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まおうのおうこく  作者: 石原にしん
31/33

まおうのおうこく30

「ぁぁ・・・」


 横腹を押さえ、力無く自分の長柄をずるずると地面に引きずる。片目は、額から流れる血に沈み硬く瞑られている。

 息も絶え絶えに朦朧とする意識の中、敵を求めて彷徨う亡者。


 手はもう4本程食いちぎられた。足は2本。首もとから肩にかけて深く歯を突き立てられた時は、流石にもう終わったと思った。


 だが生きている。


 怒りと、痛みと、恐怖と、闘争心で、みっともなく泣いて何かを喚きながら、それでも殺し続けた。


 敵はどこだ?――次の敵、次の獲物。

 この槍を突き立てる相手を捜し、森を彷徨い続ける。


 数分前から敵の猛攻がぴたりと止み、いつの間にか山羊達は姿を見せなくなった。

 

 辺りを見渡せど何故か敵の気配はない。

 といっても、辺りの気配を把握することは最早出来ない――そんな繊細な感覚器は既に機能していないのだ。

 気配を読むという行為は存外神経を使う――とりわけ集中力を要する。


 いつどこからあの山羊達に襲いかかられてもおかしくはない。


 全滅したなどということは有り得ない筈だ。それ程に山羊の群れは強大で、自分一人では到底殺しきれる数ではなかった――では、そんな一人ではどうしようもない相手と戦い、自分はどうしようと思っていたのか。戦いながら、絶叫しながら、敵を貫きながら、ずっと自問していた。


 こんなところでは死ねない、まだ死にたくない――ふとそんな考えがよぎる。

 こんな愚かな行いをしておいて――1人では到底倒し切れぬ程の山羊を相手に身を投げ出すような真似をして、今更何を思うのかと自分でも呆れるが、それもまた紛れもない自分の本心だった。


「私はもっと・・・理性的に生きてきた筈なのだがな・・・」


 耳に真綿を詰めたように周囲の音が遠い。視界が暗い。さっきまで血の味で不快だった口の中が、今では何も感じない。


 アリアナは近くの樹にもたれ掛かると、改めてぐるりと辺りを見渡した。

 近くに敵がいないことを確認し、重い息を吐くと軍用のポシェットから小さな小瓶を取り出す。

 ゲルニカから手渡された薬はさっきまでの戦闘で既に使い果たした――これはただの軍の支給ポーションである。


 封を切ってその中身を一気に煽った。

 次第に視界がクリアになり、口の中にはこの世のものとは思えない激烈に苦い味が広がる。


「ぁ・・・・ぅ」


 やがてまともになった聴覚が、森の隅に呻くような小さな声を拾った。


 アリアナは即座に槍を構えて向き直る。

 周囲を警戒しながらゆっくりと近づいていく。


「貴様は・・・」


 辿り着いた高い崖の下、落石が散らばる岩陰に、犬人の老人デーベルが岩の影に横たわっていた。


 生命の源を根こそぎ奪われてしまったような淀んだ虚ろな瞳。意識は既にないのだろう――呼吸しているかすら怪しい、舌を口から垂らした半開きの口。

 そして、腹から下が無くなっていた。

 無惨に臓物を辺り一面にまき散らし、下半身は山羊に持って行かれてしまったのだろう――どこにも見当たらなかった。

 最早何をしても助かるまい。


 胸にふと後悔がよぎる。


 ここに残った村人達は皆笑いながら死んだ。

 狂って気でも触れたかのように醜悪な笑みを顔に浮かべ、中にはゲラゲラと笑い出すものまでいた。

 聞き取ることのできない呪詛のような叫びを死のその瞬間まで叫び続けた者。山羊に食われながら助かるためでなく、何か恨みをぶつけるかのように一心不乱に拳を振り上げ続け死んでいった者――あれが本当に人の死に方と言えるのだろうか。

 彼らは本来、あのように死ぬべきでなかった――自分がそうさせたのだ。本当にそれで良かったのか。


 熱の冷めた頭でアリアナはそんなことを考えていた。


「・・・そんな表情(かお)を・・・しなさるな・・・」


 消えかけの命、血に溺れた喉――もう意識もないと思われていた死に体の老人から、不意に声がかけられた。


「貴様・・・生きていたのか・・・」

「・・・ええ、と言ってもこんな有様では・・・」


 そう言って力なく笑う。

 その老人の言葉を肯定するように静かに頷いた。


「・・・私は感謝・・・しております・・・」

「・・・」


 それは恐らくここで死んでいった村人達の最期についての礼なのだろう。

 アリアナはその言葉に別段驚きを覚えたりはしなかった。


「・・・我らは・・・恐怖に屈さずにすんだ・・・弱者として惨めに死なずに済んだのです・・・」


 これでも戦場に身を置く者である――そんな風に死んでいく同胞や、敵の兵士を何人も見てきた。

 老人の言うような精神について、理解できない訳ではない。

 例えば自分が彼らのように死ぬ時が来たとしても、恐らくこの老人と同じように誇り高く恐怖に屈さず、牙を剥いて死ぬことを望むだろう。


「そうか・・・」

「・・・ええ・・・そうです」


 最早これは観念の問題で、今更死んでしまった彼らの心について考えても仕方ない事なのかも知れない。

 だが言わずにはいられなかった。


「だが、済まない」


 その言葉に老人が、視線を重く持ち上げてその意味を問うてくる。

 アリアナはアリアナ自身の矜持にかけて、このままこの老人を騙したまま逝かせることが出来なかった。


「私は・・・貴様らのことなどどうでもよかったんだ・・・。

 どちらかと言えば、私は帝国でも〝差別主義者〟の部類に入る」


 その言葉を聞いても、老人は表情一つ変えなかった。


 もうそれすらも出来ないのか、それとも老人にとってアリアナの言葉がただ驚くに値しなかったのか。

 それは分からない。


「私は貴様らを守りたかった訳ではない・・・

 あの阿呆が守りたいと願ったから・・・受けたその恩に報いたかっただけだ。

 そしてここに残った理由は、ただの怒りから・・・。

 私はただ自分の独善的な理由で槍を振るった。貴様らなどただのおまけだった。

 すまない・・・」


 しかし老人は、その言葉に優しく頬を弛ませると、


「ええ」


 と優しく微笑んだ。


「まったく・・・あの方も罪作りなお方だ・・・」


 それは誰の事を指して言っているのか。

 全く見当違いの勘違いをしているようだが、死に際の老人の戯れ言だ。今更どうでもいい。


 ほんとうに・・・そういう訳ではないのだがな・・・。


「早く・・・行きなされ」

「行く?」


 老人は半身の無くなってしまった体で、歯を食いしばり腕を重く持ち上げると、森の西を指差した。


「山羊達が戻ってこないとも限りません。

 今の内に・・・」

「あの山羊どもは何処かへ行ったのか?」


 アリアナは知る由もなかったがこの時、山羊達はもう充分に食料を確保し、また一騎当千を地でいくアリアナの存在にこれ以上の戦闘は割に合わないと判断し、自分たちのねぐらに引き返していったのである。


 しかし、それをこの場で唯一理解する老人は、アリアナのその疑問に答えることなく、彼女が気付いたその時には、既に息をしていなかった。


 深い森の岩陰にひっそりと、満足げな表情でまるで老衰で逝ったかのように息絶えていた。


 アリアナは暫く老人の死体を見つめると、無言で歩み寄り、開いた虚ろな二つの瞳をそっと閉じた。


 そして、ずるずると長柄を重く引きずるように、また歩き出す。

 老人が指し示した先とは違う、別の方角に向かって。

 今にも倒れてしまいそうな少女の頼りない背中が、しかし確かな強い意志に燃えているようだった。

 

「あの阿呆・・・一発ぶん殴ってやらんと気が済まん・・・」





 深い森に乾いた音が響き渡る。


 ミリスは判決を静かに待つ罪人のように、項垂れ下を向いていた。


「すまない・・・姉御・・・」


 目の前に立つミリスよりも頭二つ小さなエルフの少女の目は、涙で真っ赤に腫れていた。


「あなた・・・は、満足なんでしょう。あの絶望的な状況で、これだけの人数を守り切れた・・・さぞ・・・」


 詰る言葉を投げかけようと、ミリスの表情(かお)を見たエルシィの言葉がピタリと止まる。

 そして間違いに気付いた。


 だからと言って、それで二人に出来た深い溝が埋まる訳ではない。


「ごめんなさい・・・」


 エルシィはそう言って踵を返した。もう話すことは無いと、背中が告げているようだった。

 村人達の待つ方へ、茂みを掻き分け歩いていく。


 誰もいなくなった森の一角で、ミリスは樹に背中で凭れかかり、空を仰いで両手で目を覆った。


「なんで・・・」


 涙が止めどなく溢れる。


 山羊は振り切った。


 何とか河を越え、安全といえる場所まで逃げ切り、村人達は疲れ切った様子で地面にへたり込み、束の間の休息を取っている。


 しかし、一番大切な者の姿がそこに無かった。一番に、本当に守りたかった筈の犬耳族の少女の姿がどこにもなかったのである。


 村人の半数を、アリアナまでも犠牲にし、その結果がこれなのだ。

 どこにぶつけて良いか分からない、怒りと悲しみがこみ上げ、ただただ無力感に打ち拉がれた。


 しかしその時がさりと背後の茂みが揺れ、振り向いたミリスの前に何か大きな気配が突如として現れた。ミリスは驚き即座に武器を構えが、斧槍ハルバードの穂先を向けたところで、その必要性が無いことに気付く。


 ケラケラ・・・


 地を四つ足で這う、血濡れの包帯にまみれた、巨大な猿のアンデッドがそこにいた。


 拳が震える。


「ふ・・・ざけるなァ! 今更なんの!!」


 それは紛れもない八つ当たりであった。誰にぶつけていいのかも分からないやるせ無さを、ただ目の前の物言わぬ魔物にぶつける、そんなどうしようもない理不尽な罵倒だった。


 やがて言葉が続かず嗚咽に膝を折り泣き崩れる。


 しかし


 ケラケラ・・・・・・


 そんなミリスに、包帯の魔物は弱々しく喉を鳴らし、少しずつ近づいて来る。

 違う――もう、まともに歩くことができないのだ。

 よく見ると包帯の隙間からはぐずぐずに溶けた肉と血が滴り落ち、一歩一歩歩くごとに身体が崩れていくようだった。


 限界を超えて力を行使し続けたアンデッドの躯はやがて魔力を失い自壊する。


 魔物の躯だったものがボタボタと地面に崩れ落ち、その度に魔物は苦しげな声を上げ、それでも必死にミリスの許に近寄ろうとしていた。


「おまえ・・・なん・・・」


 そして、ミリスの足下まで辿り着くと、そこで限界を迎えたのか大きな左腕が〝ぐしゃり〟と音を立てて崩れた。


 その反動で魔物は肩から地面に沈み、形を保つのも限界だった身体が〝べぢゃりっ〟と潰れ、肉片が飛び散る。


 首を絞めたような弱々しい悲鳴が木霊する――痛みを感じているのは明白だった。


 しかし魔物はそれでも、震えるもう片方の腕で地面に手をついて身を起こすと、大きな腹をぐちゃぐちゃと鳴動させ、苦しそうに何かを地面に吐き出した。


 二つ――弱々しく、しかしそれでも微かに胸を上下させ、確かに息をしている。小さな二つのか弱い命。大切な犬耳の少女と、そして小さな少年。


「ぁ・・・」


 それを見届けると魔物は一鳴きして、今度こそ跡形もなく崩れ去った。


 ミリスは小さな二つの命を抱きしめ、声にならない叫びを上げた。

 

 一度死んだ筈の物言わぬ魔物(アンデッド)は、命をかけて二つの命を守り抜いたのだ――ミリスは崩れた血肉に溺れた包帯を一撫でして


「あんた・・・守ってくれたんだね・・・ありがとう。

 ほんとに・・・あたしらなんかより、ずっと立派だ・・・」


 涙に滲んだ声で物言わぬ魔物の墓標に、そう呟いた。


次回更新は4月1日(日)21時頃とさせて頂きます。

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