世界をかえさせておくれよ
「なあ、このままじゃダメだ」
気が付けば、暗い瓦礫だらけの廃屋にいた。クソッタレ、またこの夢か。
「なな、なんだよいきなり」
狐の獣人が、盗んだ干し肉を大事そうに抱えている。身体のあちこちには血が滲んでいた。
「このままじゃ絶対ダメだ。もう我慢できない」
屋根から二階にかけてぽっかりと空いた穴から陽射しが差し込む。兎の獣人が、地上の闇からその穴を見上げていた。
「ウィル」
ニワトリの獣人が口を開く。皆、まだ子供だった。
「この国は戦争に負けたんだ。俺らにはこのまま廃屋で盗人生活をするか、奴隷になる道しか残されてない」
「や、やだ!どど奴隷になんてなりたくない!」
狐の怯えた叫び声が廃屋に響く。
「ど、奴隷になると、喉を潰されて、ちちち、ちんちんを切られるって、おおおお爺ちゃんが言ってた!」
「タイム、落ち着け。僕だってちんちんは切られたくない」
「ハッ…じゃあ廃屋生活だな。今日だって肉が手に入ったじゃねえか」
「命懸けだった」
兎は穴を見上げたまま、淡々と話す。
「肉ひとつ盗むのに、命懸けだった。いつか絶対に誰か死ぬ」
崩れた屋根から、がらりと破片が剥がれ落ちる。破片は更に砕け散り、他の瓦礫と混ざり合った。
「んな事言われなくても分かってんだよ!でもどうしようもねえだろうが!街も、村も、家も全部!全部奪われた!」
ニワトリが声を荒げるが、届いてないかのように兎は動じない。
「悔しくないか?」
兎が振り向く。
「あァ…?」
「僕は悔しい。子供だから戦えない。奪われることしか、逃げることしか出来ない。僕はまだ何も成し遂げちゃいない。このまま死ねば、誰も僕らのことなんか覚えちゃいない」
兎の目は漆黒に染まっていたが、表し難い輝きがあった。ニワトリを見ているようで、何処か遠くを見つめている。
「いつか、いつか僕らで、でっかい事をしよう」
「なんだよ。でっかいことって」
「何でもいいさ。とにかく、僕らが生きてた事の証明を、この世に残すんだ」
優しく微笑んだアイツを、いつの間にか真っ白な陽射しが包んでいた。
…いつもここだ。
「――いいだろ、アルバ」
いつもここで、目が覚める。
――
「――ピヨサン!」
寝ぼけた耳にどこか間抜けな声が聞こえてきた。ぼやけた視界には、声の主がジェシーに顔面を舐められながら、心配そうに呼び掛ける姿が映る。
「新入りか…」
起き上がろうとしたが、身体に激痛が走った。ヴェスペルめ。骨が折れてたらどうするつもりだ。
「ダイジョウブ?ナニ、アッタ?」
純人が手を伸ばす。土で汚れた手の平には、血豆が潰れた痕がいくつも出来上がっていた。
「…別に何もねえよ」
手を取らず、立ち上がる。気づけば空が白みを帯び、夜が明けようとしていた。
「ソレハ?」
足元を指さされる。見下ろすと、折れた小さい旗が転がっていた。拾い上げ、欠けた首輪のマークを見つめる。
「…ただの忘れ物だ」
純人と獣人は、分かり合えない。
身体の痛みと共に、記憶が呼び起こされる。
ーー
「よお、遅かったじゃねェか」
新入りが連れ去られた直後、橙に染まった森にはハイエナが我が物顔で待ち構えていた。
「…随分久しぶりだなヴェスペル。もう会えないかと思ったぜ」
「心配かけたなクソ鶏野郎。お望み通り存分に可愛がってやるよ」
「この一ヶ月でやった事がお友達集めか?」
奴の後ろには純人の男女が立っている。農場で何度か見た、用心棒の面だ。
「アニキィ。コイツが例の奴隷ッスかァ?いつものニワトリじゃないスか」
女が干し肉を噛みちぎる。名前は知らねえが、コイツはいつも何かしら食ってばかりいる。
「阿呆ですねプルコ。黒い髪と瞳の人間だとアニキが言ってたでしょう」
長身の男が返す。コイツはいつも自前のナイフをアホみたいにいつまでも眺めたり磨いたりしている。
「なんだとカルム。黒髪なんていねえじゃんか」
「間違いなくウンコでしょう。そんな事も分からないとは...嘆かわしい...」
「なるほど、ウンコか」
「ちょっと黙ってろお前ら」
ヴェスペルが制止する。初めてお前に感謝するよ。
「随分愉快なお友達だな。お前にお似合いだよ」
胸ぐらを掴まれると同時に、ドゴン、と鈍い衝撃が腹に響く。
クソッタレ。良い加減飽きねえのかコイツは。
「生意気な減らず口は治ってねえみたいで安心したよクソチキン。あの純人は何処だ」
「ガハッ...お前アイツ一人シバくために二人も連れてきたのかよ、面白い冗談だぜ」
ドゴン。
「うるせェ。何処だって聞いてんだ」
ドゴン。
「うっひょー。アニキの蹴りって痛そー。ところで何で奴隷なんて探してんの?」
「本当に阿呆ですね貴方は。少し考えれば分かるでしょう」
「えー全然分かんない。何なの?」
「新しい話相手に決まっているでしょう。アニキは私達がいないと誰とも話しませんから。」
「確かになー。アニキってなんかちょっと可哀想な時あるもんな」
「お前らいい加減にしろよ」
胸ぐらを掴んでいた手が離され、どさりと地面に下ろされる。ズキズキと鈍く腹が痛んだ。
「アニキ。寂しい時はアタシ達がいつでも相手になるッスよ」
「殺す」
コイツやっぱり農場だと浮いてるのか…それにしても用心棒がこんなアホばかりで大丈夫なのか?
今までに襲撃が無かった事が奇跡のように思えてきたな。
「...新入りは旦那に連れ去られたよ」
女の胸ぐらを掴むハイエナの背中に声をかける。早くこの話を終わらせたい。
「…何だと?」
「ついさっきの話だ。どこに連れて行かれたかは俺も知らないし、いつ戻って来るかも分からない」
「...さっさとそれを言いやがれ」
ヴェスペルが踵を返す。
「あれ?どこ行くんスか?」
「アイツがいないなら用はない。帰るぞ」
「えー、せっかく巡回の仕事抜け出して来たのになー」
「肉食ってるだけだったでしょう」
三人が遠ざかってく。もう二度と来ないで欲しい。
ため息をつくと、べろりと顔を何かに舐められる。ジェシーだった。
「何だったんだ...」
急激に眠気が来たので、仰向けに寝転ぶ。そういえば飯も食っていない。――このまま眠ってしまおう。そう思った時だった。
闇が広がる森から、ガサガサ、と何かが動く音がした。まずい、野犬や猪を相手する体力はもうない。ジェシーを連れて小屋に急ごう。
ズキン。
立ち上がろうとしたが、痛みで身体が強張る。
ガサガサ。ガサガサ。
音がこちらに近づいて来る。どうする、何か武器はないか。
咄嗟に落ちていた頼りない枝を拾い上げ、音のする方向へ向ける。
「クソッタレ、来るなら来やがれ!」
ガサ、と音が止まった。
雲が晴れ、月明かりで辺りが照らされる。闇の中から、こちらに踏み出す足が覗き込んだ。
「......ア、アルバ?」
その名で呼ぶ奴は、もうこの世には一人しかいない。
「――タイム」
怯えた顔の狐が、そこに居た。
――
「ななな何するんだ、アルバ!」
身体の痛みが消えたように立ち上がり、気づけば俺は目の前の狐の胸ぐらを掴んでいた。
「よくも俺の前に現れてくれやがったなこの野郎。お望み通りぶちのめしてやるよ」
「やや、やっぱり怒ってる?ウィルのこと――」
「テメエがその名を口にするんじゃねえ!」
持っている枝を振り上げる。
「まままま、待ってくれ!話を聞いてくれ!」
振り下ろす腕が止まる。何でだ。コイツと話すことは何もない。だってコイツはウィルを――
「たた、助けに来たんだ。ほらその、お前もど、奴隷だろ?抜け出したくないか?」
「助けるだと?ふざけるのも大概にしやがれ!そもそも誰のせいで奴隷になったと思ってんだ!」
「おおおお、俺のせいじゃない!上手くいく筈だったのに!おおおお前らが邪魔したんだ!」
――何かが頭の中で切れる音がした。俺の頭には、これを奴の頭にぶち込む以外の選択肢は最早無くなっていた。
「そうか。じゃあ死ね」
振り下ろした。
そのつもりだった。
何かに弾き飛ばされたかのように狐の姿が遠ざかり、枝は俺の手から離れて数メートル先の地面に突き刺さった。
「やめて。同じ獣人同士でしょ」
目の前にはフードを被った誰かが居た。いつから居たのか、暗い森から獣人達がゾロゾロと囲うように出てくる。次から次へと、今日は何なんだ。
「私たちは敵じゃない。私たちの敵は、純人だけ」
声の主が俺を見下ろす。
まさかコイツに突き飛ばされたのか?女の力じゃ無かったぞ。
「初めまして。私たちは――」
暗くて顔は見えないが、黄金色の双眸だけが月明かりで輝いていた。
「獣人解放軍よ」
欠けた首輪のマークが入った赤い旗だけが、風に揺らめいていた。




