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神父と白い野獣―呪われた村で出会ったのは、神に縋る青年と、獣と呼ばれた異教徒だった。  作者: あともす


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第五話「守るべき者」③

 アーサーは解放されたルーシーとアリス、そして流浪人を連れて教会へ戻った。

 石造りの静かな会堂に入ると、アーサーは改めて流浪人へと向き直った。

「感謝します。貴方のおかげで、大切な友人を救うことが出来ました」

 アーサーが深く頭を下げると、アリスもそれに習い頭を下げた。

 ルーシーに至っては流浪人にしがみついて泣きながら感謝を伝えた。

「本当に有難うございます、流浪人さん。私、貴方に何度命を救われたか分かりません!」

 本日二度目となる『抱き着かれて泣かれる』事態に、流浪人は居心地悪そうにする。

「……俺は大したことはしてない」とぶっきらぼうに答えると、ルーシーを剥がして立ち去ろうとした。

 それをアーサーが服を引っ張って引き留める。

「あの、やっぱり僕は貴方と友達になりたいです」

「……そういうのが迷惑なんだよ」

 流浪人はアーサーの手を振り払い、再び背を向けた。しかしアーサーは食い下がった。

「ではせめて、お名前を教えてください。僕の名前はアーサー・ドミニク・クロムウェル。このヒュー教会の司祭です。貴方のお名前は?」

 その真っ直ぐな追及に、流浪人は根負けしたように肩を落とし、渋々と言葉を落とした。

「……ウルフだ」

 今度こそ彼は去り、闇の中に消えていった。

「聞いた!? 彼、ウルフって言うんだって!」

 やっと聞き出した名前に、アーサーは目をキラキラさせて少女たちと騒ぎ出した。

 だがその歓喜を、奥から現れたピーターの叱声が切り裂く。

「アーサー様! こんな夜更けに何事ですか。騒いでいないで、飛ばしてしまった晩のお祈りをして、神に感謝を捧げなさい。アリスもルーシーも、無事を主に報告するのです!」

「はーい」

 ピーターに叱られ、三人は首をすくめると、苦笑しながら礼拝堂の内陣へと向かった。

 揺れる蝋燭の炎の下、アーサーが唱える詩編に合わせ、三人は静かに膝をつく。夜の静寂が広場の興奮を上書きしていく中、アーサーは隣で祈るルーシーの安らかな横顔を見て、ウルフという名の「友人」が得たばかりの知恵に感謝した。

 祈りを終えると、ピーターと一緒にエレインが現れ、その手には煮たカブが入った鍋を持っていた。そしてピーターが持つ盆には黒パンとホットミルクの器が人数分あった。

 そこでやっと全員、まだ夕食を食べていない事を思い出し、祈りの広間の隅でささやかな夕食を囲んだのだった。


 木々の隙間から差し込む夕闇が、森番の小屋を塗りつぶそうとしていた。

 湿った土と、燻した魚の匂いが沈殿する狭い室内。粗末なテーブルの上で、小さな炉の火が二人の影を壁に長く、不気味に引き伸ばしている。

「旦那がここにやって来るなんて珍しいですね。何の御用ですかい、代官殿?」

 森番のホッジは、欠けた木杯を指先で弄びながら卑屈な笑みを浮かべた。対面に座る代官トーマスは、上等な上着がすすで汚れるのを忌まわしく思うように浅く腰掛け、鼻を鳴らす。

「ふん、私は常にこの村の治安について心を砕いているからな。治安の要である貴殿の様子を見に来ることもある」

 トーマスの視線は、小屋の隅に積み上げられた獣の皮や、煤けた道具類を嫌悪とともに一瞥し、やがて森の暗がりに通じる窓へと向けられた。

「貴殿の庭である村の森に、不埒な浮浪者が住み着いてるのは知っているだろう」

「ああ、あの……。あんな化け物みたいのが森をうろついてるせいで、村人たちが怯えちまって困ってるんですよねぇ」

 ホッジの脳裏には、森の境界で見かけたあの男の異様な風体が焼き付いている。

 フードを目深に被って顔を隠し、がっしりとした巨体の腰には、分厚い革のベルトに二つの鞘が吊るされていた。一つは酷使された跡のある無骨な長柄の短剣だが、目を引くのはもう一方だ。村の猟師が使うものより一回りも大きく、歪なまでに反り返った太い肉厚のナイフ。

 ここら辺では見た事のない形状をした武器であろうそれは、どう見てもただの生活道具ではなく、肉を断ち、骨を砕くためだけに研ぎ澄まされた、凶悪な武器の気配を放っていた。

「そうだろう。あの獣が村の治安を著しく悪くしているというのに、下手に関わったせいで村の者たちに被害が出てしまうかと思うと、容易に手が出せない」

「まあ、今のところ森を荒らしたりもせず大人しくしててくれますがね……」

「奴と何か話をしたのか?」

 トーマスはホッジの物言いに、まるで彼の存在を容認するような気配を感じて、表情を険しくする。

 問いかけられたホッジは、ふと思い出したように顎をさすった。

「話というか……。挨拶のつもりか、小屋の前に岩塩の塊を置いてったり、川でウナギを獲って作った燻製のいくつかを置いてったりはされましたね」

「何、岩塩? ウナギだと?」

 思わぬ贅沢品の名に、トーマスの眉が跳ね上がる。当時の寒村において、純度の高い岩塩などは、代官である自分ですら容易には口にできぬ品だ。

「見ますか? 数回は料理に使ったけど、ほとんどそのまま残してあります。ええ、ウナギはもう全部食っちまいましたが、味は悪くは無かったです」

「ふん、あんな獣が寄こしたものなど興味は無い。よく食えるな、そんな物」

「まあ、食い物に罪はねえですから」

 不快そうに顔を背けたトーマスだったが、すぐにその瞳に底暗い光を宿した。

「しかし、そうか……奴は川で勝手に何かしてるのか。それは由々しき問題だな。水を汚されたら生活に支障が出る。……調査をしないとならんなあ」

 トーマスは懐から、ずっしりと重い革袋をゆっくりと取り出した。湿った木のテーブルにそれが置かれると、複数の硬貨がぶつかり合う鈍い金属音が響く。

「調査、ですか」

 ホッジの目が、紐の隙間から覗く鈍い銀色の輝きに釘付けになった。

「ああ。獣に水場を荒らされたら、村人に健康被害が出てしまうからな。詳しい調査は私の方でやる。貴殿は、あの獣をしっかり見張っておいてくれないか」

「なるほど……分かりました。あの獣の動向は注意しておきましょう」

 銀貨の重みを確かめるように、ホッジは革袋を掌で握りしめると、下品な満足感を湛えてにやりと笑った。


 ルーシーの冤罪事件から数日。

 ウルフは今日も今日とて穏やかな森でのんびりと過ごしていた。

 木にもたれかかり、全てを忘れてしまいたい心持で微睡んでいると、目の前を一匹のウサギがちょろりと姿を現した。

 思わず気配を殺して獲物の様子を窺っていると、ウサギはまんまとウルフのそばまでやって来た。

 そして、木の根っこを通り過ぎようとしてか、ウルフの膝元までやってくるのを確認すると、素早くその首根っこを掴んだ。

「今夜の夕飯はこれでいいな」

 ウルフは、自分の手の中にいるウサギを眺めていると、かつて妹と過ごした日々が思い出された。

 病に倒れた妹によく食べさせていたのがウサギの肉が入った粥だったからだ。

 急に、あの日の寒々しい夜の風の感触がウルフに吹き付けた。


 石造りの壁は、夏でも指先を痺れさせるほどに冷たかった。

 砦の片隅に追いやられたその小さな一画は、妹のマブを閉じ込める檻であり、ウルフにとっては唯一の帰るべき場所だった。

 入り口に立つ見張りの兵が、血の匂いをさせたウルフを蔑むような目で見送る。

 ウルフは何も言わず、腰に吊るした獲物を鞘に仕舞いつつ中に入った。

「兄さん……?」

 床に敷かれた寝床に横たわったまま顔を向けたマブの顔色は、以前よりもさらに透き通る ように白くなっていた。領地の男たちによる「検分」という名の暴力が、彼女の心と体を内側から削り取ってしまったのだ。

「ああ、今戻った」

 ウルフは甲冑を脱ぐのももどかしく、まずは火を熾した。

 道中の森で仕留めた一羽のウサギ。それを手早く捌き、なけなしのオート麦と一緒に、黒ずんだ鍋でじっくりと煮込んでいく。

「今日は、いいウサギが捕れたんだ。マブ、お前が好きな、柔らかい肉だよ」

煮えるのを待つ間、ウルフはマブの細い手をとり、自分の大きな手で包んだ。

 本当は、叫び出したかった。両親を「異教徒」という濡れ衣で奪い、妹を人質にして自分を殺戮の道具として使い続けるフィッツアランへの憎悪で、胸が焼けそうだった。

 けれど、マブの前でだけは、彼は「辺境伯の番犬」であってはならなかった。

「外はね、もうすぐハシバミの実が熟す頃だよ。今日は珍しい青い鳥が、ずっと俺のあとをついてきたんだ」

「まあ……見てみたかったわ、その鳥」

 マブが弱々しく、けれど慈しむように微笑む。ウルフは喉元まで出かかった「逃げよう」という言葉を飲み込み、ありふれた雑談を続けた。

 今、希望を語ることは、余計に彼女の命を削るかもしれない。

 粥が煮え上がると、ウルフはそれを丁寧に木匙ですくい、マブの口元へ運んだ。

 ウサギの脂と穀物の優しい匂いが、冷え切った部屋に満ちる。マブは一口、また一口と、愛おしそうに粥を飲み込んでいく。

「美味しいわ……兄さん。いつも、ありがとう。今日も、無事でよかった」

 その一言が、ウルフの心に何千の矢よりも深く突き刺さる。

 食後、マブは安心したように瞳を閉じ、深い眠りに落ちていった。

 ウルフは、彼女の熱を持った額に、そっと、祈るように唇を寄せた。

(待っていろ、マブ。必ず、お前をこの灰色の場所から連れ出してやる)

 それは、彼が自分自身に、毎夜課している呪いのような誓いだった。

 だが、その誓いと願いが果たされる事は無かったのだ。


──掴んでいたウサギが暴れ、ウルフは我に返る。

 今の自分の手には、血まみれの剣ではなく、ただのウサギと、静かな森の空気があるだけだった。

【続く】

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