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まおうのおうこく  作者: 石原にしん
29/33

まおうのおうこく28

 山羊達は目の前に突如として現れた大量のご馳走達に歓喜して群がった。


 生物の頭の良さは概ね頭蓋の――脳の大きさと、体の大きさに対する脳の比率によって決まる。

 エルキアの山羊達もその例に漏れず、賢い頭で正しく〝目の前に現れた獣人達が囮の為この場に残ったのであろう〟と理解した。

 群れの中の幾らかは西に逃げた残りの村人達を追ったが、殆どの山羊はこの場に残り狩りに勤しむことを選んだようだ。故にこの場は、凄惨な山羊達の生け()と化したのである。


「ぐ・・・この・・・!」


 犬人の老人の小柄な体が、黒く大きな山羊の巨体に組み伏せられる。

 老人は逆手に持った短剣を山羊の腕に突き立てるが、目の前の巨体に対しその短剣はあまりにも頼りない。山羊のぶ厚い皮にその刃が通る筈もなく、弾き飛ばされた短剣が空しく地面に転がる。


「ぎぃいやぁあああぁっ!!!」

「嫌! いやぁっ!! たす・・・たすけ――ごぶぉあぁあっ!!」


 四方から聞こえる村の仲間達の悲鳴と断末魔。貧しいながらもささやかに身を寄せ合い生きてきた、愛すべき同胞達が目の前で千切られ、毟られ、生きたまま食われていく――覚悟していたことだが、どうすることも出来ない無力な自分に悔しさが滲む。


 メ゛ェェエェェエェエェ


 山羊が喉を震わせ大きな右足を振り上げた。


「おぁぐぉぁぁ・・・っ!」


 左腕を巨大な蹄で踏みつけられ、柘榴を潰したように血だまりが地面に広がる――痛みに悲鳴を上げそうになるが、寸でのところでそれを堪えて歯を食いしばった。

 山羊がその腐肉のような臭気を放つ巨大な口を広げ、嬉しそうに涎をだらだらと垂らす。

 山羊の歯の形状は比較的人間に近く、口内のその歯並びの良さが老人の目にはやけに不気味に映った。


 恐ろしい――既に覚悟を決めた筈だというのに、老人はその決意が揺らぐような悍ましい恐怖に打ち震えていた。


「ぐぉお・・・っ・・・!」


 この森で囮になると決めるずっと以前から、何かあった時ははこの年老いた自分が身を挺してでも若者の、小さな子供達の命を守るとそんな風に心に抱いてきた――それなのに体が震えて力が入らない。


 老人は、がちがちと鳴る歯を食いしばり、それでも広角を無理やり上げ、歯茎を見せて笑ってみせた。

 それはこの老人が今、唯一出来るせめてもの抵抗――心は決して屈しない。萎れて枯れた木のように頼りない老人の体躯の、しかしその目の奧にある燃え盛るような強い意志が咆哮しているかのようだった。


「貴様、デーベルと言ったか・・・見事だ」


 山羊の歯が老人の犬顔の鼻にかかろうとした、まさにその時。

 老人の頭上を掠めるように空を切って後ろから繰り出された、目映い光を放つ槍の一撃が山羊の頭蓋を眉間から粉砕した。


 金色に光る亀裂を額に走らせ、山羊が糸の切れた人形のように倒れ伏す。

 薄く濁った脳漿と血の入り交じった粘液が、山羊の顔の穴という穴から〝びちゃり〟と勢いよく飛び出した。


「な!? あなた様は・・・」


 驚愕に目を見開き振り返った犬の老人がそこに見たものは、紛う事なき天使の姿であった。

 身の丈よりも長い黄金色に輝く槍を携え、金色の光子を振りまき光を放つ白い肌と、金で紡いだ絹糸ような夜風になびく長い髪を持つ、まだ年若い天使のような戦乙女がそこにいた。


「すまない。貴様らを助けに来たわけではないんだ」


 そう言って少女が固まった肩を解すように槍を振るうと、暗い森の冷たい空気が微かに震え、そして奇妙な静寂が訪れる。

 方々から聞こえる悲鳴も断末魔も、山羊の鳴き声もぴたりと止み、薄暗い森の中すべての生き物が異様な空気を放つ彼女に注目していた。


 アリアナは心の底から怒っていた。

 何に? と問われれば勿論〝あの阿呆に〟ということになるのだろう。

 あんな阿呆な考えしか思い浮かばなかったあの阿呆に。そしてそれを阿呆にも実行に移してしてしまったことに。そんな阿呆の阿呆な考えを見抜けなかった自分にも――阿呆だ阿呆だとは思ってきたが、ここまで阿呆だとは流石に思わなかった――おかげで今、自分までこんな阿呆な行いをしてしまっている。


 だがそれも仕方あるまい。あんなもの(・・・・・)を見せられた後では、気も高ぶるというものだ――奮い立った村人達の気持ちが、今なら分からなくもない。


「嗚呼・・・これはただの八つ当たりだ。

 それに私には誰かを守りながら戦うなどという器用な真似は出来ない。

 ・・・ミリス(あいつ)くらい上手く戦えればいいんだが・・・すまない。それだけの経験が、器用さが私には無いんだ・・・」


 一瞬の踏み込み。凡そ10メートルの距離を瞬きする間もなく一瞬で詰め、槍突きを繰り出す。

 

 ギェエエェ!


 それは生命の危機に際した獣の本能の為せる業か、驚くべき反応で跳躍し回避したオス山羊。

 しかし黄金に輝く刃はそれでも山羊を逃がさず胸を深く穿つ。夥しい量の血のしぶきが辺りに撒き散らされ、ヤギの悲鳴が上がる。


「ちっ・・・。浅かったか」


 よろめきながらも未だ健在な山羊を見据え、アリアナは苛立たし気に呟きを漏らした。


 アリアナは理解していた――護衛戦闘という分野に分類されるこの戦いにおいて、自分がパーティーの、特にミリスの足手まといになりつつある、ということを。


 ミリスというぽっと出(・・・・)の猫目族の女にはいけ好かない部分は沢山あるが、少なくともこと戦闘経験や立ち回りにおいて自分より数段上であることは最早疑いようがない。

 暗く視界の効かない森を縦横無尽に飛び回るあの戦闘スタイルは、体が大きく元々見通しの良い山岳地帯に生息する山羊達にとって今や天敵と言っていい戦い方である。


 あの女の本来の戦闘スタイルというのがどういうものなのかは知らないが、この森の地形と敵である山羊の特性を考え、恐らく意図的にあの戦い方を選んだ。


 この森の地面には高低差のある大きな凹凸がいくつも存在し、その所為で視界も悪く足場が安定しない。そこで自身は森に無限に存在する木々を自在に足場にすることで立体戦闘を可能とし、そしてあらゆる生物が普遍的・絶対的に不得手とする頭上を押さえる。

 無理をせず、深追いもせず、ただ業を煮やし深追いをしてきた相手を的確に確実に始末していく。


 少なくとも自分には真似のしようもないが、その戦法が選択可能なのであれば、今この状況下においては唯一絶対、最良の手と言えるだろう。


 そしてそんなミリスの動きを、戦闘経験で圧倒的に劣る自分の未熟な立ち回りが、邪魔をしてしまっている――悔しいが足でまといもいいところだ。

 今のあの女の動きと、自分の動きの相性は最悪である。


 ならばいっそ連携は諦め、別々に行動してしまった方が効率が良い。

 その思いは、皆が一斉に駆け出したあの瞬間、偶然目を合わせたあの女に、武人同士通じ合うものがあったのだろうか、一瞬で伝わったように感じる――いけ好かないことだがそれも仕方ない。


 武力だけならば自信はある――あの女など足元にも寄せ付けない。武人として、エイデスの名を継ぐ帝国より銀騎士の称号を賜った騎士としての矜持がある――誰よりも多く、あの山羊どもの首を狩ることが私にはできる。


 幸い、囮はより長く敵を引き付けることが望ましい――多ければ多いほど良いのである。


「すまないな。貴様らを助けてやることは出来ん。

 だが貴様らの死は私がこの目で見届けてやる――そして、その間」


 アリアナが凄まじい膂力をもって、先ほど胸を穿った山羊に向かって槍を投擲した――重く風を切る音が響き金色の一閃が森を駆ける。


 ギィィィイッィイィィィ!!


 手負いの山羊は反応し切れず、見事横腹に槍をもらい悲鳴を上げた――腹から槍を生やし、痛みに後ろ足を跳ね上げて身を捩る――そしてその一秒にも満たない間が命取りとなった。


 瞬間、足裏で地を這うような武人の動きで山羊の許まで踏み込んだアリアナは、山羊の腹に刺さった槍を乱暴に横なぎに薙ぐと、内臓や血泥を辺り一面にぶちまけさせたのだ。


 山羊の真っ赤な血の雨を全身に浴び、アリアナの瞳がギラリと怪しく光を放つ。


 豚の断末魔に似た潰れた悲鳴が森に木霊して、もう立ち上がることのできない山羊が地べたをのたうち回る。


 ギィェ、ギェェ、ギィ・・・!!


 アリアナは、自身から少しでも離れようともがく山羊に、淡々と歩み寄り容赦なく止めの一撃を振り下ろした。


 ゴギャッッ! と、太く大きな骨と山羊の硬い肉をまとめて断つ気色の悪い音が響き、森にまた不気味な静寂が訪れる。


 何かの力の残滓か、紅潮した頬に黄金色の湯気を上げる体、火照った体から吐き出される白い吐息。

 周りにいた山羊達が、その迫力に一歩また一歩と後ずさる。


「――そして、その間、この腐った山羊の出来損ないどもを、私がぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺しまくってやる。貴様らはその光景をゆっくり眺めながら死んでいくがいい」


 らんらんと瞳を怒りに高ぶらせ、アリアナが静かにそう言った。


「ははは・・・それはいい・・・」


 口の端を吊り上げ、恐怖に駆られた筈の老人の、しわがれた喉が愉快そうに震えた。


「ああ・・・たった一秒でも、長生きはしてみるものですな・・・」


 そんな呟きが、静寂の森に小さく響く。


 そして何が彼らをそうまでさせたのか、今まで慟哭と悲鳴しか上げてこなかった他の村人達の目には、紛うことなき狂気の光が宿っていた。


 恐怖と死の淵、本物の極限の中生まれたどろどろの汚い何か。

 間違ってもそれは〝正義〟や〝自己犠牲〟など美しい精神では一切なく、ただただどこまでも狂った、地獄の怨嗟にも似た、絶望と死の間際、誰か何かを地の果てまでも呪う、悍ましい人の本性のようだった。

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