第十一話「清めの夜」①
自室の窓の外にウルフの姿を見付けたアーサーは、慌てて窓を開けると、そのまま彼を室内へ引き入れ、勢いよく抱き着いて泣きじゃくった。
「ウルフ……ウルフ、ウルフ~~~~!! うわあああああああん」
「む……」
ウルフは泣いて縋りつくアーサーをうざったそうに見下ろしたが、いつものように無理やり引き剥がそうとはしなかった。
しばらく好きにさせていたものの、胸元へ押し付けられていた泣き声がようやく小さくなると、呆れたように溜息を吐く。
「はあ……もう良いか? 泣いてたところで話が進まないんだが」
「ん……ゴメン。ウルフが本当に出て行ったと思っちゃったから、嬉しくて……」
まだ鼻をすすりながらも、ようやく体を離したアーサーに、ウルフは呆れ顔のまま訊ねた。
「……お前、本当いくつだ。チビだが、とっくに成人してる図体だろ?」
「に、二十一……」
実年齢を聞いたウルフは、呆れを通り越して頭痛を覚えたように、空いている手で額を押さえた。世間知らずで、小さな子供のような振る舞いばかり繰り返すこの男が、曲がりなりにも人を導く司祭の立場だというのだから、何かの冗談としか思えなかった。
「最悪だ……俺がとっくに戦士を率いてた年齢の奴に抱き着かれてたのかよ。もうマジで二度と抱き着いてくんなよ」
そう言ってウルフは、まだ服の裾を掴んでいたアーサーを腕で押しやり、ようやく引き剥がした。
「わわ……」
尻もちをついて床へ転がったアーサーを見下ろしながら、ウルフは言葉を続ける。
「それに、俺はまだ帰って来たなんて言ってない。最後の挨拶に来ただけかもしれないだろ」
「し、知れないってことは仮定だから、戻って来てるんじゃないか……本当、良かった~。あのままウルフが汚名を被ったままいなくなるなんて嫌だったんだ」
アーサーが嫌味など意にも介さず、ただ真っ直ぐな本音を口にすると、ウルフは毒気を抜かれたように目を逸らし、小さく本音を漏らした。
「……まあ、俺もあのデブの好きにされたまま出てくのは癪だ」
「うん。僕も嫌だ」
そう言ってアーサーは涙の跡を袖で拭い、ようやく笑った。
「で、そっちの状況はどうなってるんだ?」
泣いていたアーサーが落ち着きを取り戻したところで、ウルフはその場で胡坐をかいて話し合いの姿勢をとった。
「あ、そうだった。実は、ルーシーがトーマスさんに連れて行かれてしまって……。名目は毒草騒ぎの件の名誉回復のための聴取らしいけど、絶対それだけじゃ終わらないと思う」
連れて行かれたルーシーのことを思い出した途端、アーサーの顔から先ほどの安堵が消える。胸元で祈るように指先を握り締める手にも、不安が滲んでいた。
「マジかよ。その上で俺を大々的に追い出したのか、あのデブ代官は……。最初は散々俺のことを怖がって放置していたくせに、やり返されないって解ったらこれとかダサすぎるだろ……ぶっ殺してぇ~」
「流石に殺すのはダメだよ。で、ルーシーは今は居ないけど、患者のデータは別の場所に保管してあって回収してあるんだ。あっウルフのやってた調査の方は?」
気持ちを切り替えるように、アーサーは慌てて話題を戻した。
「ああ、ビンゴだ。デブ代官の家の近くで犬を洗った形跡と薬品の残骸を見つけた。犬の飼い主の羊飼いもな。ちょっと詰めたら、デブとの関係も認めた。こいつ等は必要があれば、いつでも証言台に立たせられるよう確保してある」
そう言ってウルフは、ふふんと得意げに口角を上げる。
アーサーは思わず尊敬の眼差しを向けたが、同時に明かされた事実の重さに戸惑いも隠せなかった。
「すごい……犬って、あの警備犬? 薬品? みんなが体調を崩すようなものだったの? 僕は大学では神学専攻だったから、錬金術とか自然哲学とか、そういうのにはあまり詳しくなくて」
矢継ぎ早に問いを重ねながら、アーサーは困ったように首を傾げた。
「ああ、触るだけでもかぶれるやつだ。犬も病の呪いも、全部繋がった一つの出来事だったんだよ」
ウルフは指先を軽く振り、面倒そうに答える。
「そっか……トーマスさん、どうしてそんな酷いことを……」
「そんなの、俺たちを追い詰めるためなら、シモジモの人間が苦しもうがどうでもよかったんだろ。しかし、ここまで大事になっちまったら、犬や呪いの原因を解明するだけじゃ、あいつは倒せないぞ」
ウルフの声色には、嫌悪と冷静さが同居していた。
「そんな……ここまで情報を集めたのに……」
「だから、あともう一つくらい、あのデブの弱点を掴む必要がある」
そう言ってウルフは指を一本立てた。
「トーマスさんの弱点? あるのかな、そんなの……」
アーサーは半信半疑のまま瞬きを繰り返す。
「あるだろ。代官って税収や納税の管理もしてるんだろ? だったら、やってるだろ。不正。改竄帳簿」
「トーマスさんが、税金……お金を不当に搾取してるって? そんな、まさか!」
迷いなく言い切るウルフの口調に、アーサーは目を丸くして首を振った。
「お前、本当にその無駄に高い他人への信用は何なんだ。キリストに甘やかされた司祭ってのは、みんなそんななのか?」
「そんなことないよ! 僕だって不正してきた人はたくさん見て来てる。教会内でも、神に仕える身でありながら悪事を働いて罰せられる人の話はよく聞くし! 主に逆らって悪事を働く人が居るだけで、主は別に僕を甘やかしてないですよ!」
からかい交じりにウルフから思わぬところまで信仰を持ち出され、アーサーは頬を赤くしてむきになって言い返した。
「そうか」
ウルフはそれ以上の言及は諦めたように肩を竦める。
だが内心では、こいつを甘やかしているのは主ではなく、周囲の環境だろうと呆れていた。
この村でアーサーが置かれている事情を、ウルフはまだ詳しく知らない。だが、貴族の血を引く者というだけで、人々から腫れ物のように扱われ、尊重という名のある種の遠慮の中で暮らしていることくらいは見ていて分かった。
「トーマスさんは僕にとってとても厳しい方です。そんな人が私利私欲で不正をしてるなんて、考えたこともありませんでした」
アーサーはまだ信じ切れないように眉を下げ、複雑そうに呟いた。
「他人に理不尽に厳しい奴は、自分に甘い奴も多い。取り敢えず怪しい帳簿を探しに行くだけ行って、駄目そうなら別の手段を考える……って形で良いか?」
「わ、分かりましたが、トーマスさんが管理してる帳簿を持ってくるって、どうやって……。代官邸にしかないと思いますけど」
ウルフの提案にアーサーはおずおずと訊ね返した。
「だから行くんだろう、代官邸に」
「そう、ですよね……やっぱり代官邸ですよね。重要機密はみんなあそこに置かれてますから……って、トーマスさんが自分の不正の証拠を出すわけないじゃないですか!」
これから自分が何をしようとしているのか──やっと気付いて、アーサーはハッと顔を上げた。
(トーマスさんに不正帳簿を貰いに行く? 疑惑の張本人に直接……それってどういう──……)
「当たり前だろ。だから盗むしかないんだって」
「ぬぬぬぬ盗む???? そんなの主がお許しになりません!!!!」
アーサーは思わず悲鳴にも近い声を上げた。




