できっこないをやらなくちゃ
「いいか?これは『木』だ」
「コレ、キ」
「木」
「キ」
「そうだ。じゃあこれは?」
「ハッパ?」
「まあ半分正解だが…『草』だ。これは草」
「コレ、クサ。ワカッタ」
コイツが初めて悪態を口にしてから、オレは公用語を叩き込み始めていた。
「コレ、パン?」
「バカ、そりゃ馬糞だ」
馬小屋の世話中も。
「イチ、ニ、サン、ヨン…」
「全部で何本だ?」
「ニジュウ」
丸太の運搬作業中も。
「ほらよ」
「アリガトウ。バフン、イタダキマス」
「バカ、こっちがパンだ」
そして、休憩時間中も。
日中の伐採はそれぞれひたすらに作業し、それ以外の時間で「勉強」することがオレ達の日課になっていた。
別に馴れ合いたい訳じゃない。言葉が通じりゃ任せられる仕事が増える。それにコイツはオレに言いなりだ。
どこかで利用できる場面があるかもしれない。ただ、それだけだ。
――
さらに半月が経過し、コイツがゲロを吐き散らしてから一ヶ月が経とうとしている。仕事に使う言葉なら何でも教えたが、一つだけ教える気にならないものがあった。
「ピヨサン」
オレの本当の名だ。ムカつくが、便宜上このクソダサい名前で呼ばせている。教えない理由は自分でも分からない。
「…クソッタレ、なんだ?」
「ソレ、クソタレ、ドコ、ツカウ?」
「あぁ?そうだな…ムカついた時だ。相手がいんなら『かかってきやがれ』もセットで使いな」
「ワカッタ。クソタレ、カカテキヤガレ」
「…旦那には言うなよ」
余計な事を教えた気がするが、まあいい。そういえば、オレもコイツの名を知らない。名前どころか、コイツの何もかもを知らない。
「そう言えばお前、どこから来たんだ?」
「ドコ?」
「国だ、国。どこの国出身なんだよ」
「クニ…ニホン。ワカル?」
「ニホン?ニホンか…聞いたことねえな。戦争に負けたのか?」
「ウン。ニホン、センソウ、マケタコト、アル」
「そうか…獣人と一緒だな」
やっぱ戦争奴隷か。公用語を知らねえってことは余程辺境の国なんだろうな。
「ニホン、カエリタイ。ドスレバ、カエル?」
――帰る、か。コイツには帰る場所があるんだな。
だがオレの脳内は「不可能」の三文字で満たされていた。コイツに奴隷制度の現実を伝えても、脱走の口実を作るだけかもしれない。
「……まずはこのクソッタレの大岩を退かすことだな」
目の前には、俺たちの背丈よりデカい大岩が道の真ん中に鎮座していた。
森と農場を繋ぐこの道は、荷車が通れる唯一の道だ。左右は急斜面になっていて、とても迂回できるような場所じゃない。
「キノウ、コレ、アッタ?」
「いや...」
そう、この岩は昨日までそこには無かった。地滑りの痕跡すらない。まるで誰かが、わざわざここへ置いたとしか思えなかった。
ともかくコイツをどうにかしない限り、奥の森の木を伐ったところで一本も運び出せない。試しに二人で押してみたこともあったが、ビクともしなかった。
「ハァ……仕方ない、おい、行くぞ」
「ワカッタ。ドコ?」
「畑だ。農夫共に馬か牛を借りる。どうせ断られるけどな」
――
「ほら、連れて来たぞ」
意外にも農夫から返って来たのは了承の返事だった。
「……これは?」
だが、了承の返事があった、それだけだった。連れて来られたのはヨボヨボの老馬だった。
「ジェシーちゃんだ。今年で十五歳の大ベテランだぞ。知らないのか?馬小屋の世話してるだろ?」
「いや、そうじゃなくて…岩を退かしたいんですが…」
「それは大変だな。頑張れよ」
「……」
「ツレは気に入られてるみたいだぞ?」
後ろを見ると、新入りが直立不動でジェシーに顔をこれでもかと舐められていた。
「ハハハッ珍しいな。おいジェシー!式には呼んでくれよ!」
「……農耕牛はいませんか?」
「今貸せるのはソイツだけだ。嫌なら帰んな」
クソッタレ、空いてる牛馬なんざテメーの後ろにいくらでもいるじゃねえか。と、喉まで出かけたがぐっと堪える。
「……分かりました、ありがとうございます」
後ろで老馬を愛で始めてるバカの頭を叩き、畑を後にした。
――
ヨダレまみれの純人とジェシーを連れて歩く。この老馬があの大岩をどうにか出来ると思うほどオレは馬鹿じゃない。だが、どうする。何か別の方法を考えるしか…
「おや?ピヨ殿ではないですか」
物思いに耽る頭に飛び込んできたのは聞き慣れない声だった。見上げると巨大な肉の塊がふたつあった。ひとつは黒曜石のように黒く、もうひとつは胡桃のような淡い茶色に染められていた。
「珍しいですな、畑に何かご用で?そういえば最近ずっと森にいましたな。おや、後ろの純人さんは新入りですかな?なんだか臭いしなんかヌルヌルしてる気が…あいやっ!ジェシーちゃん!今日もキュートで愛らしいですぞ!おん?なにゆえジェシーちゃんを連れ出しておられるので?農夫共には言いましたかな?言わないとダメですぞ!小生もこの間ハチャメチャに怒られたもので。あやつらはなんともケチな輩ばかりですな。ところでご存知で?こないだ小生が」
「ヌー」
「あぁ!すまぬマグ兄!また口が過ぎましたな。えーと…なにか用ですかなピヨ殿?」
「…まだオレは何も言ってねえよ」
マーグ・ヌース兄弟。農耕牛の奴隷兄弟だ。兄は無口でデカいが、弟は兄ほどデカくない代わりに聞いてもねえことまでキモい口調でベラベラ喋る。
待てよ、コイツらならあの大岩を動かせるんじゃないか?
「なあ、ひとつ頼みがあるんだが…」
「なぬっ!ピヨ殿の頼み!?明日は雪が降るでござるな!なんでしょうなんムゴッ!」
「ヌー、行くぞ」
マーグのデカい腕が弟の口を鷲掴み、そのままオレ達の横を通り過ぎようとしていた。
「な…聞いてもくれねえってのかよ」
そーだそーだ、と引き摺られているヌースがモゴモゴと暴れている。
「…最初に馴れ合いはしないとか言ってオレらをシカトしてたのはお前だったろ」
そーだそーだ、とヌースが逆にオレを指差してきた。この裏切り者が。だが、返す言葉もない。
「それに旦那には許可取ってるのか?」
「……」
「論外だな」
「…許可取りゃ聞いてくれんのか?」
「…もう行くぞ。奴隷が集まってると脱走の計画立ててると思われかねない」
ふたつの塊が、遠ざかっていった。
――
「ピヨサン」
夕暮れの帰り道。収穫はないと言って過言じゃない。焦りと苛つきが足取りに出ているのが嫌でも分かる。
「ピヨサン」
新入りが何度も後ろから声を掛けてくる。その声は神経を逆撫でするには十分過ぎた。
「うるせえ。話しかけんな。そもそもお前突っ立ってるだけじゃねえか」
胸の奥底の辺りがグツグツと沸き立つ。やめろ。コイツは悪くない。
「結局岩は動かせねえ。借りた馬もヨボヨボ。終いには誰一人として手伝ってくれねえ」
ヤツは黙ったまま、ただ聞いている。
「何か言ってみろよ。バカみてえに覚えた言葉一つでも使ってみやがれ」
やめろ。全部オレが悪いのは分かってるだろ。
「この…」
言うな。自分が一番「それ」だってことも分かってるだろ。
「…役立たず」
怒りはいつの間にか悲しみに変わっていた。なんて情けないんだ、オレは。上から目線で先生ごっこしておいてこのザマだ。
失望しただろうか。こんなオレを見て。
恐る恐る顔を上げると、ヤツは怒りでも、悲しみでもない、真っ直ぐな目でオレを見つめていた。
「ダイジョウブ」
「……は?」
「ウゴカス、ゼッタイデキル」
「……諦めてないのか?」
「ウン。ゼッタイデキル」
その目を俺は、見たことがあった。何があろうと、絶対に諦めない目。バカみてえな理想を、本気で信じている目だ。
「お前...」
ヤツの口角が、ほんの少し上がった。
笑った顔を、初めて見た気がする。
――その時だった。
「ピヨ!」
馬の蹄音と共に重い錨のような声が響いた。
声の主は旦那だ。クソッタレ、こんな時に何だってんだ。
「なんでしょう、旦那様」
「コイツを少し借りる。それじゃ」
旦那が新入りを馬に乗せ、嵐のように去っていった。その後ろからまた馬が来る。
「旦那様!勝手に一人で行動しないでと何度言ったら…ああもう!」
その様子を、オレは突っ立ってただ見ることしか出来なかった。
――
ボヤけた頭で、ジェシーを連れて森に戻った。一体何が起きたか分からないまま、ジェシーを木の枝に繋ぎ止める。
「よお、遅かったじゃねェか」
ハイエナが、群れを引き連れていた。




