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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす
第一章

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第十二話「崩れた威光」③

 その晩、夜のミサを終えて数時間後の夜半。ウルフの粗末な天幕テントが残された結界の前には、日曜ミサ用の最も豪華な祭礼服を纏ったアーサーと、上等な礼服の上から教会より渡された儀礼用の白い豪華なローブを肩に掛けたトーマスが並んで立っていた。

 周囲には、儀式の知らせを聞きつけて集まった村人たちが幾重にも取り巻き、二人の様子を固唾を呑んで見守っている。夜気の中、無数の松明だけが赤々と揺れていた。

 アーサーは静かに息を整えると、周囲の村人たちをゆっくりと見渡した。集まった人々の顔には、不安と期待と好奇の色が入り混じっている。やがて松明の明かりに白いローブを輝かせ、ひときわ目立つトーマス代官へ視線を向け、短く敬意を示すように頷いた。


「集いし兄弟姉妹、そしてトーマス代官殿。この夜半、恐れと不安の中、ここに集まってくださった皆様に、主の平和がありますように。

 我らが代官殿は、疫病の蔓延を防ぐため、公衆の安全を第一に考える賢明な措置として、この隔離の縄を張られました。この縄は、病が広がるのを防ぐ物理的な境界として、その役目を果たしました。これには感謝せねばなりません」


 厳かな声が夜の広場へ響き渡る。

 その言葉に、トーマスが一瞬満足げに頷くのを、アーサーは見逃さなかった。

 だが、そ知らぬふりで説法を続ける。


「しかし、皆さんの顔を見てください。そして、ご自身の胸の内へ耳を澄ませてください。縄が張られてもなお、病への恐怖と、隣人への疑念は消えてはいません。


 これは、病とは別の、魂の病です。人が張った縄は、肉体の病の広がりを止められても、魂に巣食った呪い――すなわち、神への信頼を失った我らの『疑念』を断ち切ることはできないのです。


 神は、私たちに『見知らぬ者を恐れるな』と命じておられます。この縄が今や、我らの心を縛る『不信と恐怖の鎖』となってしまっている。これこそ、真に清められるべき穢れなのです」


 松明の火が揺れるたび、集まった村人たちの顔にも明暗が走った。誰も口を開かず、ただアーサーの声に耳を傾けている。


「故に、本日、私はこの場に立っています。人が張った縄の効力を、神の絶対的な慈悲と力をもって完成させるために。


 この儀式は、縄を破るものではありません。代官殿の賢明な隔離の措置の上に、神の永遠の権威を重ね、この結界を『恐怖の象徴』から『神の慈悲による解放の記念碑』へと変えるものです。


 今、すべての私語を止め、心を開き、主の光を迎え入れましょう。

 この縄に付与された、すべての人の恐怖と疑念を、主の御名において、打ち砕かん」


 アーサーはそこで声を落とし、厳かに聖書を開いた。傍らに立つピーターが捧げ持つ銀盆から聖水の器を受け取る。夜気の中、その水面が松明の火を受けてかすかに揺れた。


「静粛に」


 ざわめきが潮のように引き、辺りには風の音だけが残る。


"In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen."

「父と、子と、聖霊の名において。アーメン」


"Non timete, fratres. Deus est lux nostra; nulla maledictio est fortior caritate Dei."

「恐れるな、兄弟たちよ。神は我らの光である。いかなる呪いも、神の慈愛に勝るものはない」


 アーサーは聖水をすくい、結界の杭と縄へ静かに振りかける。雫は白く散り、縄を濡らして闇へ吸い込まれていった。


"Hic aqua benedicta locum istum purificat."

「この祝福された水が、この場所を清める」


"Abite nunc, spiritus terroris et suspiciones humanae! Non est locus vobis hic."

「今、去れ、恐怖の霊と人々の疑念よ! ここに、お前の居場所はない」


 さらに一歩進み出ると、アーサーは夜空へ向けるように右手を掲げ、朗々と宣言した。


"Locum istum liberum esse pronuntio. Quod Deus purificavit, nullus homo contaminabit."

「我、この場所が自由であることを宣言する。神が清めたものを、誰も汚すことはできない」


 浄化の宣言を終えると、口上の荘厳さをいっそう高めるように、聖書を開いたまま詩編第五十一篇より罪の赦しと清めの言葉を唱える。


"Asperges me, Domine, hyssopo, et mundabor: lavabis me, et super nivem dealbabor."

「主よ、ヒソプをもって私を清めてください、そうすれば私は清められます。私を洗ってください、そうすれば私は雪よりも白くなります」


 堂々として、なお朗々たるその口上に、その場にいたトーマスを含む誰もが聞き惚れていた。松明を持つ手も、息を呑む喉も、しばし動くことを忘れている。アーサーが最後の一節を閉じるまで、誰一人として口を挟めなかった。


「以上です」


 その一言が夜気に落ちた次の瞬間、深夜であることも忘れた村人たちから、喝采と拍手が一斉に湧き起こった。


 トーマスもまた、「素晴らしい式だった」と、素直な賛辞をアーサーへ贈った。

 それもそのはずである。アーサーが幼い頃より、トーマスは個人的に自分のため聖書の朗読をさせてきた。この見事な出来栄えも、自らの指導の賜物であり、自分の手柄に他ならぬと思っていたのだ。


「トーマス様。この後、司祭館へお立ち寄りください。ささやかですが、今回の儀式のお礼を用意しております」


 恭しく頭を下げるアーサーに、トーマスは満足げに顎を上げた。


「そうか、分かった」


 上機嫌のトーマスは、その誘いに何一つ疑うことなく頷いた。


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