まおうのおうこく13
――しまった! 失敗した!
ゲルニカは地面を巻き上げ、水面を跳ねる石のように超重量の体を跳躍させながら、内心悪態をついた。
彼女達が万一何かの危険にさらされた時の為にと鈴は付けていたが、まさかこんな事態になるとは予想もしていなかった――彼女たちが〝一方的に殺す〟側に回るとは露程も思っていなかったのだ。
頭の中の仮想インターフェースに浮かぶ光点がまた三つ消えた。
先に言っておくと彼女が殺しているのは帝国兵だ――つまり彼女達は同士討ちをしている。
帝国兵というものに会って初めて分かったのだが、アリアナやエルシィ、それにミリスや昨日出逢ったガノッザというミリテスの男などは、この世界でも恐らく、かなり強い人間に分類される。
一先ずレベルだけで判断するなら、一騎当千を地でいくような存在であると言えるだろう。
アリアナ達が今戦っている相手には、アリアナ達に抗う力はそもそも無い。戦う前から既に勝敗は決していて、それはアリアナ達本人が一番よく理解していることだろう。
これは殆ど一方的な――ゲルニカが村で行ったようなことと同じ、殺戮だ。
アリアナもエルシィも、たった一日一緒にいただけだが、とてもそんなことをするタイプには見えない。
――きっと何かあったに違いない。
相関転移はさっきミリスを助ける際に使用したばかりで絶賛リキャストタイム中だ。しかも登録外の対象――犬耳の少女ルルを連れて転移した為リキャストが長い。再使用までは、後10分は必要な筈だ。
歯痒い。
傾斜のかかった地面を蹴りながらゲルニカは焦りに顔を歪めた。
石切場か何かだったのか、人工的に切り出されたような石が乱雑に積み上げられた大きな岩場を、強引に脚力だけで飛び越える。眼下に見覚えのある二人のシルエットを捉えた。
乱暴に着地し、地面にガラスの様なひびが入って地盤が浮き上がる――ゲルニカが顔を上げた時、アリアナがまさに目の前の帝国兵に止めを刺すその瞬間だった。
身の丈程もある長い杖と、その先端から発光して突き出た腕の長さ程もある金色の刃――その二つをもって槍とする。アリアナの魔槍が帝国兵の胸に、真っ直ぐ平行に突き立てられた。
ほんの一瞬だけ、くぐもった声を上げるが苦しむ間もなく息絶える。
こんな時でさえ美しいと思わせてしまう、研ぎ澄まされた見事という他ない武人の一撃だった。
両手では丁度足りない程の骸と、赤く血の滲んだ足下の土。
エルシィがゲルニカに気づいて振り返ったが、その表情は悲しみに暮れていた――背を向けたアリアナの横顔は、きらきら煌めく金糸のような美しい髪の陰になっていて見えない。
ただ手の甲や太股、露出した肌にはあの入れ墨みたいな紋章が、赤くぼうっと鈍い光を立てていて、それがアリアナの激情を映しているようだった。
目の前に悪魔が降り立ったからなのか、アリアナが槍で刺し貫いたことが合図になったのか、帝国兵の数人が情けない悲鳴を上げながら、ほとんど転がるようにして逃げ出した――それがすぐ周りに伝播する。やがて全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
アリアナの足下に倒れていたのは、他の兵士とは違うかなり身なりのいい〝上級仕官〟のような男だった――他に打ち捨てられた死体も同じ。一見して戦場に出るようなものではない、場違いな格好の者までいた。
ゲルニカとアリアナとエルシィの3人だけになって、それでも後ろ姿のアリアナはじっと動かず、ゲルニカからは窺えない、遠くの先をぼーっと見ている様子だった。
エルシィは本当にどうしていいのか分からないのだろう。ただただ潤んだ瞳で不安そうに、アリアナとゲルニカを交互に見つめていた。
「アリアナ」
どうしていいのか分からなかったし、なんて声をかければいいのか分からなかったが、ゲルニカはアリアナの名前を呼んだ。
それは相手を思いやった訳でもなく、何かを伝えたかった訳でもない。ただ心配で、そうせずにはいられなかっただけだ。
変事はない。呼ばれた事に反応すらしない。
「アリア――」
「うるさい!!」
アリアナが長い髪の陰になった、表情の見えない横顔だけでゲルニカを怒鳴った。
「――少し、黙っていてくれないか」
アリアナは泣いていた。声だけでそれが分かった。
――あれは・・・
ふと、ゲルニカは近くに打ち捨てられたいくつもの死体から少し離れた場所にある、幾体か転がる別の死体を見つけた。
そのまばらに転がった死体は、大きな天幕の陰へと続いていた。
一歩一歩足を踏み出し、丁度アリアナの傍を通り過ぎる時、アリアナの肩が小さく震えた気がした――まるで悪さをした子供が親に見つかった時のように。少なくともゲルニカの目にはそう見えた。
死体が寄り固まっていた場所からそう遠くない、見通しの悪い天幕の裏、夥しい帝国兵の死体それから
「これは・・・」
惨い。その一言につきた。
ミリスやルルのような獣人と言えばいいのか、裸にされた女性達の何人もの死体。犯され嬲られ苦悶の表情で死に絶えた、女の人の亡骸。
それから丁度小学校に上がり立てくらいだろうか、毛むくじゃらの人の形をした狼の子供死体。胴と首とが切断され目元には微かに涙の痕。その子の胴体を掻き抱くように亡くなっている犬耳の女性。
四肢を切断され、腹を割かれた裸の女。
天幕の中からも死臭がする。
この状況を見たアリアナが錯乱したのか――そう考えそうになったその時だった。
――違う、守ろうとしたのか――この人達を。
アリアナは、あれだけ嫌っていた魔族の女達を守ろうとしたのだ。
一つの別の答えにたどり着いた。
なぜなら女たちの死体を囲む兵士達は背や即頭部に攻撃を受け死んでいる――恐らく横から後ろから刺し貫かれたた。
そして何より――生きている。
たった1人。それでも1人、まだ息がある。
そっと手を伸ばし、ぴくりとも動かない犬耳の少女の顔に触れようとしたその瞬間
「ぅるがァあう゛ぅぅぅー!!」
恐らく、死んだふりでもしていたのだろう。少女がゲルニカの腕に噛みついてきた。
だがゲルニカの肌に全く牙が通らず、驚きに目を見開く。
「ま、待て! 待ってくれ!」
ほとんど悲鳴のような声を上げたのはアリアナだった。
――なんだそれ。僕がこの子に何かすると思ったのか。
信用されていないことに若干の寂しさを感じつつ、空いた方の手でアリアナに〝大丈夫だ〟と合図を送った。
ゲルニカの顔や体の色形を認識し、目の前の男がデーモンだと気付いた少女は、途端に目に涙を溜めガタガタ震えながら怯えだした。
「安心してくれ。何もしない。」
優しくそう言って、目の前の少女の顔を覗きこむ。
「君はあの女の子に助けられたんだね?」
大きく開けた口は、ゲルニカの腕を咥えたまま。
〝うん〟と言った訳でも、頷いた訳でもないのに彼女の見つめ返す瞳が〝そうだ〟と言っているのが分かった。
ゲルニカはゆっくりと立ち上がり、少女の牙は自然と腕から放れた。
力が抜けたようにぺたんと地べたに座り込む――ゲルニカはアイテム欄から適当なマントを一枚選んで少女の肩にかけると、この場の惨状を改めて見下ろした
――救われない。
こんな事があっていいのだろうか。
アリアナは恐らく自軍に反逆した。たった1日一緒にいただけだが、彼女が恐らく軍規やルールには厳格な人間であろうことは、容易に想像がつく。
彼女が今後どのような立場に置かれるかは分からないが――だが、そんな彼女が自ら軍に背いた。
・・・そうして得られた結果が、この惨状というのなら、彼女は一体何の為に・・・。
一人助かった、とB級映画みたいに安っぽいヒューマニズムで言い訳することは幾らでもできる。だが本当にそうなのか?
これだけの罪の無い人達が無意味に無残に殺された。
13歳の生真面目な少女が、自らの立場を捨てて女達を守ろうとした。
・・・なのに助かったのはたった1人――いや違う。1人を残して皆死んだ。他は全員殺された――助けられなかった。
それを一人救ったと、まさかそんな上辺だけの理屈で喜ぶのか?
しかし、ゲルニカの口からこぼれ出たのは、そんな考えからは全く真逆の言葉だった。
「・・・・・・アリアナ、君は守ろうとしたんだろう?
ほら見ろ、君が救った」
B級映画の、まるでポップコーンをつまみながら笑ってしまう安っぽいヒューマニズムだった。
大人の貫禄などまるでない、困り果てた父親が娘にプレゼントをするように情けのない声音で――まるで頼むから泣き止んでくれと言わんばかりの。
何かを言わなければと、泣いている彼女を慰めなければと、きっとそんな思いが口走らせたのだと思う。
「・・・がう、違う・・・違う!!!
血を吐き出すようなアリアナの叫びが木霊した。
「違わない」
それを纏まらない頭で、感情だけで否定する――何をそんなにムキになってと、自分でもそう思った。
「違わない。君は――」
「黙れ! 貴様は何も分かっていない!
私の体には、この体の魔術紋には、帝国千年にわたる数十億という民達の血と汗が染み込んでいる。
この血肉はその髪の毛一本に至るまで、比喩ではなく、その言葉の通り、民の血税で創られている。
食べるものにも着るものにも困った事などない――何の不自由なく暮らしてきた。
なればこそ、騎士の忠誠とは正しく、国に捧げられなければならない。それ程に騎士の忠誠とは重いものなのだ。貴様にはそれが分かるまい。・・・・・・それを・・・私は。
それなのに・・・」
「違わない。
君は君の言う、正しい忠誠を捧げた。なにも間違ってはいない」
分かってほしかった――彼女に。
何を?――自分の行いの尊さを。
決して自分の行いを呪って欲しくなかった。自分の力の無さを、嘆いて欲しくなかった。
なんでも良かった――13歳のちょっと賢い頑固な女の子を言いくるめられる、狡い大人の最低の詭弁で、それでも今の彼女を騙せるなら、それでいいと思った。
「なにを!! 倫理も正義も介さない悪魔が、何を――」
「君が言ったんだ、髪の毛一本に至るまで、民の血でできているって。
だから本来、君の忠誠が捧げられるべきは国じゃない、人だ。
そして君は、力無き民衆に正しく忠義を尽くした。
それは民主主義の、本来あるべき正しい姿だ」
「みんしゅ、しゅ?」
「いや、ごめん。なんでもない。
でも兎に角、民達が滲む汗をぬぐい、涙を飲んで捧げた赤い血の一滴で、君は形作られている。
君はその信念に正しく従い刃を振るった。その行いに一片の過ちすらない」
「・・・なぜ、貴様――」
アリアナが呆然と何かを言いかけたが、言葉が止まらなかった。
自分を救ってもらったと思っているのだろうか――こんな年端もいかない13の少女に。
それとも、道端で悪いやつに攫われそうな少女を見つけ、助けてやらねばと庇護欲に駆られてしまったのか。
熱に浮かされたように言った。
「君は正しい行いをした。君は間違っていない。
そして、彼女を救ったんだ」と。
そう言って、マントに包まり座り込む少女を指さした。
微かな沈黙の後、
「・・・なぜ・・・貴様が泣いているのだ・・・?」
「え」
気付けば、ゲルニカの虚ろな眼窩から、透明な雫がぽろぽろと零れ落ちていた。
「――わからない」
そんなつもりはなかった――ゲルニカは指で自分の下瞼をすくって答えた。
「・・・ああ、ごめん。
泣くつもりなんてなかったんだ」
自分でもよく分からなかった。
言う程悲嘆に暮れていた訳ではない。感極まって喋れない訳でもない。
「と・・・いうか、デーモンって泣くのか・・・」
それで涙が引っ込んでしまったのか、アリアナは真っ赤になった目で微かに笑った。
恥ずかしい沈黙が流れた。
しばらくして太陽が丁度雲に隠れたくらいの頃、
「・・・今の貴様の話に、素直に頷くことは、私には難しい。
だが・・・貴様の優しさは伝わった」
アリアナが呟くように言った。
「本当に変なデーモンだなおまえは」
そう言って笑った。
何故か呼び方がおまえになっていた。
あれかな、美少女ゲーでいうところの、好感度アップしたら呼び方変わるみたいな・・・。
そんなバカなことを考えた。
「食料と女を供出しろと、そう言ったらしい」
涙も引いて「んーっ」と、鼻で唸るように背伸びをしたアリアナが、肩の荷が下りたように口を開いた。
「え?」
「争いの理由だ。
冬越えが近いこの時期に食料を出せなど、死ねと言っているようなものだ。
それにこの村の住民には女が多い。
土台無理な話だ」
そして、
「まぁ確かに、おまえの言う通り、私は間違ったことはしていないな」
そう言ってそっぽを向いたアリアナの横顔は、やはり長い髪の陰になってよく見えなかったけれど、ほんの小さく口元だけで苦笑していたような気がした。




