この世がヤミだと言わないでおくれ
「……」
巨岩を担いだ黒い巨体と、森の獣道を並んで歩いていた。
マーグは俺たちがやっとの思いで動かした岩を軽々と持ち上げ、突然森の奥地へ運ぶと言い出したのだ。
願ってもない提案だ。もちろん快諾した。それは良かったんだが……
「……」
夕暮れの森に、巨体の足音だけが響き渡る。
気まずい。
非常に気まずい。
なんでコイツ黙ったままなんだ。俺が昔シカトしたことまだキレてんのか?
これ俺から話しかけた方がいいのか?
ちらりと振り返ると、新入りが黙々と一歩後ろを付いてきている。視線で助けを求めたが、返ってきたのは気持ち悪い笑顔だった。
お前が何とかしろ、と顔に書いてやがる。
クソッタレ、馴れ合いは得意じゃないんだ。
「――な、なあ」
空気に耐え切れず言葉が漏れ出る。防衛本能のようなもので、後先は何も考えられていなかった。
「なんだ」
「あー…重くねえのか?それ」
「問題無い」
「……そうか」
再び足音だけが響く。
ちくしょう、状況が良くなったのか悪くなったのか全く分からん。
なんだ「問題無い」って。少しは会話する努力を見せやがれ。
それとも質問が悪かったのか?まあどう見ても重そうには見えねえもんな。汗ひとつ垂れてねえ、化け物かコイツは。
「――すまなかったな」
ゴチャゴチャ考えていた俺の頭に飛び込んだのは、マーグの鈍い声だった。
ヤツを見ると少し俯いている。
「…何がだ」
「この岩を置いたのは、俺だ」
「あのクソハイエナの差し金だろ。気にしちゃいねえよ」
本心だ。コイツの無駄に威圧感ある図体と無口すぎる性格は気に入らないが、今回の件を責めるつもりは毛頭無かった。
マーグは一瞬、面食らったような顔をした。どうやら意外な返答だったらしいが、すぐにいつもの仏頂面に戻った。
「いや、俺の弱さが原因だ。ヌースを脅しに使われて、正常な判断が出来なかった」
弟か。俺に兄弟はいない。共感は出来ないが、理解は出来る。
「――お前らは、強いな」
今度は俺が面食らった顔をした。
「俺はアイツに、立ち向かえなかった」
アイツとは、ヴェスペルのことだろう。
「見てたのか?」
「バツが悪そうに森から帰ってくるヴェスペルを見ただけだが、何があったかは分かった」
マーグと初めて目が合った。無愛想だが、少しだけ口角が上がっている。気がする。
「それに、あんな声が聞こえたしな」
しまった。俺の鳴き声のことか。
「嘘だろ、畑まで聞こえてんのか」
「農場にあの声量が出るニワトリがいたとはな」
「クソ、ふざけやがって。忘れてくれ」
自分の顔が赤いのが、鏡を見なくても分かる。
「…何か雰囲気変わったな。お前」
「ああ?何のことだよ」
「馴れ合いはしないんじゃ無かったか?」
気づけば、さっきまでの沈黙が嘘のように、穏やかな空気が流れている。
「お前こそ、無愛想で無口な野郎だと思ってたが、こんなお喋りだとは思わなかったよ」
「その調子で弟とも仲良くしてくれ。ところで、そいつは舌でも切られてるのか?」
新入りに目を向けると、静かに微笑んでいた顔をキリっと直して頭を下げた。
「ゴブサタ」
どこで覚えたんだそれ。
「なんだって?」
「……まだ練習中なんだ」
――
「ここで良いか?」
森の奥地にある湖畔に俺たちは辿り着いた。
湖の中心には巨大樹が根付いている。
「ああ。ここまで来たら伐採の邪魔にならねえだろ」
マーグが頷き、その場に岩を下ろした。
ズシン、と地面が揺れ、森の鳥たちが一斉に羽ばたく。
「今更だが、お前仕事抜け出して来てるだろ。こんな事してて大丈夫か?」
「問題無い。ヌースが誤魔化してくれている」
ヌースの顔が浮かぶ。あのバカが誤魔化しが得意とは思えない。
「…多分」
兄と同意見のようだ。
ため息混じりで空を見上げると、いつの間にか分厚い雲が空を覆っている。これは一雨降りそうだ。
「急いで戻るぞ。どちらにしろ、日が落ちれば脱走を疑われる」
牛の肩を叩いて踵を返した、その時だった。
「――動かないで」
獣人の集団に、いつの間にか囲まれていた。
――
「なんだコイツら…!?」
マーグが身構える。
しまった。今、森の奥にはコイツらが居るんだった。
「そっちから来てくれるとはね」
フードの女が、集団の影から現れる。
「協力してくれる気になった、ということかしら」
――獣人解放軍。つい昨日の事だってのに、完全に忘れていた。
「おい、知り合いか?」
懐に忍ばせた折れた旗を服の上から触れる。マーグの問いに俺は口を噤むことしか出来なかった。
「そちらの大きいのはお友達?初めまして、私たちは獣人解放軍。あなた達奴隷を純人から解放するために来たの」
フードの女の後ろに隠れるように、あの狐が怯えた様子でこちらを睨んでいるのが見えた。
「…獣人解放軍、だと?」
まずい、話が拗れそうな予感がする。
「俺たちはあの岩を置きに来ただけだ。邪魔したな、すぐ帰るよ」
とっとと帰ろう。マーグと新入りを連れて…ん?
「あらそうなの。でも無理」
新入りはどこだ?
「彼を帰す訳にはいかない」
女の影から狐が出てくる。
その腕には、ナイフを首に当てられた新入りが抱かれていた。
「待て!ソイツは関係無い!」
クソッタレ、そりゃこうなるよな。なんでコイツを連れて来ちまったんだ俺は。
「なぜ庇うの?」
ゆらりと、女が目の前まで近づく。蛇に睨まれたカエルのように、俺は動けなくなっていた。
「コイツは純人よ。憎くないの?」
双眸は一見金色に輝いているようで、瞳の奥は底の無い暗闇が続いている。
その深淵に飲み込まれるような感覚が全身を襲った。
「――ルーナ!」
張り詰めた糸を切ったのは、囲んでいる獣人の内の一人だった。
大柄な狼の男だ。腕と頭に包帯が巻かれている。
「落ち着け。その純人は殺すべきじゃない」
フードの女が顔を逸らし、俺の全身から力が抜ける。倒れ込みそうだ。
フラつく体が、何かデカいもので支えられた。マーグの手だ。
「邪魔しないでジェイク。どの純人も殺すべきでしょ」
「今ここがバレたら対処出来ない。それに俺たちの目的は獣人の解放であって、純人の殺戮じゃないはずだ」
「だからこそ生かす訳にはいかない。もうバレたみたいなものよ」
「あれはどう見ても奴隷だ。殺す必要はない」
二人がなにやら言い合っている。これは、チャンスじゃないか?
どうにかしてタイムの野郎から新入りを剥がせば、後はマーグの力押しで切り抜けられないだろうか。
当の新入りは…タイムと何か話している?なぜかクソ狐の方がひどく震えてるぞ。
全員、俺とマーグから注意を逸らしている。今しかない
「おい、今のうちにここから逃げるぞ」
小声で後ろのデカブツに話しかける。
しかし反応が無い。
「おい、聞いてんのか」
見上げると、そこには神妙な顔で何か思い詰める牛の顔があった。
コイツ、まさか――。
「――もういい、時間の無駄」
ジャキン、という音と共に、いつの間にか女の手には短剣が握られていた。
嘘だろ、本当に殺す気か。
「おい…何する気だ、ルーナ」
「ニワトリくん、あなたこの純人に洗脳されてるんでしょう」
狼を無視して話しかけられる。反応する余裕は無い。
短剣をくるくると振りながら、女が新入りの方へ歩みを進める。
嘘だろ、本当に殺す気かコイツ。
「今その洗脳を解いてあげる」
クソ、どうする。どうする。何かないか、何か――。
ふと、この女との最後の会話を思い出す。そうだ、確かあの時、コイツは――。
「…黒猫」
そう口にした瞬間、女が歩みを止めた。
「ノクシーという黒猫の女を、知ってる」
ヤツは俺に背を向けたまま微動だにしない。木々と水面が風で揺れる音だけが辺りを包む。
「どこにいるの」
女の声は震えていた。
「…農場の、屋敷だ」
言い終わると同時に、女は視界から消えていた。
雨が、降り始めている。




