バイ・マイ・サイ
ルベルさん達が屋敷に戻りしばらく経つと、森の方角から馬車が駆ける音が聞こえてきました。私は言いつけ通り、庭園の植栽に身を隠します。
通常の来客であればこんなことはしません。あの馬車に乗っている人物が特別だからです。
ファルス卿。別名、白銀卿。
史上最年少で爵位を賜った、王国でも名の知れた人物です。彼の策略によって滅ぼされた国がいくつもあると聞きます。
......獣人の国も、その内のひとつです。
1回だけ、私が小さい頃に彼をこの屋敷で見たことがあります。当時もルベルさんに言われて隠れていましたが、幼い私の好奇心が悪さをしました。
あの時の、私を見る目が今でも忘れられません。
今思えば、ルベルさんにあんなに怒られたのはあれが初めてでした。
馬車の音が近づいてきます。それと同時に、屋敷から馬が発つ音が聞こえました。こんな時に一体誰が?
植栽から顔を覗かせると、一瞬白馬が農場へ走る姿が見えました。
あれは...旦那様の愛馬?
すれ違うようにして、豪華絢爛な馬車と数等の馬が門を潜って来ました。慌てて身を隠します。
馬車が屋敷の前で止まり、側近たちが馬を降りて並びます。獣人の私でも分かるほど皆美形です。
側近の内のひとりが、ギィ――と馬車の扉を開きました。
「相変わらず獣臭いわね、ここは」
ファルス卿です。心臓がドクン、と強く脈打ったのを感じます。それと同時に、屋敷から慌ただしく何人か出てきました。
「お久しぶりでございます、ファルス様。本来であれば旦那様とお出迎えさせて頂くところですが、お恥ずかしながら先程から見当たらず...」
「久しぶりねセリス。アイツなら今すれ違ったわよ」
「...は?」
セリスさんの血管がプチ、と静かに切れる音がしました。
「忘れ物がどうとか言って」
やはり先程の馬は旦那様でしたか。こんな時に一体何処へ?
「無礼を働き大変申し訳ございません。何とお詫びしたら...」
「いいわよ。あのバカがバカなのは昔からでしょ。バカに振り回されて可哀想に。あなた男だったらウチで飼ってあげたのにね」
「すぐに連れ帰って参ります。中でお待ち頂けますか」
「構わないわ。こんな獣臭い農場さっさと出ていきたいの」
「感謝いたします。ルベル、少し頼む」
「――ファルス様、ご無沙汰しております。」
「あらルベル。相変わらず似合わないメイド服ね。鎧姿の方がずっと美しかったわ」
「...もう昔の話です。どうぞこちらへ」
セリスさんが馬を走らせ、ルベルさんとファルス卿が屋敷に入ります。二人は面識があるのでしょうか?鎧ってなんのことでしょう。
ルベルさんは顔に大きな傷跡がありますが、過去を一切教えてくれません。
さて、恐らく2人は応接間でしょう。あそこは庭園とは真反対の位置です。流石に会話は聞こえません。怒られるのも嫌なので、大人しくこのまま隠れておくとしますか。
「ノクシー」
「ニャーーーームゴッ」
「静かに。見つかると面倒なのはお前も同じだろ?」
旦那様が私の口を塞ぐ。数十メートル先の物音は聞こえるのに、何故この距離の人間の気配に私はいつも気づけないのでしょうか...
それにしても、久しぶりにこの方に名前を呼ばれた気がします。
「ゴホッ...旦那様...どうしてここに...」
「私の家に私がいるのがそんなに可笑しいか?」
「いえ...でも先程外出されたばかりでは...」
「そうだ、コイツを取りにな」
旦那様の背後から見慣れない純人が出て来ました。
私とおなじ、黒い髪。格好から見るに、旦那様が最近買った奴隷というのはこの人のことでしょう。何故この人を連れて来たんでしょう?
「ウッ...くっさ...」
汗と土と...涎?が入り交じったひどい匂いが鼻を突き刺します。
「そう、臭いんだ。風呂に入らせろ」
「え?この人を?」
「そうだ。頼んだぞ」
「お、お待ちください!」
それじゃ、と去りゆく主人を引き留める。ただでさえ今屋敷内は私にとって危険地帯なのに、冗談じゃありません。
「その...ここで隠れていろとルベルさんに言われております」
「ここの主は私だ。それに、あのオカマに見つからなければいいだけだろ?」
ドクン、とまた心臓が高鳴ります。私を見る"あの目"が脳裏に浮かんで離れません。
「セ、セリスさんや他のメイドに頼めば...」
「アイツへの説明が面倒だからこうしてコソコソやっているんだ。メイド達も今それどころじゃないだろう」
「で、でも...」
見つかったら、殺されるかもしれない。しかし、奴隷の私には選択肢はありませんでした。
「...分かりました」
「良い子だ」
長い髪が生えた頭をクシャクシャと撫でられる。いつ以来でしょうか、こうして触れてもらったのは。
「中で私が注意を引く。その隙に頼んだぞ」
そう言い残し、屋敷の主人があるべき場所へと歩き出しました。それと同時にセリスさんが帰ってきます。ガミガミと説教されながら屋敷に入る瞬間、旦那様が一瞬こちらへ目配せしました。
後ろを振り向くと、残された純人がこちらに旋毛を見せつけていました。




