オーダーメイド
屋敷の一日はニワトリが鳴くよりも早く始まります。起きたらよろい戸を開け、花瓶の水を替え、屋敷中を隅から隅まで磨き上げる。
廊下を磨いている途中、厨房の前を通ります。トマトスープのまろやかな香り。猫舌ですが、思わず味見でもしたくなっちゃいますね。
もちろん、厨房には入れません。せっかくの料理に私の黒い毛が入ってしまってはいけないので。
書斎の大きな扉も磨きます。この扉の向こうには、『外』の物語が沢山詰まっているのでしょう。そう思うだけで、尻尾が揺れちゃいます。
もちろん、書斎にも入れません。獣人に文字を覚えさせる必要はないので。
次は窓掃除。二階の一番端の窓がお気に入りです。森の向こうに街と大きなお城が見えるから。あそこにはどんな人達が、どんな暮らしをしているんでしょうか。気になります。
もちろん、屋敷の外には出られません。所詮はただの奴隷なので。
「ノクシー!」
「にゃいっ」
「いつまでその窓拭いてるんだい!もう朝食の準備終わるよ!」
婦長のルベルさんです。相変わらず声も背丈も大きい…
「今行きます!」
窓から目を離し、尻尾をぴんと伸ばして駆け出しました。
――
食堂に入ると、朝食の準備を終えた使用人達が静かに並び、扉の前で主人を待っています。
「おはよう、ノクシー」
純人のメイドが小さく手を振っています。急いでその隣に並びました。
「おはようございます、フィーリア」
「またお城見てたでしょ?」
「……ちょっと汚れが頑固だっただけです」
「尻尾ピクピクしてるよ」
「うっ」
思わず尻尾を押さえます。……また動いていましたか。
「シッ」
ルベルさんの一声で全員の背筋が伸び、屋敷中が静まり返ります。
――ギィ、と扉が開く音が響く。
「おはようございます、旦那様」
使用人達が一斉に目を閉じ、手を胸に当てます。
「おはよう。今日は暑いな」
この屋敷の主人の登場です。側近のセリスさんと共にテーブルへ向かいます。
「またね、ノクシー」
フィーリアが給仕のため忙しなく動き始めました。朝の挨拶が終われば、私の仕事はここまでです。給仕はフィーリア達、人間のメイドの仕事。私は食堂を後にし、ひとり庭園へと足を運びます。
――
「――しかしセリス、もう一ヶ月は経とうとしているぞ。そろそろ街で奴隷をだな…」
「ダメですよ旦那様。奉公人も連れず街に行った罰です。おまけに奴隷まで買って…労働力なら十分足りているでしょう?」
庭園で花壇の手入れをしながら、旦那様とセリスさんのやり取りを窓越しに聞くのが私の日課です。自慢じゃないですが、耳はとても良いんです。
「開墾は過酷で危険な作業だ。現に何人も脱走している。奉公人にやらせる訳にはいかない」
「だからって毎月のように奴隷を買っていたらこの農場が潰れます。新入りの子、珍しく人間の奴隷を買ったかと思えば言葉が通じないんでしょう?また脱走してしまうのでは?」
新しく奴隷を買った話は聞きましたが、純人だったとは知りませんでした。『外』のことも知っているでしょうか?
「そこはピヨ次第だな」
「あのニワトリですか?いつもだらけてる様にしか見えませんが…」
「まあそのうち分かる。説教は終わりか?」
「…ええ、終わりでいいですよ」
もう終わりですか、残念。普段の苦労を考えたらもっと怒っていいと思いますよ、セリスさん。
「ただ、ひとつだけ」
おや、まだあるみたいですね。
「なんだ」
「――先日、ファルス卿が街に現れたという情報が入っています」
「「あのオカマが!?」」
思わず叫んでしまい、慌てて口を抑える。旦那様と声が重なってしまいました。
「わわわっ!何!?オカマ!?」
しまった、誰かに聞かれていたみたいです。
「にゃー!ごめんなさ――ってフィーリアじゃないですか。何してるんですか?」
「いたた…えっと、ルベルさんに給仕はもういいからって言われて洗濯物干してたの。そしたらノクシーが見えたから…」
「から?」
「その…声を掛けようと…」
「声を掛けるにしては近くに来すぎじゃないですか?」
「お、驚かそうとして――」
「フィーリア」
「う……モフモフしようとしてました」
ため息をつく。彼女が私を弄ばんとするのはいつものことです。
「今日は私の勝ちですね」
「くぅ、集中してたからいけると思ったんだけどなあ。ところで何で急に叫んだりしたの?」
「ああそれは……ん?」
ふと、右手に違和感。何かを持っている感覚があります。
「あ」
「どうしたの?…あ」
手を開くと、可憐だったであろう花のいくつかが、根元を絶たれて草臥れていました。体中の血液が冷たくなるのを感じます。こんな所をルベルさんに見られでもしたら――
「2人とも」
花のように赤い髪のメイドが、恐ろしいほど穏やかな笑顔で立っていました。
「来なさい」
その顔が意味することは、私には「死」以外思い当たらないのでした。
――
「うぅ…お腹空いたよぅ…」
「ごめんなさいフィーリア、私のせいで…」
「えっじゃあ後でモフモフしていい?」
「う…分かりましたよ」
花壇を荒らした罰として、私達は昼食抜きと屋敷裏の納屋掃除を言い渡されてしまいました。
「ゴホゴホッ…それにしても埃まみれだね…ここ初めて入ったよ」
「私も初めて入りました…いつからあるんでしょうか…」
私がこの農場に拾われた時、即ち物心ついた時からこの納屋はありますが、ルベルさんからは危険だからと立入りを禁止されていました。
「あっ見て見てノクシー!剣だよ剣!ってデカッ!誰が使えるのこの剣!」
「…怪我しても知りませんよ」
折れた斧、壊れた荷車、割れた鏡、古い陶器、そして剣…確かに、こんな物が散乱している所に子供は入れたくありませんね。
「ノクシー!こっち来て!」
「フィーリア…いい加減にしないとまた怒られますよ」
「いいから来て!宝箱みたいなのあったよ!」
む…さすがに気になりますね。
「ほらほら!宝箱じゃない?」
フィーリアの元へ足を運ぶと、そこにあったのは、金具がいくつも付いた細長い黒い箱でした。
木箱でも鉄箱でもない。革のような、不思議な素材で出来ています。片側だけが細く、反対側が丸く膨らんだ奇妙な形。私はこんな箱を見たことがありません。
埃にまみれてはいましたが、見るからに質の良さが伺えます。しかしそれは話に聞く宝箱の様相ではなく、古ぼけた部屋の中で異様な違和感を放っていました。
「確かに箱みたいですが…持ち手が付いていますし、なんか変じゃないですか…?」
「あ…開けてみちゃう?鍵付いてないみたいじゃない?」
――ゴクリ、と飲み込む音が思わず喉から鳴る。もし見てはいけない物だとしたら、奴隷身分の私はただでは済まないでしょう。況してや今は罰を受けてる最中です。
「――す、少しだけ、なら」
しかし、好奇心が私の脳の判断を蝕みました。
「そうこなくちゃ」
フィーリアが金具に手を伸ばします。
「なんか変な金具だね…こう、かな?」
パチン、パチンとひとつずつ、取手のような部分を上げていく。みっつ上げた瞬間、箱の蓋部分が浮き上がる感触がありました。フィーリアと顔を合わせると、ドクン、ドクンと鼓動が強くなるのを感じます。
「せーの――」
ふたりで声を合わせ、蓋を持ち上げました。




