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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす
第一章

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第十一話「清めの夜」②

──トーマスの弱み、不正帳簿を代官邸から盗む。

 飄々と、とんでもないことを画策するウルフに、アーサーは酷く混乱した。神の子として育てられ、少なくとも聖職者の道に入ってから、誰かの物を盗むなど考えたこともなかったからだ。

「何言ってんだ。先に主を裏切ったのはデブ代官だろ。このままだったら俺たちが負けるだけだぞ」

 これから自分達が行おうとしていることの善悪の線引きが出来ずに狼狽えるアーサーに、ウルフは諭すように言った。

「それは嫌ですけども!」

「少なくとも、アリスはやる気だぞ」

「え、アリスが……? いつの間にそんな話を……危ないよ。アリスにさせるくらいなら、僕がやるよ!」

 アリスに罪を犯させまいと思ってか、思わず身を乗り出したアーサーを、ウルフは呆れ顔で見返した。

「今のお前に出来るのか? 奴を信じ、盗む盗まないで動揺してるお子様が……。アリスの方がよっぽど覚悟決まってたぞ。これはミルナー夫妻とも話し合って了承を取ってあることだ」

「え、ミルナーさんたちとも? いつの間に……」

 ウルフの行動の速さにまたしてもアーサーは面食らってしまう。

「水質調査の時だ。折角、川の管理をしている粉挽きの家の娘が居るんだ。先に話を通しておくくらいの機転を利かせておかないと後が怖いだろ。何せ俺は『呪いの原因』だからな……常識レベルの話だ」

「じょうしき……そうか。そうだよね……そこまで頭回らなかった」

 アーサーは改めて、自分の世間知らずを突き付けられたようで肩を落とした。

 きっと自分がウルフの立場なら、疑いを晴らそうと闇雲に川を荒らして捕らえられていたかもしれないと思った。

「で、デブに森を追い出された時に村を出た振りして、すぐミルナーの家に行って次の手を相談してきた。そしたらアリスが自分でやるって言いだしたんだ」

「アリスが? えっとその、帳簿を盗むってのを?」

「そうだ。しかもマズイことに、俺が行くより先にミルナーの家にトーマスの使いが来ていて、ウィンドル川を汚染していないことを誓う、公衆衛生と水質保証に関する誓約を交わせと迫られていた。これをやらなきゃ彼等にも後がないんだ」

「何てことを! ミルナーさんが川を汚すわけがないだろ!」

 トーマスの暴挙に対し、怒りで声を荒げるアーサーへ、ウルフは鼻を鳴らした。

「そんなの分かっている。俺がされたように、公に自由に監視出来るようにするための詐欺みたいな誓約書だよ。俺はそれに、いったんサインするようアドバイスした」

「どうして。ミルナーさんやアリスの自由を奪う契約なのに」

「そんなの、後で全部破棄させるからに決まってるからだ。そのための帳簿の確保だ。しかし、あのデブ代官も馬鹿じゃない。普通に行けば当然警備に捕まる可能性が高い。だから陽動を使う」

「陽動?」

 これから何をするのかいまいちピンとこず、ポカンとしているアーサーにウルフがピッと指を差して言った。

「お前だ。切り札はお前だぜ、アーサー司祭殿。明日になったら、あのデブに謝りに行け」

「ウルフ、やっと僕の名前を呼んでくれた……!」

 名前を呼ばれた感動で話をまるで聞いていないアーサーの頭を、ウルフは拳骨で殴った。


 数刻前、ミルナー家にて。

 トーマスに追い立てられ、結界で閉ざされた野営地を後にしたウルフは、その足でミルナー家へと向かった。

 ウルフの読みが正しければ、今ごろトーマスの使いが彼らの家を訪れているはずだったからだ。

 ミルナーの屋敷の近くでウルフは身を隠しながら様子を窺っていると、やがて見慣れぬ男が玄関から出てきた。しばらく屋敷に居たのだろう、彼が浮かべる意地の悪い笑みは、何か愉快な知らせでも届け終えたようだった。

 その姿が見えなくなるのを待って、ウルフは入れ違いに扉を叩いた。

 その呼び出しに対し、応対に現れたのはアリスでもエディスでもなく、家長のサイモンだった。

 ウルフの姿を見るなり一瞬驚いた顔をしたが、すぐに周囲を見回して彼を中へ招き入れる。

「何かあったのですか?」

 サイモンは思ってもみない人物の登場にすかさず用事を問うが、ウルフが口を開く前に、結局彼は苦い顔で先んじて自分たちの身に起きたことを語り始めた。

「俺は──……」

「あ、すみません先に良いですか。先程、奴──代官殿の使いからの伝言がありました。『呪いの原因は排除した』と。そして口では私たちを疑っているわけではないと言いつつ、領民たちの当面の安心のために、川を汚染しないことへ常に協力すると誓う『公衆衛生と水質保証に関する誓約』を交わせと迫られました」

 そう語るサイモンは拳を握り締め、その手は悔しげに震えていた。

「実質上の服従命令です……こんなものに署名したら、バートンの気分ひとつで棚の裏どころか財布の底まで覗かれる──そんなことになれば、私たちはもう、まともに生活できません」

 長年、粉挽きは村人の食い扶持の一端を担う事で代官及び行政と対等に近い立場を保っていた。だが、この書類一枚でそれも崩される。粉挽きが村政で持っていた発言力を失う。それは、代官トーマス・バートンの独裁を許すも同然だった。

「酷いな……。そもそも川が汚染されてるなんて話は、まだどこにも広がってないはずだ。そんなもん持ち込んできたこの時点で、ほぼ自白したみたいなもんだろ」

 悔しさに俯くサイモンの傍らで、妻と娘のアリスも身を寄せ合い、不安げに顔を曇らせていた。

「折角ウルフさんが水質調査までして証拠を集めてくれて、私たちも今回の事態に対する法的資料を揃えていたというのに……。貴方が追い出されて、みんながバラバラになったら、もう何も出来ないわ」

「そのことなんだが」

 顔を覆って嘆くアリスに対し、ウルフは腕を組み、低い声で言った。

「俺はまだ終わる気はない。あのデブ代官を追い詰める決定打になりそうな証拠も持ってきた。ここで一旦預かってて欲しいんだが」

「決定的な証拠? 水質調査のですか?」

 アリスとミルナー夫妻が顔を見合わせる中、ウルフは言葉を続ける。

「水質調査の時に、川を汚した実行犯は確保してある。ちょっと詰めたらデブ代官との繋がりも吐いた。今は、逃げないよう森に縛ってある」

 平然と言い放つウルフに、ミルナー夫妻は息を呑んだ。

「だが、俺とアーサーは分断された。表立って動きにくくなった以上、もう一つくらい交渉材料が欲しい」

「例えば、何でしょう」

 エディスがおずおずと訊ねる。

「分かりやすいところなら、不正帳簿だな。出来れば原本と照らし合わせられる類のものがいい」

「代官邸へ行けば、いくらでもあるでしょう……奴は出したりしないでしょうが」

 サイモンは吐き捨てるように言い、続ける。

「あいつはペンストレイト様に見栄を張るのに必死な男です。そのためなら、どんなあくどいことでもやる。トーマス・バートンという代官はそういう男だ。村民の憎しみをすべて我が家へ向けさせておいて、実際の小麦納税帳簿に何を書いているか分かったものではありません」

 積もり積もった恨みを吐き出すように、サイモンは握られた拳を振った。

「じゃあ、それがあればいいな。何とか持ち出せりゃ話は早い」

「ですが、うちの帳簿は複雑です。量も多い。持ち出せても原本との照合に時間がかかりますよ」

「ぬう……流石にそんな時間はないな」

 明日には、サイモンはミルナーの長として理不尽な誓約書へ署名させられる。

 のんびり改竄帳簿の照合などしている余裕はない。

「他に、もっと分かりやすくて手軽に比較できるものはないのか」

 部屋に重い沈黙が落ちた。

 その時、考え込んでいたアリスがふいに顔を上げる。

「だったら、アーサーが良いのを持ってるわ」

「ふぅん? どんなものをだ」

「蜂蜜よ」

 張り詰めていた空気を破るように、アリスがはっきりと言い切った。俯いていた三人の視線が一斉に彼女へ集まる。

 その言葉に、ウルフは怪訝そうに片眉を上げた。

「アーサーは教会で養蜂事業の監理者をしているの。バートンはアーサーを見くびってるから、規模が大きくて不正の痕跡も探しにくいウチの帳簿を見るより、アーサーの養蜂帳簿を漁った方が早いはずよ。趣味程度だって馬鹿にしてるくせに、蜂蜜の生産量だけは妙に気にしていたもの」

 言葉を重ねるごとに、アリスの瞳には確信が宿っていく。

「……なるほどな」

 ウルフは感心したように鼻を鳴らし、口元を僅かに歪めた。


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