対し運動エネルギーを与える、という非常にあやふやな指示文をもって魔術を定義している。
エルシィの実際行使した魔術で説明をすると、ジャベリンは杭状に生成したオブジェクトの平行値を〝固定〟し、前方水平方向に対し〝運動エネルギー〟を与えることで、砲弾のように射出させている。
ソードは三日月状に精製したオブジェクトの延長線上を〝支点として位置を固定〟し、水平方向に〝力を加える〟ことにより、あたかも剣の斬撃のような作用を生み出している。
これらはグリモアでは一時期最強魔術の一角とまで言われ流行した〝物理系魔術〟=魔術で対象に物理ダメージを与える魔術――の基本理論でもあった。
そしてその複雑な呪文を一度また一度と行使するごとに、エルシィの魔術行使はその精度を一足飛びに高めていく――エルシィはその天才的な魔術の勘をもって、超難度のゲルニカの魔術自在なる武具工房を既に自分のものにしつつあった。
獣人種の走る速さに後ろ向きに追従する為風の魔術で移動補助を行いながらも、マルチタスクで複雑な魔術を難なく行使する。
後衛という戦闘での役回り上において、今やエルシィの中にはある種の余裕さえ生まれつつあった。
『アリアナ、ミリスさん。もう少しこちらに下がって。
そろそろこの新しい魔術にも慣れました。私もそちらの援護に入ります』
後衛から中衛にシフトしようと、エルシィが風の魔術で呼びかける。
が、しかし
・・・・・・。
何故か、誰もいなくなってしまったように、どこからも返事が返ってこない。
いや、戦闘の気配はするのだ――地面を蹴り上げ、そして何かと何かがぶつかる音、山羊の悲鳴、薙ぎ倒された樹が地面に倒れ森の奥、大きなシルエットが大地に沈む。戦闘の音が前方で響き誰かが確かに戦っている。しかし――
そこでようやく気が付いた。
剣戟の音が一つしかしない。
「アリアナ! ミリスさん!」
嫌な予感がする。何かは分からないが、とても良くない予感だ。
エルシィが焦りを滲ませ声を荒げる。
「アリアナ! 返事をしなさい! アリアナ!!」
やがて
「・・・ごめん、姉御」
絞り出すような苦渋に満ちたミリスの呟きを、森の風が静かに拾った。
「待って、そんな・・・!」
二度目の戦闘が――退却が始まってどれくらいの時間が経ったのだろうか。
この戦場にアリアナの姿が無いという事実に、エルシィが今始めて気付いた。
勿論、理由などは分からない。
だがどんな事情があろうとも、今どれ程の距離がアリアナとの間に開いてしまっているのか――
「アリアナ・・・」
その絶望的な疑問に突き当たり、無情にも奥へ奥へと流れていく景色を見つめながら、呆然とエルシィはアリアナの名前を呟いた。
◆
その頃。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
ルルはもつれる足で必死に地面を蹴り、見通しの効かない森を駆けていた。
凹凸が多く足場の悪い森の、木の根や石ころに何度も躓く。
村人達は数人のグループに別れ、大人達がそれぞれ2~3人で子供達数人の固まりを守るようにして逃げていた。
ルルの周りには自分より年長の子供が二人と、自分より小さな男の子が一人。
一緒に逃げてきた大人達の内1人は、茂みの奥から現れた狼のモンスターにさっき襲われて、ここにはもういない。
残った一人も・・・
「メーラおばさん・・・だいじょうぶ・・・?」
ルルは、心配そうにもう一人の大人――デーベルと同じ犬人の、恰幅の良い女性を見上げて呟いた。
ふくよかな横腹からは、見る者が見れば既に絶望的な量の血液が滴り、彼女のふかふかの毛並みをどっぷりと赤く染めていた。
「ああ・・・だいじょうぶ・・・だよ・・・」
目の奥の光が消えかけ、どこか虚ろに揺れている。
ルルは歳の割には賢い子供である。何となくであるが、メーラのそんな子供だましの嘘にも薄々気付いていた。
ルルは不安を押し殺すように、無理矢理視線を前に向け無心で走る。
しかしやがて
どさり
と、不意に地面に重たい何かが倒れ込むような音が聞こえ、視界の右側にあった大きな人影が消える。
「メーラおばさん!」
立ち止まって後ろを振り返ると、もう既に限界だったのだろう――受け身も取らず前のめりに地面に倒れたメーラの姿が目に入った。
慌ててルルは駆け寄りメーラを抱き起こす。
「ああ・・・」
血の気の引いた虚ろな瞳で、重く息を吐くようにメーラは答えた。
「早く・・・行きな・・・さい」
「でも・・・!」
ルルの瞳が悲嘆に暮れる。メーラは村ではルルの家の二つ隣に住んでいた、面倒見の良い女性だった。
旦那さんととっても仲が良くて、いつも幸せそうで、ルルにもいつも優しくしてくれた。
「時間が・・・ないの、ルルちゃん」
「おい・・・」
「ああ」
「あ! 待って!!」
その時だった。ルルの背後で何かを頷きあった年長の男の子二人がルル達を置いて駆けだしたのだ。
「待って!! メーラおばさん運ぶの手伝って!! 待って!!」
ルルの懇願が空しく森に木霊する。
「ルルちゃん・・・そんな大きな声・・・出しちゃだめ・・・見つかっちゃう・・・
ねぇ、おねがい・・・早く行って」
ルルはふるふると力一杯首を横に振った。
目に涙が滲み、悔しさからか、悲しさからか、堪えきれず透明な滴が零れ落ちる。
しかし、ふと目の前を見るとそこには、小さな男の子が。
男の子は何も言わず、無言でルルをじっと見つめ、メーラの両肩を力一杯支えて抱き起こし、彼女を運ぼうとしているではないか。
ルルは男の子の視線に大きく頷くと、メーラの股の間に体をねじ込み太股を両手で抱えた。
「やめて、ルルちゃん・・・山羊に・・・追いつかれちゃう・・・早く逃げて」
「ううん、だいじょうぶ。
おねえちゃん達が戦ってくれてるから」
有無も言わさぬ強い意志の籠もった瞳でメーラの目を見つめ返す。
しかし無情にも、そんな三人に運命の時が訪れる。
どすんと背後で地面を揺らすような足音が響き、ルルが恐る恐る振り返ると、そこには――ルルの体の3倍はあろうかという太い腕を持つ森の狂獣、オークが粘つく涎を垂らしながら、大きな樹の陰から姿を現した。
ルルの瞳は絶望に染まり、瀕死のメーラは、最早立ち上がることすら出来ない血濡れの体で、膝立ちで二人の子供を弱々しく抱き寄せると、背に庇った。
「はやく・・・逃げなさい」
その体は、がたがたと恐怖に打ち震えていた。




